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809年5月。
急ぎ即位したフルエーラ2世だ。短い統治に終わった父アウレリオの分まで頑張りたいと思う。
先王がはじめたアラゴン奪還作戦はすでにほぼ勝勢ですが未だ途上です。気を引き締めていきましょう。
9月。
これでベルムード王にも安らかに眠っていただけるというものだ。
さてだいぶ我が国も強化されたところで、法を中央集権に一つ振っていこう。
北のアキテーヌ公などは封臣限界のために独立を果たしたのでしたが…我が国にはまだまだ縁遠い話ですな。
この限界に悩むのはどれほど後の王になるかなあ。願わくば早くその時が来て欲しいものだよ。
810年12月。
しっかし海賊がやかましいな…。また奴らを追い払うための出陣か。こちらの全軍をもってせねばならんのだよな…近づけば逃げていくからまだしも。
報告!ウマイヤがアラゴン地方の復旧を目的とした軍を興しました!
どうも我々が軍を出したことで、見かけ上の戦力比が拡大したのが原因ではないかと思われますが。
まあ良い、そんなにまた痛めつけられたいというならまたあの幼児に「しつけ」をしてやらねばなあ!
翌年。
アキテーヌ公、ボルドー伯、マルサン伯が援軍として来援します!
我々の浮沈はピレネーを挟む彼らの生存に直結するからな。唇滅びれば歯寒し、という奴か。しかし有難い、力を合わせ一気に打ち破ろうではないか!
813年5月。
さらにブルターニュからの援軍も加えて勝利することができました!多額の賠償金を得られます!…陛下?
…今回の戦争はウマイヤから仕掛けてきたもの…つまり本来6年後まで続くはずだった停戦期間が切れたということだな。
傭兵の雇用は延長する旨伝えろ。このまま彼らの背後を襲ってバルセロナ地方を奪回するぞ!
814年7月。
816年11月。
これで地中海に打通できたばかりか北のフランク人の目から遠ざけることにも成功したな。
せいぜい奴らはいつまでもグダグダと内乱祭りに明け暮れておればよい。レコンキスタを達成するのは我々なのだ。そしてバルセロナは良い土地なので本拠にしよう。
819年4月。
ウマイヤ首都マラケシュが砂漠の向こうの部族に襲撃されたばかりかキリスト者が蜂起しています!
823年12月。
キリスト者の蜂起は成功、彼らの旧都コルドバを勢力下に置いています!
とんでもないところを取ったものだな。聖地とみなされてるんだろう…?
多分これを叩いても内乱が終了したことに伴う開戦事由取り消しで戦果を得られまい。自重しよう。
826年12月。
以前離反工作に向かった外交官が囚われているレオン地方を攻める!
しかし我々も7000兵を動員できるようになったのだなあ感慨深い。そして彼らは1000兵か。
829年1月
829年10月
830年6月
コルドバはイスラム教聖地の扱いを受けているようだからな。さすがに看過できないというところなのだろう。
…我々がいずれ領有するときも気をつけねばならんということだ。
832年5月
うむむ…辛い…が…まだだ、まだ倒れるわけには…まだ働かなくては
833年6月
おお、これは見過ごせん…直ちに攻撃だ、カスティリャ地方を奪還する、馬引け。
7月。
これが私にとって最後の戦となるだろう…あの息子に継承する前に私ができるだけ…ぐ…っ
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