「次はお待ちかねのBhikhari一世だ。聞いたことぐらいあるだろう?」
「Bhikhari一世?Bhikhari……、一世だか二世だかとにかくBhikhariの名前が多くて覚えてないよ」
子供の言葉に老人は驚きと失望を隠せていなかった。
「お、お前、本当に知らないのか?」
「うん」
無邪気な笑みを浮かべて肯定する子供を見れば、それは本当に知らない奴の目だと分かった。
「まあ、話を聞いたことぐらいはあるはずだ。これを知らない奴がベンガル地方に住んでいるわけがないからな。では、賢き者Bhikhari一世について話すぞ」
東の雄、pala朝。当時、勢いのある国であった。東の国々を征服し中央へと進出をしていた時代だ。
そのpala朝の王子であるBhikhariは、王子時代から才能と敬虔さから名声を博していた。*1
先王Surapala王もその才能を高く評価していたと記録に残っている。
1107年4月30日。29歳の時即位。BIHARとBENGALの二つの王位を手にしていた。
分割相続で別れるものの、KAMARUPAを継承したSurapala王の二男のBallalsenはすぐにとある配下によって王国を奪われていた(1107年4月30日~1107年6月20日)
奪った相手は何を隠そう先王からの因縁深い相手であった。
悪女Suvrata。pala朝の歴史書には歴代の王から簒奪した悪女として名を残す。*2
Bhikhari一世はそれを見てすぐにSuvrataに対して宣戦を布告。
代替わりをしたばかりのSuvrataは大した兵力もなかったが、KAMARUPA王国内でゲリラ戦をしてBhikhari一世を苦しめた。
しかしそれも1109年7月20日に終わりを迎えた。
しらみつぶしに拠点を落としてくるBhikhari一世の前に膝を屈したのである。
本筋から離れるが、この戦いの途中で、Bhikhari一世は戦象の扱い方のコツを掴んだと言われている。*3
KAMARUPAの王位を回復し、わずか二年ほどで父の領土を回復したのである。
この偉業に対して家臣たちは宮廷で賛美の声を上げる中、若き天才は媚びへつらう家臣をあしらうだけであった。
その目には口だけの賛美や見た目だけの富が映っていなかった。
先王の代の領土まで回復。
1119年12月6日。Bhikhari一世はsomavamsi朝に宣戦布告した。
そこでBhikhari一世は好敵と遭遇することになる。
Skandavarman王。
何の因果か、二人にはある共通点があった。それはどちらも天才であったことだ。
一方は外交にたけ、もう一方は管理に優れていた。
Bhikhari一世は国庫から金を放出して傭兵を雇い、軍を増やした後で国境付近にいたSkandavarman王に対して攻撃をしかけた。
まずは初戦。両国の国境近くで決戦が行われた。
Bhikhari一世は国境近くでSkandavarman王に勝利するも、損害の大きさから追撃には失敗した。
Bhikhari一世は決戦に勝ったが敵の主力を潰すには至らなかった。
だから、傭兵を追加で雇い兵力を増やして敵がやってくるのを再び待ったが、Skandavarman王は一向に動かない。
焦れたBhikhari一世はおびき寄せるためにTOSALI地方の占領にかかるが、それでもSkandavarman王は動かない。
なぜ、Skandavarman王は動かなかったか。彼は気づいていたからだ。Bhikhari一世とまともに戦ってはだめだと。
だから、Skandavarman王は前代未聞の作戦を取ったのである。
焦土作戦。封建諸侯たちを見捨てるという当時の価値観では考えられない作戦である。
故にTOSALI地方を占領されようとも動かなかったのだ。
Bhikhari一世はようやくSkandavarman王がただの凡愚と違うことに気が付いた。
自らの領土を捨てて兵力を温存するつもりであり、こちらが占領で消耗した時にやってくるつもりであると。
そこでBhikhari一世はTOSALI地方の占領を中止し、自軍が消耗する前に決戦を強いることに決めた。
しかし、どこにSkandavarman王の軍隊がいるか分からない。そこでBhikhari一世は約五十名からなる決死隊を編成し、ORISSA王国の探索に向かわせた。
ORISSA王国の奥地DANDAKARANYA地方に軍が集結していることを発見した決死隊は急いでBhikhari一世に報告した。報告を受けたBhikhari一世は軍を二手に分けて消耗を避けつつDANDAKARANYA地方に急行した。
Skandavarman王はBhikhari一世の軍がついにやってくるのだと知ると、ジャングルでこれを待ち構えた。
Skandavarman王の思惑通りBhikhari一世の軍は消耗していたが、それでもBhikhari一世の方が多かった。
両軍共に夥しい数の死者を出しゴーダバリー川は血で赤黒く染まったという記録が残っている。
Bhikhari一世はSkandavarman王を何とか打ち破ると、兵が疲れ果てて座り込むのを叱咤激励し追撃を敢行した。
Skandavarman王は必死に逃げるが逃げ切れずに全滅した。
その後、Bhikhari一世散発的な抵抗を除きながら各地の占領に取り組んだ。
1123年10月22日。ついに終戦。短期で終わった戦争とはいえ経済的負担は大きかった。
こんな逸話が残っているほどだ。戦争が終わった年にある異変がpala朝の宮殿で起きていた。
異変が起きた場所は倉庫である。山ほどいたねずみが姿を消したのだ。
なぜ消えたのか?それはねずみを必死に退治したわけではない。
単にねずみが食うものさえ残ってないほど窮していたらしい。そんな話があるほど大変な戦いであったという話だ。
この話が本当か嘘かは置いておくとして、苦戦する戦いであったのは間違いない。
晩年、Bhikhari一世がこの戦いのことを、最も苦戦した戦いであったと語っていたと伝えられているからだ。
改宗力がとにかく弱い。なので、ヒンドゥー教に染まった大地を仏教で染め直すのはかなり大変である。
そして、聖地がインドのあちこちにあるので宗教的権威を高めるのも一苦労である。上がれば改宗力が三倍近くになるぞ。*4
前後編にするつもりが編集をミスってしまったので、誤解しやすいタイトルになってしまった。後編も作っているが、そっちの方はBhikhari一世2としようと思っています。