AAR/フレイヤの末裔 AAR/フレイヤの末裔/盟主ギュリド(後編)
我は五十と一つの戦さを闘った 多くの敵の苦しみこそ我が名誉であった まさか我が死が蛇によるとは思いもしなかった とはいえ運命とはしばしば我らの考えと異なるものだ
老いた豚の有様を知れば子豚共は鳴くだろう 我に与えられたこの所業を知ったなら 我が肉に潜り込み 痛みを強いて 血を啜る蛇について知ったなら 我が命は最早これまで 獣によって奪われるのだ
――『ラグナル・ロズブロークのサガ』
ギュリドの背にはぴくりとも動揺の気配がない。しかし、そんな母の無反応を、シグルドは予想していた。
「ビルゲルの身体は、父さんが持っていった。テュストから船葬するって」
「それでもう……ホーセンスには戻らないって。父さんは、母さんがやらせたんだって思ってる……」
ウルフが下手人の正体を知った時の激昂ぶりを思い出して、シグルドの身体は震える。優しく陽気な父が、母への怨嗟を叫び、慟哭する姿が臆病なシグルドに与えた衝撃は深刻なものだった。 しかし、シグルドは母に確認しなければならなかった。どれ程恐ろしくとも、知る義務が自分にあると考えていた。
やはり、母の背に動揺は無い。文机に向かい、世界の全てから孤立している。 しかし、だからこそ、シグルドは母の事を理解しなければならなかった。
「確かに僕もビルゲルは嫌いだった。傲慢だし、乱暴だし、勉強一つしない癖に、臆病な僕をいつも馬鹿にしてた……」
シグルドの悲痛な声に何かを感じたのか、ギュリドの気配が変わった。ページを捲る手が止まり、意識の方向がこちらへ向いた様にシグルドには思えた。 ならば、と、柄にも無く大きな声で、シグルドは問う。今問わねば、自分が同じ問いをする勇気を得る機会が二度と無いだろうと思ったから。
「ねえ、何でさ! 僕やビルゲルや、ギュラの結婚にも興味がなかったみたいな癖に!」
「母様がスコーネを僕に分けた時から疑問だった! ビルゲルには随分詰られたよ! 『次の盟主が俺だってのは忘れるなよ』って!」
「『ただの生前分与だろ』って僕は言ったよ……実際、そう思ってたから……それくらいしか、説明がつかなかったから……」
「スヴィドヨッドが分割相続だからって、別に独立するわけじゃないし、説明がつかないじゃないか!」
「僕はビルゲルが皇帝でも構いやしなかった! 僕なんかよりあいつの方がよっぽどノルドらしかったじゃないか!!」
シグルドは問いながら、自分の質問の目的がどこにあるのか解らなくなって来ていた。自分が求めているのが本当に、「母の真意を知る事」なのかどうかが。
シグルドは、自分が母に何かを求めている事に気付いていなかった。この人物にそれを求める事が、余りにも不毛である事を理性で理解していたから。 しかし、彼の心は求めていた。母が、何らかの人間性によって、『自分を選んだ』という真実を。
と、ギュリドが言った。
シグルドには、母が何を意図しているのかが解らないままだ。ギュリドは構わずに続ける。
シグルドの背が凍る。余りにも異なる倫理に直面して、思考が停止してしまう。
間の抜けた声を上げるシグルドに漸くで振り返ったギュリドの頭上には疑問符が浮かんでいた。
ギュリドは小さな溜息と共にその言葉を繰り返した。
どの道、誰も彼も死んでしまうのに。なぜそんな簡単な事が誰にもわからないのか、ギュリドには疑問だった。魂の半分を共有していた筈のアルフリドだけが先立ち、自分が地上に遺されたのなら、死は単なる「無常」であるのに、何の復讐が果たし得るというのか。 しかし、歴史を遡ればノルド人がキリスト教徒を単なる獲物と看做すのをやめて、実際的な意味で「敵」とする様になったその始まりは、ラグナル・ロズブロークの死に対する、その息子達による復讐ではないか。だとすれば、ノルドの歴史は復讐の歴史でもあるといえる。
思わず笑いが零れていた。折りしもエストニアでは、時を超えた
上記の日付からは少々遡るが、今回は予告通りにギュリドが大聖戦の最中にどうしていたのかについてから始めよう。
残されている断片的な資料によれば、ギュリドは天文台で星を眺めていた所、奇妙に明滅する天体を発見し、その研究に没頭していた様である。 ノルド人にとっての天文学は航海術と不可分であったが、逆に言えばそれ以上の意味を持たず、ギュリドの見出したその「奇妙な星」の研究は一時停滞する。
