AAR/フレイヤの末裔 AAR/フレイヤの末裔/盟主シグルド
有無を言わせぬトールビョルンの調子に気圧されて、ホローレクは震えながら手を伸ばす。指先の先を掠らせる様にして、触れる。
慌てて退げようとするホローレクの右腕を掴み、トールビョルンはその接触を続けさせようとする。 手首を一杯に逸らして尚も避けるが、トールビョルンは強引に、「それ」が這い回る掌に、ホローレクの掌を合わさせた。
老人の一喝に、ホローレクの背筋が伸びる。その間にも、「それ」がトールビョルンの掌から、自分の掌に渡って来るのが解る。
その嫌悪感を、ホローレクは歯を食い縛って耐える。
ホローレクの内心は恐怖で一杯になる。その様子を、トールビョルンは凝と見守る。その眼には義務感が燃えていた。
「恐れてはなりません、たかが虫けらです。しかし、神聖な虫けらです」
合わせられた掌の内側で出口を求め、八本の脚をざわざわと動しながら、「それ」が指を登る。 ホローレクの神経は敏感さを増して、そこに生える毛の一本一本まで感じ取ってしまい、それによって尚も嫌悪と恐怖は増していく。 奥歯をきつく噛み合わせて、鳴り出しそうになるのを何とか押し留める。しかし、逃げ出したい気持ちで全身が戦慄いていた。
眦に涙を溜めながら堪えるホローレクの眼を真直ぐに見て、トールビョルンは言う。
「痛みますか? その蜘蛛は、何かしら貴方を害し得ましたか?」
ホローレクは首を何度も横に振って否定する。トールビョルンに強く握られた手首は痛んだが、蜘蛛はただ這い回るだけで、小さな牙を突き立てる事もしない。
「しかし、貴方が恐れなければ、この虫けらを容易に握り潰す事はできる。解りますね?」
合わさった掌を、トールビョルンが離させる。ホローレクの手に移った蜘蛛は、指の間を這い回りながら行く先を探している様だ。
ホローレクは、何をする事もできずにそれを眺めるばかりだったが、叫び出して腕を振って払う様な事はしなかった。 そのまま数秒を待たせてから、トールビョルンが言う。
指差されたモミの枝に、ホローレクはゆっくりと手を添える。蜘蛛は漸く行き場を見付けて、這う這うとそちらへ逃れていった。 ホローレクは、深い安堵の溜息を吐く。トールビョルンは、また数拍の間を置いてから、にっかと笑った。
事の始まりは木登りだった。オオモミの木を登って遊んでいたら、そこで蜘蛛に驚かされて転げ落ち、あわや大怪我という所だったのだ。 幸い、伴っていた家臣が受け止めて無傷で済んだが、騒ぎを聞き付けたトールビョルンが駆けつけて、先ずは心配するどころか、この様な「教育」に到ったのだった。
「かっかっか! しかし、
「覚えられませ、
「どの様に触れた所で、恐れなければ恐れるに足らない蜘蛛一匹に、です」
「臆病は賢明とは異なり、冷静は勇気の賜物です。恐れるべきでないものを恐れれば、時に致命傷に繋がるのです」
ホローレクはトールビョルンの顔を見る。トールビョルンは常に顔を鉄面で覆っているが、それは戦場で失った鼻を隠す為だという。
「まさしくハナの差! 顔面を襲う一振りを見切って避わし、このトールビョルンはそ奴の喉にサクスを突き立ててやったのです!」
以前、トールビョルンが自分の武者ぶりについて、そう話していたのを思い出す。 鼻を切られるだけで済む事がわかっていればこそ、敵を倒し得た。勇気による冷静。トールビョルンの顔は、その物理的な証明だった。
「ところで先生……『神聖な虫けら』とは、どういう事なのです?」
