これはCK2の世界に日本の戦国武将が登場する架空の物語である (これは石田丸であって真田丸ではない、主人公は石田三成公である) (例えばアラビア帝国=織田信長であって個人の死や王朝の交代は基本的に物語に影響しない)
759年の事である、このCK2の世界に突如として日本の戦国時代の人々が現れた。 中でも織田信長は天皇を保護し、天皇の名の元で侵略戦争を繰り広げた。
10年後の769年、世界は第六天魔王織田信長の軍門に下った。
そして魔王信長は今や用無しとなった天皇を追放し自らが帝位に就いた さらに仏教を捨てイスラム教に改宗し宗教の指導者(カリフ)となった。 (この時期、信長はイエズス会との関係でカソリック派であったとも言われれる)
そして臣下達を強制的にイスラム教に改宗させていったのである。
信長の天皇追放や強引な改宗に家臣たちは激しく反発した。
織田家中の混乱を機と見た徳川家康は明智光秀と手を組み挙兵、 徳川、明智の4万の軍勢が信長の宿所である本能モスクを強襲した。 だが信長はこれをいち早く察知し難を逃れた。
明智光秀は居城の坂本城に戻り織田家から独立、 徳川家康は天皇を名乗る者(正教会総主教)を保護し徳川幕府を開いた。 さらに徳川家康は織田家中の大名に独立するよう天皇(正教会総主教)の名の元に檄を飛ばした。
朝敵となった信長から数多の外様大名(武田、今川、北条、上杉、毛利、島津など)が独立した。 驚く事に生粋の織田家重臣である柴田勝家までが独立した、彼がなぜ信長に反旗を翻したかは謎である。 石田三成の主君、羽柴秀吉もまた打倒織田信長の旗を掲げ独立してしまった。
769年
信長様お許しを!
勝家 うぬもか!
この徳川家康が朝敵信長を討つ
武田が軍勢 如何なるものか天下に示す!
われは毘沙門天の化身なり 仏敵信長覚悟せよ!
うっきゃ~ 天下取ったるで~
天下を懸けた男たちの熱き戦いが始まろうとしていた
拙者は石田三成と申す
石田三成、後に大阪城に真田丸と双璧を成す石田丸を築く男である。(多分)
現在の羽柴家中
羽柴家中では笹尾山の石田三成を総帥とする西軍連合(小西行長、松尾山の小早川)と 黒田長政を中心とする東軍連合(加藤、福島、山内、浅野)が勢力争いをしている 主君秀吉は西軍よりであるが松尾山の小早川が東軍に寝返ると言う噂もある。
この様な不安定な政権下で秀吉を天下人に押し上げるため石田三成の戦いが始まった!
この三成が秀吉様を天下人にするぞ!
長兄この大谷吉継(次兄)が力の限りお助け申す
長兄この島左近(弟)にお任せあれ!
皆頼んだぞ!
3兄弟については文が長いので外伝(未定)にて?
774年 三成は兄弟たちの活躍により山内一豊から領土を奪い取り勢力を拡大させていた
(左図)
一方明智光秀は婿の細川や寄騎の筒井の裏切りにより窮地に陥っていた
(右図)
778年 三成公は重臣の死により220デナリウスとモスクを相続した
ううう なぜ死んだのだ~(やった~棚ぼただぜ!)
778年 三成公は2200の軍勢で挙兵、秀吉を王にするため外地獲得に動き出した
相手は斎藤道三の子の義龍勢1600であった
主力決戦で敵1300を撃破した三成軍は一気に城を包囲した
780年 三成は義龍から領土割譲を受けた
同年 三成公は東軍を影で操る世良田二郎三郎を討つべく挙兵
三成軍は1200に減っていたが世良田軍もまた長年の戦いで傷ついていた
左近、刑部この戦勝つぞ! (左近=島清興、刑部ぎょうぶ=大谷吉継)
承知!
おのれ三成め 小早川の小僧は何をしておるか! 鉄砲を食らわせるぞ!
快進撃を続ける三成であったが恐るべき敵が動き出した事に未だ気づいていなかった
武田軍の南下図
御屋形様そろそろよろしいかと?
うぬ
啄木鳥戦法じゃ 敵を追い出すのじゃ
ぐはっ さすが信玄公ぜひ臣下の末席に加えてくだされ
よかろう 我が覇業の助けとなれ
この分ですと京は近うごぜいますな 御屋形様
うぬ 必ずや武田の軍勢如何なるものか天下に示す
武田信玄来たるの知らせは瞬く間に三成、秀吉、信長の耳に入った
信玄うぬに天下は取らせぬ!
三成いや 官兵衛、半兵衛どうすっだぎゃ~
左近、刑部急がねばならんぞ!
承知!
豊臣家の命運は今信長と信玄の手に握られている 第一回 完