この物語は、ある宗教の荒廃に戦いを挑んだ熱血一族の記録である。 宗教界においてまったくの弱小宗教が荒廃の中から健全な精神を培いわずか700年で全国制覇をなし遂げた奇跡を通じて、その原動力となった愛と野望を余すところいっぱいに書き記したフィクション(パクリ)である。
865年 城南広大公との和解が成立し、軍勢が帰路についた。 途中多くの教会に立ち寄り神の御加護に感謝した。 兵たちはイラついた本来なら既に家族と再会できている頃なのに未だ帰路の半分も来ていない。 そこにTepodonは言い放った「軍勢を戻せ城南広大公にトドメを討つ!」 将軍たちは反対した「信義を守らねば主君の王やアラビア皇帝は元より多くのイスラム教徒の怒りを買います」 「では当家が次も暴力的組織をバックに持つ城南広大公に間違いなく勝てるのだな!」 「......」 「腰抜けどもめ!勇気なき者は去れ!余を信ずる者だけついて参れ!」 当家を南方第一の勢力に押し上げたTepodonに逆らえるはずもなく皆従った。 Tepodonは慣習的領土の返還を名目とした。
城南広大公も条約破棄を知りすぐさま軍勢を集めるが士気はあがらなかった、敗戦により厭戦気分も充満しており為す術もなく敗れた。
867年 当家は城南広大公に差をつけた、しかしトドメをさすには至らなかった。
暴君Tepodonは再びイスラム教との臣下を迫害した。そして没収された領土はまたも一門に配られた。
家 | 階級 | 兵力 | 系統 |
Anakinn家 | 伯爵 | 451人 | 3代Aseopが愛人に産ませた系統 |
Qadubid家 | 伯爵 | 773人 | 4代Tepodonの次男の系統(婿養子) |
当家では分家政策が取られており、継承順位代4位以下は婿養子婚が推奨されている。 なお相手は商人が名門貴族の御落胤として売りつけてくる貴族の令嬢であるが素性は怪しい。
隣国の女王(婚戚)が城南広大公に勝利した祝賀会を開いてくれることとなった。 祝賀会へ向かう前日、軍服を預けていた仕立て屋が全焼。Tepodonは7年前に城南広大公に勝利した時の、赤い軍服を引っ張り出した。 祝賀会は盛大に催されTepodonは夢の中にいる気分であった。 この宮殿もいずれ生まれるであろう曾孫の物。当家はここ20年で奇跡的成長を遂げた将来も明るいと。 しかし、女王がさらなる祝い事を発表した 「今懐妊しております高齢出産になりますが王家の慶事を祝ってください」 王国の重臣は是非王子を生んでくださいと感激していたが当家の者は皆青ざめていた。
数ヶ月後 女王の王子出産の知らせが届いた。
Tepodonは決断した、ビザンツの二の舞にはしない! 幼子を殺すのに賛成するものはまずいない、しかし幼い伯爵は別だ、まず父親から死をくれてやる! 女王の夫の暗殺計画を立てた、たちどころに賛同者が集まった。 しかし、機会に恵まれず3年が過ぎた。 その間、工作費がかさみ実に300デナリウスを支払った。(当家の財産は1000デナリウス) そして870年、協力者からの吉報を待ちながらTepodonは永久の眠りについた。
5代目には長男のAseop(イソップ)2世が就任した。 長年宰相として活躍、皆に認められての就任であった。
Aseop2世はすぐさま父の暗殺計画を継承、だが300デナリウスの追加費用を必要とした。 暗殺計画はすぐに発動された、不世出の名将である女王の夫は4度その毒牙をかわしたが遂に倒れた。
そして、すぐにその毒牙は息子へと向けられた。 亡きTepodonの思惑どおり、すぐに賛同者は集まり幼い息子にはなすすべはなかった。
