AAR/ペルシア奮闘記

はじめに

Goshtasb帝.jpg 前回、遂に我々はSaffarid朝への反撃を開始しました。

Fareedeh.jpg  その結果、見事ゾロアスター教の聖地の1つFarsの奪還に成功したわけね。

Goshtasb帝.jpg はい、初のペルシア遠征は大成功でした。この勢いで進んでいきたいと思います。

Fareedeh.jpg だけど、Saffarid朝の大内乱も収束しちゃったのよね。今回は敵の混乱に乗じたから楽に勝てたけど、次はそううまくいくかしら…。

Goshtasb帝.jpg 衰えつつあるとはいえ、まだまだSaffarid朝は強敵ですからね。それに、こちらには背後に2つも敵が控えている。

Fareedeh.jpg ビザンツ帝国とウマイヤ朝ね。

Goshtasb帝.jpg はい、我々が少しでも油断すれば、彼らは容赦なくかかってくるでしょう。

Fareedeh.jpg まさに四面楚歌ね。

Goshtasb帝.jpg その通りです。ですが、我々も今や敵に劣らぬ勢力を築いています。上手く立ち回って敵の力を削いでいきましょう!

Fareedeh.jpg 頑張っていきましょう!

Taliba.jpg 私も応援してるわ、ダーリン!

Goshtasb帝.jpg ありがとうマイハニ~!!

Fareedeh.jpg ……けっ!

アフリカ遠征

Goshtasb帝.jpg それにしても暇ですねえ。10年間の和平期間のせいでしばらくはSaffarid朝やアッバース家にも戦を仕掛けられない。

Fareedeh.jpg まあそれは仕方ないじゃないの。

Goshtasb帝.jpg なので、暇つぶしをしたいと思います。

Fareedeh.jpg 何するの?

Goshtasb帝.jpg アフリカの地にゾロアスターの信仰を広めましょう!

 

西暦1199年8月。Goshtasbは長くムスリムによって支配されてきたアフリカの地に真の信仰を根付かせることを宣言、アフリカ王Aghlabid家に聖戦を仕掛けた。

アフリカ王聖戦.jpg
弱い者いじめ。
 

先帝Mehrazadの時代にアレクサンドリアをめぐって刃を交えて以来、20年ぶりぐらいになるアラビア皇帝とアフリカ王の戦となった。

アッバース王.jpg アッバースの王である。

アッバース王.jpg アフリカの大地は数百年に渡る我らが同朋の善政の結果、民もイスラム教に慣れ親しんでいる。

アッバース王.jpg それにもかかわらず、アラビア帝国は謂れなき理由をこじつけ、アフリカを侵略しようとしている。

アッバース王.jpg これは許されないことだ。余はアフリカ王の支援を宣言する!

アフリカ王との戦には、前話でBasra一帯を奪われ追いつめられていたアッバース家が敵方での参戦を表明した。 これにより、もぬけの空状態のアラビア帝国の都周辺がアッバース軍による略奪を受ける可能性が出てきた。 Goshtasbはアフリカ遠征の兵の一部を都の防衛に回すことを余儀なくされたのだ。

都守備軍.jpg
都周辺に警戒のため展開するアラビア軍。
 

しかし、それでもアラビア帝国軍はアフリカ王軍を圧倒していた。

アフリカ王聖戦その2.jpg

アラビア帝国との国境地域は、アフリカ軍をはるかに凌駕する数のアラビア軍によって瞬く間のうちに包囲されたのだ。 これに、アフリカ王は悲痛の叫びをあげ、自家の滅亡を覚悟した。 そこへアラビア帝国から講和の使者が来た。

Goshtasb帝.jpg 国境のCyrenaicaのこちらへの割譲で許してやろう。

アラビア帝国からのこの提案は、滅びることも覚悟していたアフリカ王にとって、とても寛大なものに感じられた(実際は国土の4分の1の割譲というかなり大きなものだが)。 かくして西暦1201年初め。アラビア皇帝とアフリカ王が誓文に署名をし合い、講和が成立した。

アッバース家に引導を渡せ

西暦1203年。アッバース家との10年の和平期間の終わったアラビア帝国では、アッバース家に引導を渡すための戦の準備が行われていた。 諸侯たちは兵を連れ、続々と都へと参集してきていた。

Esfandiar.jpg  父さん、お久しぶりです。

Goshtasb帝.jpg おお、我が嫡子Esfandiarではないか。息災で何よりだ。

Esfandiar.jpg  ついにアッバース家にとどめを刺されるのですな。

Goshtasb帝.jpg うむ。お前にも働いてもらうぞ!

Esfandiar.jpg 父さんのお役に立てるように頑張ります!

Goshtasb帝.jpg 期待しているぞ、帝国の次期皇帝よ!!

Esfandiarステータス.jpg
Goshtasb帝の長男Esfandiar。現在はBasra公を務める。誰からも愛され、父帝からも非常に期待される存在だった。
 

1203年8月。Goshtasbは第6次アッバース家討伐を宣言、アッバース家との最後となる予定の戦を開始した。 アッバースの王はアラビアとペルシアの国境にまたがるKermanshahの山岳地帯に籠り、敵軍の消耗を狙う。 そして…

Esfandiar.jpg 父さん、Saffarid朝がアッバース家の保護を宣言、敵方で参戦してきましたぞ。

Goshtasb帝.jpg 想定通りだ!Saffarid軍も叩くぞ!!

