ガエラがアイルランド王を目指していたそのころ、隣のイングランドでは名君マグナス賢明王の死去、
それに続くハンガリーの失陥をきっかけに、大規模な内乱が起ころうとしていた。
1130年11月のマグナス賢明王の死後、イングランド王国、ハンガリー王国を継ぐ。
継承直後にハンガリーを異教徒の侵攻により失う。
ブルターニュ王国後継者ネヴェンの妻キネブルグの姉
前王マグナスの妻でエルフリダ女王とキネブルグの母。 マーシア、ランカスター、デハイバースの3公爵領を有するイングランド一の実力者。
ヨーク公爵領の他、ノーザンバーランドの東部等、イングランド北東地域一帯を治める。
イングランド東部を治めるゴドウィン家の一族。嫡流のハロルド=ゴドウィンソンの弟の系統。
南西部に勢力を持つ有力者
勢力こそ小さいが、自らの影響力をイングランドに行使しようと陰謀をめぐらす。
このほかに南東部を支配するケント公爵、南西部を支配するコーンウォール公爵がいる
ゴドウィン家系図
ハンガリーではタタール帝国の再侵略によりすべての領土を失う。
スコットランド王エドワード1世がテヴィオットデイルの支配を狙い戦争を仕掛けてきている。劣勢。
1131年12月
前王マグナスが死去して1年がたった頃、ウェセックス伯エゼルスタンがイーストアングリア公エセルワルド1世を担ぎ反乱。 スコットランド戦で疲弊している王国はその反乱を抑えることが出来ない。
1132年1月
ウィッチェ公エンベルトがビルートノス王子を担ぎ反乱。ビルートノス王子はエルフリダ女王の三男である。
1132年2月
我が子に背かれたことがショックだったのかエルフリダ女王が死去(58)。 長男のエグベルトがイングランド王、ハンガリー王を継承した。
エグベルトは学習のみ高い聖職者タイプ。混乱の王国を導くのは難しいか。
継承後しばらくでスコットランドと講和。テヴィオットデイルを譲ることとなったが、これで国内に専念できるようになった。
1134年6月
ウェセックス伯エゼルスタンが反乱に勝利する。エゼルワルド1世は既に無くなっており、新しいイングランド王にはその子のイーストアングリア公ガース2世がついた。(イングランド王ガース1世)
前イングランド王エグベルトはハンガリー王として、ブリテン島南部のいくつかの領地を治める小領主となった。
新王ガース1世は暗君です
1134年7月
マーシア女公ベオルートワルがガース1世の王位を認めず、エグベルトの弟(エルフリダ四男)のスタイガンド王子を擁立しガース1世に宣戦。
しかし、その2ヶ月後ベオルートワルは急死。遺領は2人の娘に継承された。 次女キネブルグにマーシア公爵とデハイバース公爵 (領地の南側2/3) 三女ベオルートギフにランカスター公爵 (領地の北側1/3)
キネブルグとベオルートギフは協力して戦争を継続する。 また前イングランド王のハンガリー王エグベルトも与することになる。 そしてキネブルグは義母であるブルターニュ=アイルランド女王ガエラに援軍を依頼することになった。
姑をおだてて金を出させる嫁
1134年10月
嫁からの依頼を受けて参戦を決め、ブリテン島に乗り込むことになった。 イングランド王にはまだヨーク公がついているが、動員可能戦力的には勝っているだろう。 だが戦争中の敵の敵はやっぱり敵なので、ビルートノス王子を擁すウィッチェ公とも出合えば戦闘になる。
ブルターニュ軍、アイルランド軍に分けて2箇所から上陸を試みる。
# | 指揮官 | 兵数 |
---|---|---|
ブルターニュ第1軍 | マルシグリオ | 2200 |
ブルターニュ第2軍 | レオン伯コナン | 2400 |
アイルランド第1軍 | レンスター伯ジャオウア王子 | 2700 |
アイルランド第2軍 | 王配テダルド | 2300 |
