ふん!本音で語りなさい。父上は我々に何も遺してくれちゃいませんよ!
あなたもすでにわかっているんでしょう?父上は国の舵とりを誤った、偉大とは程遠い人だということに。
な、何をおっしゃるのですか!いくら陛下であろうと先帝に失礼でしょうが!
ふん!あなたの人生はまさに父上と共に歩んできたものですからなぁ。父上を批判することは、これまでのあなたの人生を否定することにつながるので必死ですなあ!
こうまで言われて、言い返す言葉がそれだけですか?あなたも本当は私と同じことを思っているのでしょう?
父上は国の舵とりを誤った。Saffarid朝への復讐にばかり執念を燃やすばかりに、ビザンツ帝国への備えを怠った。それがビザンツ帝国につけこむ隙を与えたのだ。
私は愚かな父のようにはなりませんよ。これからは私が、正しく良き方向にこの国を導いていきます。
外交能力に非常に優れている。野心的な人物だ。
我々の主力軍が敵軍に敗れ敗走、現在はビザンツ帝国優勢に推移しています。
完全に戦意を喪失し士気も低い状況にあります。このままですと、ビザンツ軍の追撃を受けて壊滅してしまう恐れもあります。
そんなはずがないでしょう。解散させれば兵は回復してきます。ある程度回復したら、再召集して敵にあたらせましょう。
その時は負けを認めればいい、いずれ取り戻しましょう。まあ、そんなことにはならないでしょうが。
Mehrzadはアラビア軍を一時解散させた。そしてすぐに諸侯に再召集をかけた。
大兵力を供給してくれる大諸侯の兵が完全に回復してましたからね。さあ、侵略者ギリシア人をこらしめてやりましょう。
アラビア軍は船に乗り、一路アナトリア半島を目指した。
ビザンツ軍は粛々とアナトリアの都市の占領を行っていた。 敵の大軍を破った彼らは、戦の勝利を確信し疑わなかった。 そんな彼らのもとに、黒海に突如アラビアの大軍船団が現れたという知らせが届く。 動揺する彼らのもとに、上陸した敵の大軍が迫ってきているという絶望的な情報が舞い込んできた。
ビザンツ軍よ、待たせたな!
覚悟しろ!
我々を攻めたことを後悔させてやる!
アラビア軍のこの一連の奇襲ともいえる反撃により、ビザンツ軍兵士はただただ逃げることしかできなかった。 それほどアラビア軍の攻撃には凄まじいものがあったのだ。 特に、この時自ら軍を率いていた皇帝Mehrzadのビザンツ兵を虐殺する姿は、まさに鬼神のようだったという。
ビザンツ兵は死すべし。
戦局は一気にアラビア帝国に傾いた。敗色濃厚な知らせを聞いたビザンツ皇帝は、がっくしと肩を下したという。 西暦1167年3月。ビザンツ皇帝はアラビア帝国との講和に応じた。 表面上はアラビア、ビザンツ両者の痛み分けであったものの、事実上のビザンツ帝国の敗北であった。
もういい加減にこっちに来るのはやめろよ。
父が敗れたビザンツ帝国に勝利したことで、Mehrzadは得意気であった。
西暦1169年2月。第2次アナトリア大戦役の勝利の勢いのままに、Mehrzadはアフリカ王Aghlabid家に宣戦布告した。 開戦理由は彼らが不当に支配するアレクサンドリア公領の解放であった。
アレクサンドリアは、歴史的に見ても我が傘下にあるエジプト王国の正当な領土なのは明らかですからね。
初の外征に勝利して威信を上げたかった。周辺勢力で一番弱そうなのがアフリカ王だった。
先帝も一番弱そうなところに確実に勝とうと、アッバース一族のGalilee公爵に対し戦を仕掛けました。それが先帝の初の外征でした(第14話参照)。
宣戦布告と同時に、アラビア帝国は大軍をアレクサンドリア公領の各所に派遣した。 元々、アラビア帝国とアフリカ王国とでは国力に差が開きすぎていて勝負にならない。 誰もが、短期間でアフリカ王国はアラビア帝国に屈するだろうと予想していた。 しかし……。
大変です!ウマイヤ家がGalilee地域を求めて我々に宣戦布告してきました!
楽勝だと思っていたのにウマイヤめ…。
…ウマイヤ家の本拠はイベリア半島ですよね?遠いのになぜ我々を狙ったのでしょう…?
ジハードが成功しエルサレム一帯も領有しているので、実は我々と一応隣接国であります(第15話参照)。
デデデン
ビザンツ皇帝「お、エルサレム空いてんじゃん。」
ビザンツ帝国がエルサレムを求めて、ウマイヤ家に宣戦布告をしました!
これでウマイヤ家は我々を攻めている場合ではなくなりましたな。
戦力差から考えてもビザンツ帝国の勝利はほぼ確実でしょう。そうなったらビザンツにエルサレムを取られてしまう。
エルサレムはゾロアスター教にとっては聖地ではないですし、別に構わないのでは?