しかし、彼女の学究心はそこに留まらず、当時天文学の本場であった中東にイブラヒムなる老賢者の存在を知ると、留学を決意したのである。
そして、ついにはその人物との接触に成功し、膨大な黄金と引き換えにある書物を譲り受けたのだと言う。
宮廷に戻ってからは憑かれた様にその解読に没頭し……その知識の秘奥から、魔術を習得するに到ったとさえ言われている。魔術というのは大袈裟にしても、当時の最先進国の一つであったアラブの学問と知見を吸収したギュリドの才知は急速に伸び、主に政治分野に関しての研究が著しく進んでいる。
しかし、肝心の天体の正体や、その書物については、今では何の手がかりも残されていない(理由については次回述べよう)。
終戦講和時、オスムンド2世はイングランド王位をギュリドに禅譲し、以降ポウィス王を名乗る。しかしこれが実質の剥奪であった事は明らかだ。ともかく、これによってイングランドは名実共にスカンジナヴィア帝国に組み込まれる事となった。 とはいえ、ギュリドの卓抜な政務能力を以ってしてもイングランドの広大且つ豊かな領土を全てホーセンスの宮廷で直轄管理する事は不可能だったので(当然である)、新たに族長達が封じられる事となった。
こうしてイングランド領内に授封を享けた者は六名。 ・東アングリア大族長にはスロヴェンスキー氏族のゲイル ・エセックス大族長にはナッドオオア氏族のキャルタン ・ウィッチェ大族長にはアフ・アケルスフス氏族のスヴェン ・ランカスター大族長にはウィルクス氏族のオッド ・マーシア大族長にはアフ・ウィッティンゲン氏族のオイステン ・リンカン族長にはクニュットリング氏族のエムンド
恐らくは力を持たせ過ぎない為に、彼らは何れも所領を持たない者から選ばれた。 しかし、それでも膨大化した直臣数は民会の許容量をオーバーしていた為、ギュリドは大鉈を振るう。つまり……
プスコフ大族長・スロヴェンスキー氏族のトールドと……
ホルムガルド大族長・トョルフィ氏族の"誘惑者"ヘルギ2世と……
リトアニア女王・フローニ氏族の"フレイの剣"ハフリドら、スカンジナヴィア帝国本土の慣習領土に所領を持たない族長達に、それぞれ独立を認めたのである。
加えて、この時にギュリドの次男・シグルドが双子の兄であるシグルドを差し置いてスコーネ大族長に封じられている。
この東方領域の思い切った分離は家臣達を大いに驚かせた。しかし、東方で起こる反乱や暴動の鎮圧は非常に骨が折れるものであった事も理解しており、ある意味では厄介払いであるとも考えて受け入れた様である。また、独立によって自由度を増した振る舞いが可能になった彼らが、周辺部族を平定してノルド化する事も期待していた。 しかし、この時点でギュリドの擁していた王冠はデンマーク、ノルウェー、スヴィドヨッド、イングランドの四つがあり、直臣数の問題についてはその何れかを大族長に下賜する事で解消できた問題なのでは? と言う者もあった。特にイングランドは慣習領土外でもある事から、その王位保持に固執する必要性が疑問視された。
これに対してギュリドは民会でこの様に答えたという。
「デーン、ノース、スヴェアを統べる三王冠と、それを統べる帝冠は不可分一体……盟主はこれを永遠に手放してはならないわ」
「それに、私達の盟約は信仰によって結びつく絆でしょう……? それが必ずしも、帝冠による支配である必要はないわ」
「……でも、イングランドについては、試してみたい事があるの……」
この宣言は「盟主の三王冠宣言」として重んじられる事となり、これによって三王冠は盟主座と皇帝位を象徴する「
しかし、その真意は1043年の4月に明らかになる。
イングランド獲得と東方領域の分離から約2年半の間、スカンジナヴィアは大聖戦で消耗した兵力や財力の回復、そしてイングランド各所で起こる暴動への対処に追われていた。レスターやノーフォークでは教化も進み、イングランド支配の磐石化も見えて来た1043年4月の上旬……帝都・ホーセンスは騒然としていた。
皇太子・ビルゲルが、その近衛によって殺害されたのである。 下手人はビルゲルの就寝中に室内に侵入した。運良く目を覚ましたビルゲルであったが、応戦するも幸運は二度続かず、凶刃に掛かったのである。そして、騒音によって集まった家臣に捕らえられた男は、なんと中東から帰還した頃にギュリドによってビルゲルに宛がわれた近衛で、寝所を衛る役目を利用しての犯行だったのである。