アイルランド第3軍 | ヴォームヴィニ | 2900 |
近衛軍 | ヴォームヴィニ兼務 | 500 |
計 | 13000 |
HoIだとこういうの考えるの楽しい。CKはあんまり関係ないか。
ブルターニュ軍とアイルランド第3軍はマーシア領ウェセックスに上陸しロンドン(ミドルセックス)を目指す。(南部方面軍) アイルランド第1軍2軍はランカスター領チェスターに上陸しヨーク方面に向かう。(北部方面軍)
イングランド軍はこれまでの戦いで疲弊し、まとまった軍勢を揃えられていない。
ブルターニュ半島の防備が薄くなった隙をついてか、バイキングの略奪団がコルヌアイユに上陸した。 南部方面軍からアイルランド第3軍2900をケイヴァン将軍に託し、迎撃に向かう。
こんなタイミングやめてよ(´・ω・`)
ウィッチェ公軍が5000を超える数でイングランド首都を攻撃中。 バイキング迎撃に兵を返した為、こちらは5000弱しかおらず、攻撃を避け様子を見る事にする。 しばらく待っているとウィッチェ軍が強襲をかけ、4000以下まで数を減らしたので、 好機とみて南部方面軍が攻撃を仕掛け、優勢に戦いを進める。
右翼丸ごと無くなるの?
勝利も目前だったが、右翼のコナン将軍が戦死!それを機に戦いの流れがウィッチェ公軍に行ってしまう。 なんとかハンガリー王軍700が援軍に間に合い、敵を撃退することに成功した。
その後はイングランド南部にて敵の残党を撃退したり、ケント方面を占領したりしているうちに、戦勝点が100に達し、 1137年9月マーシア伯キネブルグの勝利となった。
イングランド王は3年でガース1世からスタイガンド1世に交代した。
スタイガンド1世は学者肌
イングランドの内乱はまだ終わる気配はないが、マーシア公爵の戦争は終わった為、当家の参戦もここまでになった。
続いている反乱の中では、ウィッチェ公がビルートノス王子を担いで起こしている戦いに、ヨーク公も加担し、
非常に大きな勢力になっている。
ただしどの勢力も疲弊しているので決着には時間がかかりそうな気配がする。
イングランドでの戦闘中、グウィネズのクレームを取得した。
ダンバー神いつもの光景
1138年4月
グウィネズ王に宣戦布告 長いイングランド内戦への参戦で封臣の疲弊がたまっているので、直属軍のみで戦う。
# | 指揮官 | 兵数 |
---|---|---|
ブルターニュ軍 | ケイヴァン | 1900 |
アイルランド軍 | リオク | 3200 |
計 | 5100 |
前軍で敵領土に押し寄せるつもりだったが、グウィネズ王エイド1世の軍勢2000が入れ違いでアイルランドに 上陸したため、あわてて軍を向ける。
3000対2000で壮絶な消耗戦をするリオクさん
戦闘後リオクさんは更迭されました 3200居た兵士は1500になってしまいました。
やっぱり軍事値は大事ですね。適当に9の奴選んだらダメだった。
1139年1月
その後は順調に占領を続け、グウィネズ王が捕縛。ブリテン島に初めての領土を獲得した。
直轄限界を超えたため、伯爵号を1つ家臣に与えることにする。 これまでの貢献を考え、大臣のデヴィッド・ダンバーをアイルランド島マンスター公爵領内の ソーモンド伯爵とする。
でもこれからも大臣ね
1139年8月
オーモンド伯メル=ロサが独立要求を突き付けてきた。
メル=ロサはもともとマンスター王でブルターニュの侵略で領土を奪われた為、オピニオンは-100だった。
もちろん拒否
1139年9月
開戦。
アイルランド島内で反乱に加わらなかったのは
長男のミース公ネヴェン 次男のレンスター伯ジャオウア オリエル伯コンスタンティン
反乱軍は
オーモンド伯メル=ロサ (首謀者) ティロン女伯カフト アルスター伯エイド ティルコネル伯ムルハド ソーモンド伯デイビッド ←えっ?
