AAR/生きていた義経

源義経(1189-????)

ビザンツ帝国の太守に

シルクロードを通ってコンスタンティノープルに辿り着いた義経は、時の皇帝イサキオス2世により、ハルキディキ州の統治を委任された。 ギリシャとは縁もないよそ者である彼を抜擢することに対しては反発もあったが、当時のビザンツ帝国はルーム・セルジューク、ブルガリア、セルビアなどに囲まれて弱体化していたため、優秀な軍事指揮官である義経は、皇帝にとって喉から手が出るほど欲しい人材であった。

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1189年の東地中海地域。セルジューク諸氏族により、ビザンツ帝国はアナトリアの大部分を失った
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イサキオス2世。アンゲロス朝初代皇帝…だが、能力値はごらんのありさま

このため、登用されるにあたって義経に求められたのは、ただギリシャ正教に改宗することのみであったという。 なお、この際イサキオスの弟テッサロニカ公アレクシオス3世の提案により、義経は皇帝の直臣としてではなく、彼アレクシオスに仕えることになった。

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ハルキディキ(白)及びテッサロニカ公領(赤)
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テッサロニカ公アレクシオス3世。なお、この2人はチンギス・ハーン4にも登場する(ステマ)

1189年6月、任地ハルキディキに到着した義経は、アレクシオス3世の勧めにより、妻を迎えた。相手は、コムネノス家のエイレーネである。 非嫡出子であるとはいえ、名家の子女と婚姻したことによって、帝国内では無名であった義経の威信も高まることとなった。

また同年、義経はテッサロニカ公国の元帥にも任命された。

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だが皮肉なことに、最高司令官としての最初の任務は、義経を取り立ててくれた皇帝イサキオス2世に対する反乱軍を統率することであった。

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