さすが愚かな父を尊敬するだけあって、あなたも愚かですなあ。いいですか、エルサレムはビザンツの信仰する正教にとっては聖地なんですよ?聖地を確保して宗教権威を上昇させてしまうと、ビザンツはさらに調子に乗ってしまいとても厄介です。こんなこともわからないんですか?
陛下は日頃から父君である先帝を愚かだとおっしゃっておりますが、恐れながらこのような状況に何も行動できない陛下も立派な愚か者です。
自分が愚かではないと言うのであれば、ビザンツにエルサレムを取られないようにしてみなさいよ!
できないんでしょう?陛下はしょせんはたいした人間ではなかったということです。
ぐだぐだ言ってないでアフリカ王との戦の指揮をとりなさい!さっさとアフリカ王を破って、Galiieeの防衛に向かいますよ!ビザンツに宣戦布告されたとはいえ、AIはアホなので聖地の防衛よりも我々を攻めることを優先する可能性もあるので。
西暦1172年初め。アラビア帝国アフリカ遠征軍は、アフリカ王の主力軍と激突、その撃破に成功する。
おらおら!さっさと負けを認めろ!
主力軍が壊滅的な打撃を受けたことにより、アフリカ王は根を上げた。 1172年2月、アフリカ王は自らの敗北を宣言、アレクサンドリア一帯をアラビア帝国に明け渡した。
アフリカ王との講和が成立すると、アラビア軍は即座にGalileeへと向かった。
ほら、ウマイヤ軍はビザンツの大軍にエルサレムを包囲されてるのにもかかわらず、案の定Galileeを攻めてますよ。
エルサレムを守れやAI…。
この後、まとまった数のウマイヤ軍と遭遇することはなく(おそらくはビザンツ軍によって壊滅させられた)、アラビア軍は着々と敵領の占領を進め、遂に講和となった。
何気にSaffarid朝も敵方で参戦している。
今まで私は自分に素直にはなれずにいました。父のことも本当は尊敬していたのに、愚かだと口では馬鹿にするようなことばかり言ってしまいました。
この間あなたに愚か者と言われ、私は自分が恥ずかしくなりました。本当に私は愚か者です。
陛下、それでこそ人の上に立つ器です。先帝も草葉の陰で喜んでおられることでしょう。
ありがとうございます。早速ですが、私は父の遺志を継ぎたいと思います。
西暦1176年。Mehrzadは第4次アッバース家討伐を宣言、Tigris公爵に対し宣戦布告した。
アッバース家討伐復活。
アラビア軍は数度にわたるアッバース連合軍との会戦に勝利、戦を優勢に進め、無事に勝利を収めた。
思ったよりも苦戦。
しかし、勝利を収めたものの今回の戦では想像以上にアッバース側の抵抗が激しく、苦戦となった。 兵も多く消耗してしまった。 このことが次の大戦の引き金となる。
西暦1180年。先のTigris公戦での兵の消耗に反応したのか、Saffarid朝がアゼルバイジャンを求めて宣戦布告してきた。
兵は回復途上にあります。Saffaridの愚か者を追い払うのは十分可能でしょう。
アラビア軍は兵が回復しきってないものの、逐次召集され、アゼルバイジャンに送られていった。 ところが…
はい、そのまさかです。ビザンツ帝国が宣戦布告してきました…。
当代のビザンツ皇帝Hierotheos帝。Bavandid家にとって宿敵となる人物。
伯領1つで10年の講和期間がもらえるのであれば安いくらいですよ。いずれ取り戻します。
今に見ていろ。
西暦1180年11月。アラビア帝国はビザンツ帝国に降伏、要求する領地を割譲した。 このことがビザンツの勝利と呼べるかどうかは、今も議論が分かれている。 「伯爵領1つのために10年もの停戦期間を強いられたビザンツ帝国にとって、これはある意味敗北である。」 「ビザンツ皇帝はBavandidの帝国にもう少し過酷な条件での講和を要求すべきだった。」 事実、この時成立間もないBavandidアラビアを脅かすことのできる唯一の存在がビザンツ帝国であり、Bavandid家を追いつめることのできる講和条件を強いることのできる立場にいた。 しかし、ビザンツ帝国はそうはしなかった。このことが、後にビザンツ帝国を大きく後悔させることとなる。
とにかく、ビザンツの脅威を封じ込めることに成功したアラビア軍は、全力でペルシア軍に当たりその撃退に成功したのであった。
Saffarid皇帝「もう少しうちとの戦の内容も詳しく述べてよ(泣)!」
このプレイ時、プレイヤーは本気であせってたみたいでスクショを撮る余裕もなかったみたいです。
こ、このゲームはそれぐらいはまれる面白いゲームだということですから(震え声)。
西暦1183年末。Mehrzadは病床にあった。先年のSaffarid朝との戦で受けたけが原因であった。 Mehrzadは片手を失うほどの大けがを負っていたのだ。
「片手王」。こんな異名は初めて見た。
だが、自分に素直になることができてよかった。今はとてもすがすがしい。
この後しばらくしてMehrzadはけがが元で世を去った。 その死に顔は何も後悔のない、満足気なものであったといわれる。 後は長男のGoshtasbが継いだ。