こうなると、ギュリドによる子殺しの疑惑が浮上するのは当然である。
ギュリドはこの疑惑に対して沈黙を守った様であるが、動機はある。上記の通り、スヴィドヨッド王冠は「帝冠と不可分一体」と宣言されたにも関わらず、未だ分割相続されるものと看做されていた。しかし、ギュリドにはビルゲルとシグルドという双子の息子がいたが為に、殺さずにはいられなかったのだという事である*1。 加えて……
……ビルゲルは傲慢且つ強欲な上に残忍で、母とは異なり学問や政務に全く興味も無く、盟主としての器に満たない事は誰の目にも明らかであると考えられていたのである。
この事件の直後にギュリドは大民会を開き、自らの研究成果について発表する。
大族長を終身制の地方総督に任じる事による属州支配柔軟化の提案である。この場合、属州とはつまりイングランドである。 一部反発はあったものの、名代としての王権であるとは言え、封建的な授封に較べればより「柔軟」な下賜が期待される総督位に多くの族長は興味を持った。キリスト教徒に対して優位を維持している現在、「潜在的な属州」は欧州に広大であると考える者も少なくなかっただろう。
そうして、ものの数ヶ月で総督制度は可決された。イングランド地方初代総督を委されたのは……
ビルゲルの死によって皇太子となったギュリドの次男、つまりスコーネ大族長・シグルドであった。
シグルドは祖父・ハルステンや、若き日のギュリドと同様に愚鈍と呼ばれていたが、兄とはまるで正反対の慈悲深く寛大な性格で慕われていた。帝位継承までイングランド地方総督に就かせる事で、政務者としての習熟を促す目的があったものと考えられている。ビルゲルではなく彼がスコーネ大族長に封じられたのもこの伏線であったのだと臣民達は合点した。
ビルゲルの死と、シグルドの総督任命。これによって三王位の分裂は回避され、既に40代も中盤に差し掛かって、悪くすればいつ崩御するとも知れない女盟主の後継者問題は終結したのである。
また、皇配・ウルフはその2ヶ月後に風邪をこじらせて44歳で病死している。 彼はビルゲルも深く愛しており、ビルゲルを殺したギュリドに対して復讐するべく派閥を形成しようとしていたが、それが叶う事は無かった。
丁度その頃、フォース湾にそれは現れた。
「ノーサンブリアの王・サイネルフよ、この旗に見覚えがあろう!」
「汝の父から、祖父から、曽祖父から、我らの悪夢を伝え聞いておろう!!」
「我はローンヴァルドの子、トティル残酷王の孫、そして"白シャツ"ハルフダンの末裔・エイリフ!」
「エッラの末裔よ、老い豚と同じく蛇穴で鳴く覚悟を済ませるが良い!!」
100隻もの竜船を並べ、1万2千人を超えるノルド戦士がノーサンブリア王国に宣戦布告したのである。
この侵略は、フレイによってレヴァル族長に封じられ、ヴァニル戦争後の領地整理でエストニア大族長に封じられたローンヴァルドの子、つまり"
ヴィットセルク氏族の長にしてエストニア大族長・エイリフ。天才的な弁舌で志願者を募り、入念な準備の末に侵略を決行した。
白シャツにとってノーサンブリアは因縁の地である。彼らは言わずと知れた最初の大異教軍の指導者・ハルフダンを家祖とする氏族であり、その大異教軍が行われたそもそもの理由が(他にもいろいろとあったとはいえ)、当時のノーサンブリア王・エッラにハルフダンの父・ラグナルが殺害された事による。
結局、ハルフダンはヨルヴィクの割譲は達成したものの、フレイヤの時代に述べた様に、彼は"蛇目の"シグルドによるクールラント征服に手を貸した事でラトガル人に囚われて獄死、その後にもう一人の指導者でありハルフダンの兄である"骨なし"イヴァルも老死する。二人の指導者を失った大異教軍は力を失ってキリスト教徒に劣勢となり、トティル残酷王が最後の版図を喪失した事で完全敗北を喫している。
エイリフは氏族の悲願ともいえる
サイネルフはブリテン島・アイルランド諸侯に救援を求めると共に、チュートン騎士団を召喚して応戦した。
しかし各軍の合流が不完全な状態でチュートン騎士団から撃破され、戦況は大きくエイリフ有利に傾いたのである。