871年 長年待ち望まれやっと生まれたABYSSINIA王国の継承者は当家の野望の前に露と消えた。 これにより長女が継承者となった、長女は当家の男子と婚約がされ互いに成人していたが婚約は保留されている。 長女がバカであったため、次女を長男の妻に迎え入れていたのである。 そして次女は男子を出産した、もはや保険として生かしておいた長女は邪魔者でしかなかった。 Aseop2世は長女との婚約を成立させ当家に迎え入れた、暗殺するためである。 やがて暗殺計画が発動され、長女は妊娠中に殺害された。 Aseop2世の長男の妻が第一継承者となったのである。
872年当家の主君がアラビア帝国から独立した。 これにより独立の機運が高まるがAseop2世はイスラム教全てを叩きのめす力を蓄えないかぎり独立は不利であると考えていた。
ビザンツ帝国の皇帝の息子は1歳で死に、長女は7歳であった。 皇后は37歳である。再び当家はビザンツ帝国乗っ取り計画を発動した。
皇女7歳とAseop2世の弟(バカ長女の元夫)と婿養子の婚約をした。 これで結婚を防ぎ成人後に愛人とし、宮廷に招きいれ無理やり孫の後継者(現在2歳)と結婚させる計画である。
さらにAseop2世は父と同じく妻を暗殺し、ビザンツ帝国皇帝の妹で第二帝位継承と結婚した。 妻は強い請求権があるので機会があれば7000の軍勢を率いてビザンツ帝国に乗り込む腹づもりである。
874年ビザンツ帝国皇帝に男子が誕生してしまった。 これが帝国の底力である当家の刃は再びかわされた。 太陽の国ローマ帝国。かの国を手に入れない限り花園を完成することはできないのだ。 当家いやネストリウス派をも含めた悲願はいつの日か必ず実現させる、それが武力によるものだとしても! 一族は心を新たにした。
875年 城南広大公の領土2州への要求権の捏造が完了した。 再び奇襲作戦が取られたが暴力的組織(傭兵)は首都以外に出現した。
しかし、兵力には決定的な差がついていた。大した戦もなく和議がなされた。
Aseop2世が政務から戻ると宝石で着飾った妻がいた。
「また浪費をしたのか!」Aseop2世が怒鳴りつけた
女帝への道が閉ざされた妻に利用価値は無く、皇女出身ゆえの浪費が絶えない。
「浪費?家臣の奥方の方が数倍すごいわ!わたくしはあなたの名誉のため頑張っているのよ」 「なにを言うか、家臣ごときの収入でありえぬわ!」
公爵夫人は数名の家臣を名指しした。 後日、夫人の言うことは事実と分かりAseop2世は決断した。 俺の老い先は短い破綻した国庫を潤し、将来の戦に備えるのだ。 特に新しく迎え入れたイスラム教徒の家臣3名は1人3000デナリウスを越える資産家であった。 すべての資産家の家臣が狙われた。 市長は男爵領を与えられる代わりに市を没収され、継承者がAseop2世になった後に処刑された。 当家は12000デナリウスという巨万の富を築いた、実に帝国を買えるほどの資金である。
878年ビザンツ帝国の皇子は3人に増えお家は磐石になっていた。 再びビザンツ帝国乗っ取り計画が完全に失敗したのである。残るは妻の強い請求権のみであった。
ABYSSINIA王国に大きな動きがあった。 第一継承者である息子の嫁が2人の男子を残して他界(当時イソップ2世による暗殺説が流れたが濡れ衣である。) 第一継承者が孫となった。46歳の女王にはもはや子供はできないであろう。 イソップ2世は国が成長するため、息子でなく孫が自分の後を継ぐべきであると考え始めた。 しかし、それは孫7歳が成人してから再び検討する事にした。
多くの領土をもつが兵力は今ひとつのABYSSINIA王国 当家の4000が加わり傭兵を含めればビザンツ帝国抜きでもイスラム打倒が叶うかもしれない。 イスラムは分裂しさらに当家には12000デナリウスもの軍資金がある。 未来は明るい。しかし........ 第四回 完