その質問に、トールビョルンが片眉を上げる。ただ怯えているばかりと思いきや、その最中に言われた事をしっかり記憶している事に感心したのだ。 それは……と、トールビョルンが答えようとした所で、別の声があった。
「
家臣を伴って、庭園に現れたのはグンヒルドだった。心なし青褪めていたホローレクの相貌が色を取り戻す。
「だから、
子供らしい表情で元気に返事をするホローレクを愛しげに抱き締めながら、グンヒルドはトールビョルンに声を掛ける。
「ボトゥルフの妻の体調は思わしくない様だわ。場合によっては……」
「ええ、全てはこの子と、帝国安定の為。シグルドが倒れた時から覚悟はしていたから」
「……畏まりました。しかしこのトールビョルンもそう若くはありませぬ。後任を探されませ、太后陛下」
母と教師の声音が明るくない事を感じ取って、ホローレクの頭上に疑問符が浮かぶ。 グンヒルドは、息子に諭す様に言った。
「シグルドが貴方の父である事がどこに行っても変わらない様に、それはどこに行っても変わらないわ」
「だから、もし母がデンマークを離れる事になっても、寂しがっちゃダメよ、いいわね?」
ホローレクには、母の言わんとする事は解らないでいたが、強く、しかし微かに震える声で言う母から、感じ取れた事もあった。
それは、愛した夫を余りに早く亡くし、今度は息子との別れを決意している母の、深い寂しさだった。
この時のホローレクには、できるだけ強い力で抱き返す事しかできなかった。
1052年頃、つまり戴冠から約4年後のホローレク。分割継承法のスヴィドヨッドのみ、弟のハーラルに継承された。
ホローレクの戴冠式はシェラン島の首府・リングステッドでヨムス・ヴァイキングへの寄進と共に、豪壮に行われた、と伝えられている。
この場所が選ばれたのは、前盟主・シグルドによって宣戦された中フランクとの戦いの為、徴収兵の集合と編成が丁度そこで行われていた為だろう。 ホローレクは当時9歳でありながら、父の死に対しても母・グンヒルドと共に気丈を保ち、幼くして既に王器を感じさせる振る舞いで堂々として……
「我が勇猛なる戦士達よ! この戦は、汝らオーディンの鴉に与えられた餌場である!!」
そう、自らの名前である"
教育係はイェリング首長・トールビョルン、そして彼が1049年の5月に倒れると、後任をセナーボー女首長・イルヴァが務めた。
教育係・トールビョルンとイルヴァ。どちらも勤勉な人格者であり、且つ非常に信仰に熱心な事で知られていた。
特にトールビョルンは、臆病な所の見られたホローレクに蜘蛛を触らせて、勇気について説いたエピソードが有名である。
最初の摂政はヴァステルヴィーク市長・トールフィンである。
摂政・トールフィン。族長階級ではなく自由階級の出自である彼への民会の風当たりは強く、水面下では家令長との権力争いが行われいていた。
そして、トールフィンが先ず行ったのはホローレクの婚約者探しである。
1052年時点の、マエル姫。名家の出自と美貌を誇示する事を厭わないが、その正直さが彼女の魅力であったという。
選ばれたのはイェストリークランド族長・ホラーフンの娘、インリング氏族のマエルである。ホローレクの10歳年上であったが、重要視されたのは彼女の社交能力の高さで、家臣の膨大化によって効率的な民会の統制を維持するのが難しくなっていた為、優れた補佐役となるだろうと考えられての事だった。
そして、シグルドによって発せられた中フランク分割戦争を、元帥ら顧問団と共に指揮したのである。