大聖戦に続けて起こったこの戦いにキリスト教徒達は悲鳴を上げたが、ギュリドはそれに更に追い討ちをかけた。
ケント王・イアン・デ・ギードとケント王国。イアンは暴飲暴食を好みながらも、勇敢さと勤勉さを備えた人物で知られていた。 因みにへースティング家の家祖はブレイス(ブルターニュ)を征服した英雄的ノルド人・へーステンであるが、長らくキリスト教とブレトン文化を受容している。
1044年初頭、ケント王国に聖戦を布告したのである。 ケント王・イアン・デ・ギードは周辺国に援軍を要請したが、多くはノーサンブリアに掛かり切りで、応じたのはブレフネ女伯・モールのみであった。
更に……
ブリソニア王・クステニン2世。十字軍で武を誇ったエンフィダイ禿頭王を父に持ち、彼自身も信仰に篤い人物であったと言われている。 エンフィダイ禿頭王は1043年にノーサンブリアで戦死しており、クステニンは即位したばかりである。
ギュリドの甥であるゲルレ大族長・シグビョルンが、ブリソニア侵略の為に準備を進めていた。
ゲルレ大族長・"若き"シグビョルン。「熊に勝る者」の名の通り非常に頑強な肉体に、燃える野心と残忍さ、そして忍耐を宿した少年であったと伝えられている。 ギュリドの妹・"賢明なる"アルフリドの息子であるが、子殺しの一件からギュリドを徹底して嫌悪していたという。
第一・第二の大異教軍は失敗に終わったが、盟約を得た第三の挑戦によって、ノルドはいよいよブリテン島を我が物にせんと戦意を漲らせていたのである。
しかし……
象限儀を覗き込むと、無数の光が錯綜する夜宙。
ノルド人にとって星々の光は
ギュリドはそこから多くの事を知っていた。あらゆる勝利を、あらゆる戦いを、あらゆる死をそこに見出していた。 ビルゲルの死は、単にそういう事だった。彼の星が光を消したのだから、ギュリドはそれを実行した。ウルフの星も殆ど姿を失っていたから、彼がどうなるかも解っていた。
ギュリドには、今ブリテンで起こっている事が、単なる前哨戦に過ぎない事も解っていた。 フランクを構成する星々が、まもなく混沌に呑まれるのを、知っていた。 北海を中心に、長い長い戦いが、始まろうとしているのが。
ふと、その中心にある星を見ようと角度を変えたら、自分の星の傍に見覚えの無い輝きがあるのが解った。 それは「オーディンの車」と呼ばれる七ツ星の傍で、幽かな光芒を放っていた。
それが、アルフリドの星である事がギュリドには直感できた。 すると、ギュリドの星の周囲に、次々にそんな幽かな星々が現れ始める。
そして、一際強い光を放って……
ギュリドの魂は巨大な石のアーチを滑り出して、彼女らと合流する。 心が、孤独の終わる安らぎに満たされていく。
微笑む家族達の中へ浮遊しながら
ギュリドの星が少しずつ
光を消していった。
徴収兵の編成が終わり、漸くケントでの攻囲戦が始まったというある日の朝。いつもの様に天文台で寝泊りしていたギュリドに朝食の時間が来た事を報せようとした近衛は、ギュリドへ扉越しに声を掛けた。幾度声を掛けても返事が無いので、畏れながらに入室すると、盟主の身体は覗き窓の前に頽れていて、触れてみるとそれが氷の様に冷たくなっていた事で漸く身罷られた事が知れたという。その表情は、家臣達には見せた事も無い様な"人間らしい"安ぎの微笑であったという。
愚鈍と呼ばれて育ち、余りにも幼いまま両親を喪い、戴冠し、ヴァニル戦争、叔父・ヘルギの処刑、ブリュンシュヴィック聖戦、大聖戦と第三次・大異教軍、中東留学、東方領域の分離、長男・ビルゲルの暗殺、総督制の採用、ケント聖戦……良くも悪くもダイナミズムに溢れた生き様を駆け抜けて、敵味方問わず恐れられた女盟主は、その余りにも穏やかな幕引きで家臣達を驚かせた。 天才とも狂人言われ、悪女とも聖女とも看做される彼女を一口に評価するのは難しい。ただ一つだけ確実なのは、彼女の治世全てが、スカンジナヴィア帝国だけでなく、中世ヨーロッパ全てにとって大事件であったという事である。
何と言っても彼女の大聖戦を含めた第三次・大異教軍が、中世三大戦役の一つである"
1046年初頭、スカンジナヴィア帝国とその周辺勢力図。東欧~ロシア領域は未だ混沌の様相であるが、フランク諸国は比較的原型を保っている。この時までは。