敵軍は4000~5000だろうか
# | 指揮官 | 兵数 |
---|---|---|
ブルターニュ第1軍 | 王配テダルド | 2300 |
ブルターニュ第2軍 | アラー | 2600 |
アイルランド第1軍 | レンスター伯ジャオウア王子 | 3100 |
アイルランド第2軍 | ユーゴ | 1300 |
近衛軍 | ジャオウア兼任 | 1000 |
計 | 10300 |
全軍アイルランド島に進撃し不忠者どもを蹴散らしていると ブルターニュ本国に見失っていたティルコネル伯軍1000が上陸した。
スイスから来た傭兵の皆さん
せっかく雇ったので傭兵もアイルランド島に向かい城を強襲で落とすことにする。
1140年12月
メル=ロサ降伏。戦闘中に捕縛されていたものを含め、反乱に参加した伯爵たちはすべて牢獄入りになった。
オーモンド伯メル=ロサ →伯爵号剥奪 ティロン女伯カフト →伯爵号剥奪 アルスター伯エイド →伯爵号剥奪 ティルコネル伯ムルハド →伯爵号剥奪
ソーモンド伯デイビッド・ダンバー →無罪。ソーモンド伯を続ける。
これまでの功績を考え無罪とします。よく見たら彼は〔野心〕持ちだった。 廷臣としては有能だけど封臣としては扱いづらいね。
ティロン女伯カフトもオピが100だったので残したかったけど、後継者がまだ当家に属していない
コノート王の子供だったので、称号が他国に流出するのを避けるため剥奪とした。
本隊を率い活躍した次男のジャオウアにレンスター公爵号も授与する。 公爵De Jure内のオッソリー伯爵を与え、もとのレンスター伯爵と合わせ2領に。
長男のネヴェンにダブリン伯爵を与え、ミース公爵領内すべてを任せる。
父親に従わずに主君についたトゥルトウアルドゥス(デイヴィッド・ダンバーの息子)
をデズモンド伯爵に。
いつかダンバー家をスコットランドのダンバーに還そうと思ってたけど、いつの間にか コルヌアイユ家の娘と母系結婚させてしまってた。 ダンバー家はトゥルトウアルドゥスで断絶だね。(m´・ω・`)m ゴメン…
異母弟のデリアンをオーモンド伯爵に。
ダンバーは辞任しました
ダンバーの最後の仕事でコーンウォールのクレームを取得していた。
ブルターニュのブルトン人はコーンウォールから移動してきたのだ。とても重要な土地である。
コーンウォールとコルヌアイユは同じ言葉らしい
1141年1月
コーンウォール公の主君であるハンガリー王エグベルトに宣戦布告 イングランド内はまだまだ内乱の最中であり難しい戦いではないだろう。
# | 指揮官 | 兵数 |
---|---|---|
ブルターニュ第1軍 | 王配テダルド | 1600 |
ブルターニュ第2軍 | アラー | 2200 |
アイルランド第1軍 | レンスター公ジャオウア王子 | 2500 |
アイルランド第2軍 | ルアーク司教 | 1400 |
近衛軍 | ジャオウア兼任 | 1000 |
計 | 8700 |
ルアーク司教は軍事18の武闘派坊主 イングランド大変な状態やね ┐(´∀`)┌ヤレヤレ
1142年6月
戦勝点69でハンガリー王エグベルトが降伏。コーンウォールの地を得た。
グウィネズとコーンウォール、ブリテン島の西部に足がかりを得たブルターニュ王国
ブリタニアを取り戻すことが出来るか。
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以下、次回!
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娘のアグネスの夫が死んだらしい。ジジイだったしね。
ジジイの孫と再婚しているアグネスさん
AIの結婚の判断基準が分からん
多分…
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読んでくれている皆さんありがとうございます。コメント励みになります。
テンポゆっくりでもいいと言ってくださる方がいたので、お言葉に甘えることにしました。
こんなごく普通のプレイを書いただけの面白みに欠けるAARですが、のんびり続けますのでよろしくお願いします。
・ ・ ・ ガエラの治世 その5へAAR/ブリタニアよ、私は帰ってきた!/三代目ガエラ5