現在家臣の反乱を鎮圧中なので、指導者のみの確認とし、国内状況、世界情勢については
鎮圧後行います。
ブルターニュとアイルランドの王
ブルターニュとミースとグウィネズの公爵
ブルターニュのナント、ヴァンヌ、レンヌ
アイルランドのダブリン、キルデア、オーモンド、アルスター
ウエールズのグウィネズ、コーンウォールの伯爵
54才
能力は17/8/2/4/1
〔ずる賢い悪党〕
〔十字軍戦士〕
〔臆病〕
〔偏執狂〕
〔優柔不断〕
〔親切〕
〔憤怒〕
〔梅毒〕
お近づきになりたくない特徴の持ち主
能力的には見るべきものは無い。
外交能力が17と高めだが、宴会部長等の期間限定の特徴で+6されており、実際は11である。
軍事、管理、陰謀も同様で1年後には 11/6/1/3/1 になっているはず。
家臣の評価は〔優柔不断〕の-10、
〔臆病〕の-5、
〔親切〕で+10の影響があり、
トータルは-5、
〔梅毒〕なので女性相手には-30となる。
すでに54才のうえに病気持ちなので、早々に死んでしまう可能性も高い。
妻はマーシア公爵のキネブルグ。イングランドで大きな力を持っている領主。能力も高め。
息子が3人、娘が2人おり、全員成人で結婚している。
長男のデニール 妻はマンスター公爵トゥルトゥアルドゥスの娘ロナナ
次男のモルヴァン 妻はどこかの庶民 セヴァ
長女のマークハリット 夫はレオン伯爵ブルガコス
次女のラオランサ 夫はオリエル伯爵コンスタンティン
三男のエヴェラルド 妻は姪のヘオデズ(妹アグネスの娘) いとこ同士で結婚している。
弟のジャオウアはレンスターの公爵、妹のアグネスはコルヌアイユ伯爵である。
アグネスは母のあとを追うように死んでしまったので、現在のコルヌアイユ伯は子のナポレオンになっている 大物の予感 (゚∀゚)ヨカーン
ミース公爵時代の顧問団を引き継いでいる。
いまいちなので反乱が一息ついた後に変更する予定。
効率を求めるプレーをするならば、作者のやり方はあまりお勧めできません。 後継者の長男を若いころに領主にしてしまうと、その子供の結婚などをコントロールしづらくなるので 継承を用いた拡大や子孫の能力に支障が出ます。今回の場合だと、子供は全員勝手に結婚してしまっていますし、 更にその次の継承予定者の長男の子も結婚済みになっています。
その他には長子相続制の場合、次男、三男に大きな力を与えるのはよくありません。 その子孫が長年にわたってクレームを持ち続けてしまうので、将来反乱の危険が大きくなります。
領主を任じる際には無能な庶民が一番安全ではあります。
でもやっぱりそれじゃ妄想が捗らないので、どうしても一族や有能な閣僚を優遇してしまいますね。
母から引き継いだ反乱の鎮圧を進める。既に反乱軍は壊滅状態で、ほぼ勝負はついている。
1155年5月
反乱軍に勝利。それぞれ2人からペルフェラッド伯爵号、コノート公爵号を剥奪する。
元コノート公爵(小王)は2領の伯爵として残ってしまうがしょうがない。また反乱するだろう。
反乱を鎮圧し、称号の没収を含め直轄領が合計10州となった。 ネヴェンは管理能力が1なので、直轄領の限界は5しかなく、5州を配らなければならない。
息子3人いるので、今回は家臣ではなく息子だけに領地を与えることにする。 後継者の長男デニールにミース公爵及びその領内のダブリン、キルデア伯爵とコノート公爵(領地は無し)、アルスター伯爵を与える。 次男モルヴァンにはオーモンド伯爵、三男エヴェラルドにコーンウォール伯爵をそれぞれ与えた。
顧問団をほったらかしにしていたので、能力とオピニオンを考慮して変更する。 入れ替えはオピニオンが上下するので、継承直後の変更は重要だ。 似たような能力なら廷臣より封臣(男爵、市長、司教含む)から選んだほうがいい。
全体的に高い能力を持った者がそろっている。
指導者が残念なので頑張ってもらいたい。
反乱が鎮圧されたところで、現在の世界の様子を見てみる。
カトリック圏 HREはザーリア―朝が健在で内乱も少なく非常に安定している。ホーエンシュタウフェンの出番なし。 フランスはカペー家からリモージュ家に王家が移っている。しょっちゅう内乱が起こっていて王の権威は最低である。 イングランドは内乱の影響でマーシアが分裂、他にも信服していない家臣が多く不安定な状態。 イベリアではガリシア王国が順調に異教徒から領土を取り返しつつある。
正教圏 ビザンツは可もなく不可もなくだが、最近少し押され気味だ。 東欧は相変わらず小国家に分裂している。リトアニアが最大勢力。 ルーシは完全に遊牧民に征服されてしまった。