Kermanshah戦.jpg

戦はBavandid家対Saffarid家の直接対決の様相を呈し始めたのであった。

 

ところが……

 
シリアジハード宣言.jpg

ウマイヤ家のカリフがシリアに対するジハードを発令したのは、今まさにアラビア軍とペルシア軍が激突しそうな時のことであった。

シリアジハード

Esfandiar.jpg どういたしますか、父さん?

Goshtasb帝.jpg ……敵の数はいかばかりか?

Esfandiar.jpg 敵軍は続々とシリアへと上陸し、確認できる限りでも3万を超えます。

Goshtasb帝.jpg さらに敵は増える可能性があるのか?

Esfandiar.jpg カリフの召集軍のみではなく、ウマイヤ家配下の諸侯も独自に兵を率いて参加しているので、確実に増えることでしょう。

Goshtasb帝.jpg よろしい、アッバース家とは講和せよ。

 
 

Hooshyar.jpg おい、アッバースよ。Bavandidと講和するという噂は本当か?

アッバース王.jpg これはSaffaridの皇帝陛下。本当ですよ。この辺りが潮時かと思いまして。

Hooshyar.jpg ならん!それは絶対ならんぞ!!

アッバース王.jpg 何をおっしゃられるかと思えば…。私は陛下の盟下にありますが、部下ではありません。あなたに我々のことを口を挟む権限はありませんよ。

Hooshyar.jpg 余を裏切るというのか、アッバースよ?

アッバース王.jpg そのようなことはありませんよ。我々はいつまでも陛下の良き盟友です。では、お引き取り下さい。

Hooshyar.jpg ぐぬぬ…。

かくしてアラビア帝国とアッバース家との間で講和が結ばれた。 アッバース家が講和に応じた裏には、アラビア帝国との間で密約があったからだといわれる。

アッバース王.jpg 講和に応じることで、敵は数十年間は我々には攻め込まないと約束した。

アッバース王.jpg これでアッバース家の命脈はしばらくは保たれたのだ。

アッバース王.jpg しょせんは時間稼ぎにすぎぬのかもしれぬがな…。

 
 

講和が成立するとすぐに、アラビア軍はシリアへと向かった。 そして、イスラム連合軍との戦へと突入したのであった。

シリアジハード戦その1.jpg
おらおらおらー!

敵の主力軍の撃破には成功したものの、潰しても潰しても続々と上陸してくるムスリム諸侯の軍には苦戦する。

シリアジハード戦その2.jpg
お前らはいなごかよ…。

戦そのものは優勢ではあるものの、なかなか戦勝点を大きく引き上げられない(少数の敵軍を倒し続けてもたいしてスコアを稼げない…。)状況が続いた。

しかし…

アキテーヌ十字軍.jpg

Esfandiar.jpg カトリックどもがウマイヤ領のアキテーヌに対する十字軍を宣言しました!

Goshtasb帝.jpg これでウマイヤめはこちらに攻めている場合ではなくなった!朗報だ!!

 

ところが…

 

Esfandiar.jpg Saffarid朝がシリアジハードへの参加を表明しました!

Goshtasb帝.jpg おのれ、Saffaridめっ…!

Hooshyar.jpg はっはっは!Bavandidよ、覚悟しろ!!

 

ペルシア帝国の参戦は、ウマイヤ軍がアキテーヌの防衛に向かったため戦力を大きく減らしたジハード軍を元気づけた。 参戦表明とともに、意気盛んなペルシア軍の大部隊がシリアへと向かってくる。 アラビア軍はそれを待ち構え、ペルシア軍と衝突した。

シリアジハード戦その3.jpg
どうやらうちの領内を通ってくる間にペルシア軍は消耗したようだ…。補給限界には気を付けようよAI…。

この戦は、強行軍によって疲れ果てていたペルシア軍を終始圧倒したアラビア軍の勝利に終わった。

Goshtasb帝.jpg これで勝ったな。

しかし悲劇が起こる。

アルメニア王跡継ぎ.jpg Esfandiar様がお亡くなりになりました…。

Goshtasb帝.jpg な、何…!?

Esfandiar死去.jpg

Goshtasbの最愛の息子、皇太子EsfandiarがSaffaridとの会戦で受けた怪我がもとで急死したのは、対ジハード戦の勝利をGoshtasbが確信した時期のことだった。

英雄の死

Goshtasb帝.jpg ああ、Esfandiarよ。父より先に何故逝ってしまうのだ…。

Goshtasb帝.jpg 父より早く死ぬ親不孝者がどこにおるか…。

Goshtasbは最愛の息子の死以来何も手がつかず、戦の指揮を配下に委ねて都に戻っていた。

Goshtasb帝.jpg お前には輝ける未来があったというに…。

 

息子の死からしばらくして、Goshtasbは息を引き取った。 病死と公表されているが、最愛の子の死が余程堪えたのであろう、精神的なショックが原因によるものであった。 ペルシア奪還の狼煙をあげた偉大なる皇帝の最期は、とても可哀想なものであった。 享年47。後は次男Goshtasbが継いだ。

15代目交代.jpg
 
 

Fareedeh.jpg ………母より早く死ぬ息子があるか、この親不孝者…!(御年70)


トップ   新規 一覧 検索 最終更新   ヘルプ   最終更新のRSS