AAR/王朝序曲

幕間 1181年のフランス王国

現状分析

国王ルイ6世

父はフランス王フィリップ2世、母はイングランド女王セスリス 王妃アデリンデはトスカナ公の推定相続人である。 ルイは父親譲りの社交性に加え、管理能力にも長けた極めて有能な君主である。 個人としては親切で正直な善人だが、政治的には野心家で覇権主義的な君主であった。

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第7代フランス国王ルイ6世 外交と管理が凄いことになってます
やはり自分で教育すると良い特性ばかりになりますね

1181年3月16日現在、ルイは5つの王位を保持している。 フランス、イングランド、アラゴン、アンダルシア、そしてエルサレムである。 また7つの公爵領と11の伯領を統治しており、常備軍の規模も1万2千に達している。 財政収支も安定しており王の権力基盤は盤石といってよいであろう。

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年間収入は555Gに達する

世界情勢

イグランドと統合したことでフランスはドイツを凌ぐ大国へと成長している。

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1181年の勢力図 
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動員兵力の比較

動員兵力が10万を超える国は5つあり、第6位モスクワ公国の5万強と倍以上の差をつけている。 ここでは上位五カ国を五大国を呼ぶことにする。 すなわちフランス王国、神聖ローマ帝国、ビザンティン帝国、ファーティマ王朝、そしてヴェイズラ王朝である。 (当時の人々にそのような概念があったとは思えないが、ここではわかり易さを重視する)

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神聖ローマ皇帝ジークフリート 帝権回復の為に伯領の剥奪を繰り返したことで諸侯の反感を買っている
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ビザンティン皇帝ダニエル ルイの妹の婚約者。将来有望な天才児
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ファーティマ王朝《カリフ》ケマラッディーン エジプト・アフリカの王にしてシーア派の最高指導者
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ヴェイズラ王朝《スルタン》ザグル セルジューク朝を倒し新王朝を樹立した英傑

国力だけを見ればフランスは帝国を称しても不思議ではない。 しかし、実力だけでは皇帝を名乗れないのがキリスト教世界のルールである。

顧問団

ルイはフランス王に即位するとイングランド時代の顧問団を総辞職させ、父王時代のフランス顧問団を継承した。 曽祖父フィリップ1世以来の方針である王と顧問団への権力集中はルイの治世においても受け継がれている。

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ルイ6世即位時点の王国顧問団

大臣ギラナナームはサンリ男爵であり、アイルランド人でありながら祖父は家令、父は大臣を務めた三世顧問である。 顧問団筆頭であり事実上の宰相として廟堂を采配する立場にある。

元帥エチエンヌはジャルゴー男爵であり、イタリア王を輩出した名門ディヴレーア家の末裔である。 祖父は大臣、父は元帥を務めた三世顧問であり、大臣ギラナナームと並ぶ譜代家臣である。

家令ウンベールはランカスター公であり、フィリップ2世の婿養子でもある。つまりルイの義弟にあたる。 旧ブルゴーニュ公家の嫡流でありながら家名を捨てカペー王家の一門に名を連ねている。

密偵長ライナウはジャンヴィル男爵であり、まつろわぬ民オック人でもある。 彼はフランク人とオック人の垣根を取り払う事を悲願としており、その為にカペー王家に仕えているのだ。

宮廷司祭長ティボーはエルサレム司祭であり、大司教シャルルに始まる聖地のカトリック教会の法統を継承する者である。 エルサレムに生まれた移民の子であり、篤い信仰心と冷徹な政治感覚を併せ持つ彼は顧問団の支柱といって過言ではない。

諸侯

ルイは即位に際し、慣例に則り弟たちを公爵に封じている。

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アキテーヌ公アンリ フィリップ2世の次男  
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ブルボン公クロテール フィリップ2世の三男  
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ランカスター公ウンベール フィリップ2世の婿養子
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所領規模でみたフランス諸侯

1181年現在、フランスには39の公爵領がある。 公爵領内に王の直轄領があるものが王領、直轄領がなく公爵位のみ保持しているものが兼任である。

ヴァロワ公王領国王
オルレアン公王領国王
フランドル公     王領国王
ベッドフォード公王領国王
エルサレム公王領国王
トゥールーズ公王が兼任国王
オーヴェルニュ公王が兼任国王
アキテーヌ公カペー家フィリップ2世の次男アンリ
ブルボン公カペー家フィリップ2世の三男クロテール
プロヴァンス公カペー家      アンリ2世の次男ジェローの子孫
ブルゴーニュ公カぺー家      アンリ2世の四男マナセスの子孫
バレンシア公カペー家      アンリ2世の五男ジャフルの子孫
ガスコーニュ公カペー家      フィリップ1世の次男ジェローの子孫
ポワトゥ公カペー家      フィリップ1世の次男ジェローの子孫
ブルターニュ公カペー家      フィリップ1世の三男ジュリアンの子孫
ノルマンディー公カペー家アンリ1世の次男ユーグの子孫
ランカスター公カペー家女系フィリップ2世の婿養子
アスカロン公カペー家女系    フィリップ1世の娘マルゴーの子孫
ベリー公カロリング家旧フランク王家
アンジュー公アンジュー家フランク貴族
ナヴァラ公ヒメノ家ガリシア王家傍流
アストゥリアス公オビエド家スペイン貴族
バルセロナ公ブロワ家旧シャンパーニュ公家
アラゴン公ブルゴーニュ家旧ブルゴーニュ公家
グラナダ公バルセロナ家旧バルセロナ公家
セビリア公パトライク家フィリップ1世の次女ブランシュの子孫(男系結婚)
ムルシア公デノガルデ家スペイン貴族
サマセット公ウェセックス家旧イングランド王家
グロスターシャー公ノルマンディー家旧イングランド王家
ノーフォーク公ゴドウィン家旧イングランド王家
カンタベリー公ゴドウィン家    旧イングランド王家
ヨーク公パンティエーヴル家旧ブルターニュ王家
ノーザンバーランド公バンベルク家アングロサクソン貴族
ヘレフォード公アエルフリクソン家アングロサクソン貴族
コーンウォール公セルネウ家ブルターニュ貴族
ジェノヴァ公フレユス家イタリア貴族
シャンパーニュ公大司教聖堂参事会による選出
アルゲル公大司教聖堂参事会による選出

カペー家の優位は明らかであるが、名家の血は絶やさないというカペーの伝統に則りブルゴーニュ家やブロワ家も公爵として存続している。 またフランク王国、イングランド王国、ブルターニュ小王国などの旧王家も分家が健在で公爵となっている。 特にイングランドは歴代三王家が全て存続しており、将来的にカペー王権の脅威になるかもしれない。

宗教

最後に宗教情勢であるが、カトリックは順調に拡大している。

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1181年のカトリック勢力

かつてイスラムの支配下にあったイベリア半島もマヨルカ島を除き全てカトリックに帰依している。 北欧もほぼカトリック化しており、ヨーロッパにおけるローマ教会の宗教的権威は揺るぎないものとなっている。

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ローマ教皇グレゴリウス7世 自動生成の教皇にしては有能

あとがき

今回は幕間としてルイ6世即位時点の状況説明を行いました。 元々はルイ6世の治世・前半として書き始めたのですが、画像数が多くて重くなりすぎても困ると思い、この部分だけ独立させました。 今回は画像が多いので、本編も従来の前後編ではなく、前中後の3つに分割して投稿すると思います。


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