1049年1月、スカンジナヴィア軍・約15000名がオランダの中フランク領に陸路で上陸。 迎撃の為に待機していたズビネック2世の軍勢・約5000名とハールレム司教領で会戦となるが、員数・練度・士気の何れに於いてもノルドが上回り、鎧袖一触にする。
上陸当時のオランダと、中フランク=バイエルン王・ズビネック2世の様子。ズビネック2世は失地の恐怖に震えるばかりで、家臣達を呆れさせたという。 因みにズビネック2世はどうやらその小心さが母性を擽るタイプだったのか、何人もの愛人がおり、後には「不貞王」の仇名で呼ばれている。
スカンジナヴィア軍が組織的に中フランクに上陸したのはカルル帝による「ネヘレニア戦争」、インガ帝による「ゼーラントの長い戦い」、ハルステン王による「オランダ聖戦」と続いて、これで四度目で、その度に(過剰な程)手酷い敗北を喫している。しかし、今度の戦いはその中でも悲惨な結末を迎える事になる。
ハールレム会戦以降は決戦らしい決戦もなく、スカンジナヴィア軍はフリギア内の中フランク領を占領。 1050年の2月頃、終戦直前に西フランク王・ギーグ3世が援護の声明を出したが、その頃には既に大勢は決しており*1、ルーン会戦で残存兵力を蹴散らされた事を切っ掛けにズビネック2世はエルフスウィスへの中フランク王位の禅譲を決定した。フリギアの領土と、ロタンギリア(中フランク)の中でもズビネックの直轄地とされている地域は、ズビネックに残されたバイエルン王冠の支配下に残される事となったが、これによって中フランクとバイエルンの国力は大いに低下する事となる。
エルフスウィスへの戴冠式にはホローレクを始め、デンマーク~フリギアの
エルフスウィスはというと……
「見たかズビネック! ノルドは信仰を失ったキリスト者への懲罰! 彼らは悪鬼ならず、全き信心者にのみ味方するのだ!!」
と、ノルド達の笑い声をズビネックへの嘲笑だと考えて得意絶頂であったという。
1052年時点、赤線で囲んでいるのがバイエルン領、緑線で囲んでいるのが中フランク領。原形を喪失しつつある。
事実、ズビネックはこの戦争で、諸侯を制御する為の兵力を喪失してしまい、直ぐにオーストリア公・ウラジミールに王位を禅譲させられている(なので以降はルクセンブルクと上ロレーヌの公爵となっている)。
新たなるバイエルン王・ウラジミール・モイミル。オーストリアでは「公正公」と慕われた名君であり、分割戦争に於いて軍団を指揮した人物でもある。 系図上はオーストリア公爵位を継承したペルリム残酷王の三男・ヴァーツラフ隻腕公の子孫である(ズビネック2世は当然、長子・ズビネック悪王の直系である)。
この時代、長らく同君連合にあった国が分裂すると悲惨である。国内の婚姻関係と継承によって相続権・請求権は複雑に入り乱れ、再統合を目指しての戦乱と陰謀の嵐が巻き起こる。それは、中フランクとバイエルンに於いても例外ではなく、ウラジミールは中フランクへの請求権こそ持たないものの、国内には中フランク内の様々な称号への請求権を持つ人物がおり、開戦事由には事欠かない状態であったのだ。 ウラジミールは家臣の宮中に下ロレーヌ公位への請求権を持つマルグリット・ザーリアー(当時の下ロレーヌ女公・アルベラデ・ザーリアーの大叔母)を見つけると、その請求権を行使。1050年中にバイエルンと中フランクは開戦に到る。
しかしウラジミールは既に老齢で、戦傷も癒えぬまま1051年2月頃に崩御する。王位はその長男・フレデリクが継承した。
ウラジミールの長子・フレデリク。本人は争いを嫌う性格で、分割戦争最大の被害者とも言われている。