イスラム圏、その他 ファーティマ朝とも大きな変化は見られない。セルジューク朝はメソポタミアを手中にしている。 だが両勢力ともエルサレムを取り返すことは出来ないようだ。 ムラービト朝はイバード派がスンニ派と対立しており、その影響で衰退気味である。 その隙をついてアフリカ王国、マリ王国、マラケシュ首長国などが勢力を広げている。 中欧ではタタール帝国がハンガリーをキリスト教徒から取り返した。教皇はどう出るだろうか。
ブルターニュ王国 ブルターニュ半島とアイルランド島を傘下に治め、ブリテン島にも領土をもった。 ブリタニアに覇権を築く日も近いか。
配下の公爵は
ミース公爵兼コノート公爵の長男デニール
レンスター公爵の弟ジャオウア
マンスター公爵のトゥルトゥアルドゥス の3人
直属の伯爵は8人となっている。
1155年6月
イングランド王ビルートノス1世は王の権威を取り戻すため、イングランドの統一を画策、 再度、マーシア女公キネブルグにノーサンプトンのDe Jureにて宣戦布告した。
当家も妻を助けるためにこの戦争に加わることになった。
# | 指揮官 | 兵数 |
---|---|---|
ブルターニュ軍 | コーンウォール伯エヴェラルド王子 | 3500 |
アイルランド第 | アルスター公デニール王子 | 9700 |
ウェールズ軍 | レンスター公ジャオウア王子 | 1700 |
近衛軍 | ジャオウア兼務 | 1000 |
計 | 15900 |
ブルターニュ王国軍は全軍でブリテン島に上陸し、イングランド王国軍の本陣を目指す。
ウチの子らツエ―
# | ブルターニュ王国 | イングランド王国 |
---|---|---|
総兵力 | 14644 | 12434 |
損害 | 990 | 9186 |
残存兵力 | 13654 | 3248 |
係争の地ノーサンプトン近郊のクロウランドにてイングランド軍12400と会戦し、
自軍の10倍の損害を相手に与える未曾有の大勝利を得た。
イングランドとの戦いが始まったころの1155年11月、ローマ教皇アデオダートゥス3世は 異教徒に奪い返されたハンガリーの解放の為、第2次ハンガリー十字軍を宣言した。
前回のハンガリー十字軍ではイングランド王の活躍が目立ったが、今回はとてもそんな余裕はなく、 遠征はHRE皇帝の主導で進むようだ。近いしな。
当家も今回は形だけ参戦し、兵の派遣は見送ることにする。
1156年1月
エセックス公オスレドがイングランド王座を狙い反乱。満足に戦える兵の少ない王国軍は苦戦必至である。
また、マーシア領内でもダベッド伯が反乱を起こしている。
ココはウェールズやからね。反乱2回目。
1156年5月
この頃ビルートノス1世がイングランド王位を一族でも遠縁のキネウルフに譲渡し、自身はハンガリー王のみを称するようになった。 ビルートノスの戦いにキネウルフもすぐに参戦し、仲良く共同して戦争を進めるようだ。
こんなことってあるんでしょうか?ログに残らないので何が起こったのか正直分かりません・・ ハンガリー十字軍と関係あるのか??
1156年11月
神聖ローマ皇帝ヴィゲリッヒ1世の活躍により第2次ハンガリー十字軍はカトリックの勝利に終わった。 さすがに神聖ローマ帝国は強い。
ただしこの世界で物を言うのは実際の活躍よりも称号なのか、鶴舞う地は
全く戦闘に参加していないハンガリー王ビルートノスのものになった。
また異教徒に蹂躙されるがいい
ジャオウアも父親のボニファチオと同じように手足がちぎれてしまった(つд⊂)
優勢に進めていたイングランド戦だったが、1156年12月長年我が軍を率いてきた弟のジャオウアが戦死。
レンスター公爵は息子のフィーアンヴー(読めない)が継いだ。
これでなんとかおさめてくだせぇ
フィーアンヴーはウチの称号に強いクレームをもっている上に、〔天才〕で能力が高く、非常に危険な存在なので
お金や名誉称号を配って懐柔しておく。
1157年5月
ハンガリー王ビルートノス1世が負けを認め、マーシアを守りきることに成功した。 ハンガリーに領地を得たとはいえ、戦線に投入できるような状態ではなかったようだ。
以下、次回!
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・ ・ ・ アランの治世 その2へAAR/ブリタニアよ、私は帰ってきた!/四代目アラン2