戦禍の傷痕も塞がり切らない二国の戦争を、周囲が放置しておく筈もない。 特に、これを好機と見たのは、長い継承戦争を終えたドイツ王国(継承戦争については番外編の方を参照していただきたい)と、ヴェニス共和国である。長らく東フランクの慣習領土と看做されながら、二世紀近くも中フランク支配下にあったケルン司教領の回復の為にヴィクトル王はフレデリク王に宣戦布告。ヴェニス市長公・ジェラルド・オルセオーロはそれに便乗してバイエルン最南部・アクイレイア伯領のウディネ市の支配権を求めて侵攻を開始した。これらの戦いで消耗した国々では更に叛乱や暴動が起こり、収拾の付かない事態に陥っていく。
現在の学校教育では北海戦争を、スカンジナヴィア帝国によるキリスト教徒への大侵略戦争、第二の大移動であった様に紹介する事が多いが、実際にはこうして、ブリテン島~フリギア~バイエルンの地域からは完全に平和が消失したのであり、ドイツ継承戦争も合わせて考えるまでもなく、(それがシグルド帝やその継承者達の思惑通りであったとしても)キリスト教徒同士が争った部分もかなり大きいのである。
因みに、ブリテン島とフリギアに、戦乱最大の原因であるスカンジナヴィア帝国の位置を加えると、丁度北海を内海として戦いが広がっていく形を取る。それが、"
分割戦争が終わると、スカンジナヴィア軍は解散せずにそのままブリテン島へ移送された。名目上はケントで発生したカソリックの大規模な暴動への対処であるが、これは直ぐに鎮圧されている。 真の目的は……
ウェールズ戦役の直接介入である。
この時、ブリソニア王・クステニン2世はウィッチェ大族長・スヴェンの迎撃に全力を注ぎ、その撃退に成功。獲得した賠償金を投入して傭兵を雇い、同盟国の援軍と合わせて何と1万名を超える兵員を揃え、ノルド勢力をほぼ全て駆逐する事に成功していたのである。
これに対して、帝国民会は何の声明も出さずに略奪隊としてウェールズに侵攻する事を決定。実際には略奪もそこそこに……
敵部隊に直接攻撃を仕掛け、壊滅させたのである。ウェールズ人達はこれを卑劣な不意打ちと、怨嗟の悲鳴を上げながら虐殺されていった。それが終わると、部隊はグローチェスターに留まって今度こそ略奪を開始。兵員だけでなく無辜の民も含めて何千何万という人々がその欲望の犠牲になった。 ビルゲルの宣戦布告に始まるウェールズ戦役の有様は「あらゆる山に死体の山が築かれ、あらゆる河に血の河が流れ込み、空は暗雲と見紛う鴉の群れに覆われていた」と北海戦争記には記されている。
この報せを受けて怒り狂ったカソリック教徒が、1051年の3月頃に再びケントで決起。スカンジナヴィア軍は再びその鎮圧に向かう。
しかし、ウェールズには死者を悼む暇も与えられない。上画像資料の左上部で戦う約6600名の兵員こそ、ブリソニア王国の新たな敵だったのである。
攻撃したのはブローンスヴィ大族長・コス氏族の"賢明なる"ソルクヴェルである。ビルゲルやスヴェンがブリソニア軍とその同盟軍を弱らせた所で、漁夫の利を狙うつもりで兵員を募っていたが、クステニンの防衛体制が想像以上に強力であった為に躊躇していた所を、帝国本隊によって隙ができた、と聞いて意気揚々と上陸したのである。 あらゆる手段を用いて集められた兵員を壊滅させられ、ウェールズはソルクヴェルの軍に占領されるがままとなった。
更にそれに便乗したのは、マーシア大族長・アフ・ウィッティンゲン氏族のオイステンである。
ウィッチェ大族長の失敗した聖戦を、今度は自分が完遂すると宣言し、ウェールズに重ねて侵攻したのである。
今度こそブリソニア王国に為す術なしと見て、帝国本隊は解散。イングランド総督・ボトゥルフも、ウェセックス王国へミドルセックス公領を求めて侵攻を開始する。
ウェセックス王・エゼルリック2世。十字軍にも参加し、ノルドとも戦い続けた猛将のイメージがあるが、実際には学問を尊ぶ穏やかな人物であったという。
所で、この前後にボトゥルフの妻が27歳の若さで病に倒れ、太后・グンヒルドとの再婚を求めていた。ホローレクはこれを承諾し、グンヒルドはボトゥルフと再婚、イングランド総督夫人となる。
しかし、この結婚は実際にはグンヒルドからの提案であった、とも考えられている。 そうというのも、属州とはいえイングランドはスカンジナヴィアに較べて開発も進んでいて、非常に豊かな土地である。如何にホローレクが名君の片鱗を見せたとて、少年は少年、侮る者や、隙を窺う者も少なくはなく、仮にそんな者達にボトゥルフが手を貸せば、「ヴァニル戦争」の様な深刻な内乱に発展する可能性があった。グンヒルドはそれを防ぐ為、「太后の後夫・盟主の継父」という地位を餌に堅い血族同盟によって主従関係を安定させようと考えた、という事である。 とはいえ、彼女はこの時にボトゥルフにあった3人の子供達も我が子の様に愛し、スカンジナヴィアとブリテンの、両方の母親として語られる様になる。
因みに、"勝利者"エイリフによるアイルランド征服が始まったのもこの頃である。1052年末頃には既にムーム公領の大部分を征服している。
1052年頃、民会は新たな摂政にスコーネ大族長・ブレイク氏族のソルクヴェルを選出している。
彼はシグルドの戴冠時に(デンマーク王は伝統的にユラン=シェラン大族長位も同時に継承する為)スコーネ大族長位を下賜されており、その高い管財能力から家令長を任されていた人物である。前摂政・トールフィンは
これに、「皇帝の地位をゆるがせにする行為だ!」と声を上げる者もいたが、ホローレク自身は「良い、享受せよ」とそれを認める発言をした。 しかし、後には「自分はあの時に忍耐を身に付けた」と回顧していたとも言われており、心中は穏やかならなかった様である。
この直後から、東方のノルド世界が騒がしくなる。 最初は、"フレイの剣"ハフリド女王の支配するリトアニア王国で、スカロヴィア族長・フローニ氏族のシグルドが起こした反乱に対する援護要請である。
反乱の原因は、そのシグルドがキリスト教に改宗した事が理由だった。盟主の氏族であるフローニからの改宗者という事件で、ハフリドはそれが判明して直ぐに所領の取り上げを決定したのだが、それに対してシグルドが挙兵したのである*2。 とはいえハフリドとシグルドの兵力差は圧倒的で、直ぐに鎮圧されるものだろうと考えられたので、摂政・ソルクヴェルは盟主座の権威による名文を与えるに留め、派兵は見送っている。実際にこの叛乱は1054年中に鎮圧され、シグルドはその後幽閉されたという。
続けて、正教国・ルテニアの聖戦を受けて苦境に立たされているトョルフィ朝ホルムガルド王・スヴェンへの援護が決定される。
1054年時点のホルムガルド王・スヴェン。凄まじい勢いで迫る正教徒に対してかなりの領地を失ってしまった。
上画像資料は左図が1054年初頭の、右図が12年遡って1042年(つまりギュリドによる東方領域分離から約1~2年後)の、ホルムガルドとその周辺勢力図である。 1042年当初には地図の中にすらないルテニア王国の躍進によって、南方の版図を大きく喪失しているのがわかる。一体ロシアに何が起こったのか?
それには一人の男の出現が関わっている。
コブリンのイェフスタフィ、つまり、イェフスタフィ解放王である。
この人物は1047年の3月初頭、ホルムガルドに支配されていたべレスティ族領のコブリン市で1万人近い正教徒を煽動して蜂起。正教国たるルテニア王国の復活の為に族長達に戦いを挑むと、ホルムガルド王の軍勢を次々に蹴散らし、1048年には慣習領土の半分以上を獲得してそれを果たしたのである。
所で、以前にリャコヴィッチ朝のルテニア王国について少し触れているが、ルテニア王冠がどの様な遍歴を辿っているのかを見てみよう。
ルテニア王冠はキエフ=ヴィーテブスク女大首長・ウリヤーナによってスラヴ系の多神教国家として創設された後、長子・スタニスワフ1世によってリャコヴィッチ朝が拓かれた。更にその長子・オレグ肥満王へと継承されると、彼の改宗によって正教国となっている。オレグが崩御すると、その後2年程はスタニスワフ2世とその弟・ヴァチェスラフによる継承争いが起こって所在が安定しなかったが、最終的にはヴァチェスラフが勝利して、崩御の後にはその息子・イヴァンに継承された(因みにそのどさくさに紛れてキエフ公領はアールパード朝の"慈悲深き"エレクによって征服されて、独立している……のだが、キエフ伯領は直轄領であった為にルテニア内に残った。ややこしい。)。 イヴァンは、当時まだスカンジナヴィア帝国領だったホルムガルドの大族長・トョルフィ氏族のヘルギ2世の侵略を受けて、1036年に全ての領土を喪失している。この時点でルテニア王位は一度破壊されたのである。 そして、1048年の8月、イェフスタフィはノルドをルテニア領から駆逐した功績からジョージア総主教の戴冠を享けてルテニア王となった。また、この時にジョージア王・エレクレ残酷王の孫娘・レラとの結婚式も行われ、ルテニアの新たな王朝と、バグラチオン家の同盟が締結されたのである。
しかし、正教戦士達の蛮族への怒りは尚も治まらず、スヴェンが焦ってウラジミールを獲得しようと聖戦を開始したのを知ると、その横っ面を殴りつける様にして、ホルムガルドを求める聖戦に到ったのである。
分離された東方領域は、周辺の異教徒を平定して盟約下に組み込み、正教会と帝国の間に立つ厚い壁となる事を期待されていたが、このままホルムガルドがルテニアに飲み込まれれば、それどころかフィンランドで正教の大国と隣接する形になってしまう。この援護の決定は、「盟約の履行」というよりは、そういった打算によって決定されたたものであると思われる。
本土で再編成された帝国軍・約14000名は1053年9月頃に到着し、トルジョークの占領を進めるルテニア軍・約7000名に攻撃し、数の差で圧勝する。そして、約一年の攻囲によってトルジョークを解放。これによって主力部隊を喪失したルテニア軍に対し、ホルムガルドは有利に立つのである。
シグビョルンがブリソニアに降伏した、という報せがホーセンスに入ったのも丁度その頃の事だった。シグビョルンは集めた兵員を全て壊滅させられてしまっていたし、10年近くに及んだ戦いでゲルレ民会からも厭戦の気運が高まっていた事から、これは十分に予想された事だった。 しかし、報せはそれだけに留まらなかった。帝国軍が東方に目を向けている間にウェールズでは恐るべき事が起こっていた。
クステニン2世はブローンスヴィ大族長・ソルクヴェルや、マーシア大族長・オイステンの軍勢を退け、全てのノルドをカンブリア山脈の向こう側に叩き出す事に成功していたのである。 更に、シグビョルンの支払った賠償金と、ノルドへの勝利で得たキリスト者からの名望を利用してチュートン騎士団をも召喚。曰く付きの同盟参戦をしているカラトラバ騎士団は当然の事、それにヨハネ騎士団も既に合流していた。
なんと、ウェールズに三つの修道騎士団が揃い踏んだのである。
ウェールズには、ブリソニア王の本来の最大動員力の四倍近い、約2万もの兵力が居並び、侵略者を睨み付けていた*3。
驚くべき事に、これは帝国本隊の最大動員力すら優に上回る員数で、仮に盟主が本格的にウェールズ戦役に介入したとしても、これまでの様に必勝とはいかない状態となっていた。そこで、民会は「とりあえず」の案として、兵員補充に多大な金額が掛かる為にインガの代に規模を縮小されていた常備軍の再拡充を考える。その財源として、イングランドで徴収兵を集め、イングランド総督・ボトゥルフを援護するついでに、ウェセックス王国で略奪を行う、という方針が決まった。
そして、1055年の7月……
盟主・ホローレク、成人。深い学識と忍耐を備え、穏やかながら社交性に富んだ人物に育っていたという。
この名君が、帝国に絶頂期を齎すのである。