AAR/フレイヤの末裔 AAR/フレイヤの末裔/盟主インガ(前編)
「あれは大樅の木。ユランだけじゃなくて、スウェーデンにも沢山ある。葉が尖っているから直ぐに判る」
「枝に止まってるのは
「あ、飛んで行った……オーディン様にギュリドが良い子にしているかどうか報せに行くのかも。ギュリドは良い子だったかな?」
ホーセンスの庭園。暖かな陽気の中、ハルステンは我が子・ギュリドの手を引いて、草木や鳥の名を教えていた。ウプランドから通わねばならない彼にとって、親子の絆を深める時間は貴重なものだから、少しでも父親らしい事をしたいのだろう。ギュリドはと言うと、そろそろ5歳になる頃だが、まだ言葉らしい言葉を発する事はなく、ハルステンが指差す先を口を開けて眺めるばかりだ。
インガは数歩離れてはいるが、二人に続いている。しかし、帝室の散策に付き合う
気が付くと、ハルステンは歩みを止めて、インガに微笑みかけていた。咎めている様子はないが、インガは思わず申し訳なく思ってしまう。
インガの頭の中は選挙相続法の事で一杯だった。インガは次代盟主にハルステンを推しているが、民会にはスヴェア人の王を戴く事を厭う者が多く、インガの弟であるヘルギ王を推す者達が優勢だったのだ。
ヘルギは族長達に慕われているし、よく連繋を取ってフィン人達を上手く治めている。気分屋な所のある弟だが、インガも彼の能力に疑問を持つものではなかった。急ぐ事をしなくても、自分が倒れた後にはヘルギの子とギュリドに次の時代を預ける事もできるだろう。ハルステンは多くを求める人間ではないし、上手く付き合えるだろう。 しかし、重要なのはそれよりも根本的な事だった。
「それに、インガだって何も今日明日倒れるわけじゃない。僕は小さかったからよく知らないけれど、カルル帝は随分長生きされたそうじゃないか」
そう言って、ハルステンは笑った。木漏れ日を受けて眩しいのか、目を細めながら笑う彼に、インガは不思議と胸がざわつくのだった。
「ならないさ。自慢じゃないけれど、インガがいなければ僕に王様なんて務まらないんだからね」
ハルステンは腕を組んで、もう一度笑った。インガの不安は、少しも解消されていなかったが、何とか微笑み返す事はできた。
しゃがみ込んで棒で虫を突いていたギュリドが立ち上がって、空を見上げた。黒く大きな翼を広げ、ワタリガラスが西を目指して飛んでいた。
「吉兆ですな」
と、近衛の一人が言った。インガも、それを信じようと考えた。
中フランクは殆ど抵抗らしい抵抗もできず、ゲルレは征服されるがままだった。 時は千年紀末、ノルドという『神罰』によるカソリック世界の滅亡が真剣に恐れられた時代である。
そして999年3月29日、インガとハルステンに、ついに第一子が誕生する。かなりの難産で、インガは一時生死の境をさ迷ったというが、どうやら直ぐに快復した様子である。 生まれた娘はインガと同じく聡明で知られた母・ギュリドの名を付けられ、フローニの悲願であるスカンジナヴィア統一の希望を一身に受けていた。
その8月、クロターレ不徳王はまたもノルドに降伏。スウェーデンは大陸部にゲルレ大族領を手に入れ直轄地とし、中フランクは更なる弱体化を強いられる事となる。 軍団は本土に引き上げて解散され、残った常駐軍は再びデンマークと東フランクの国境部での略奪に向かった。最早通常業務である。そんな中インガは、恐らくは自分より長生きするだろうと考えられた夫・ハルステンを次代盟主に推して選挙活動を行っていた。しかし……
1000年10月頃の選挙状況と、インガの弟であるフィンランド王・ヘルギ。
フィンランドを継承している実弟・ヘルギ王を相手に苦戦を強いられていたのである。ヘルギはインガと並び称される美貌の持ち主であり、少々自分勝手な所はあるが、勤勉で社交的、帝国を治める器は十分に備えているという意見が強く、スウェーデンとの国交も上手く行っている今、わざわざスウェーデン人であるハルステンに盟主座と帝冠を継がせる必要はないのではないか? と言われていたのである*1。
インガもこの時点ではそれをそう悪くは考えていなかったという。自分の死の後には盟主座と帝冠をヘルギに継がせ、何れハルステンが倒れればスウェーデン王冠はギュリドが継ぐ。ヘルギには既に長男・フレイがいたので、彼とギュリドを結ばせれば、少々遅れはするが、その子が統一を果たす。ヘルギの人望ならば我が子の選挙に苦戦する事もないと考えられた。 しかし、インガはそれだけでは納得いかなかった所もあった様である。そうというのも、インガは(自身がそれによって盟主座についたにも関わらず)カルルの制定した選挙相続法そのものに強い疑問を持っていたのである。
「選挙による相続は、即ち全ての
インガは
この頃に前後して、インガはホルムガルド以南・以東の族長達を、ホルムガルド大族長・リューリク氏族のアストリドの下に封じている。
ホルムガルド大族長・アストリドとその領地(ホルムガルド=緑)。勤勉で慈悲深く、盟約に敬虔な人物として知られる。
前稿で書いたアストリドのベロ・オゼロ聖戦は失敗したのだが、インガは彼女に「次の聖戦」の為の戦力を与えるのと同時に、デンマークからは余りにも遠く管理の難しくなっていたロシアを委任したのだと考えられる。インガはアストリドの幼少期にはその養育係を務め、この二人の間には姉妹の様な絆が結ばれており、信頼も厚かった。
二人の信頼を示す話はもう一つある。アストリドはフィンランドの名家であるアフ・ハイコネン氏族に嫁ぎ、夫との間に娘もあったが、その二人を暗殺で亡くしていた(黒幕は不明である)。そこで、インガはアストリドに従弟のトステを紹介し、彼女が子を授かればフローニ家に迎え入れる事を約束したのである。そしてアストリドはトステとの間に長男・トロンドを授かるが、トステは21歳の若さで昏死。その報せを聞いたインガは今度は独身の叔父・シグビョルンを紹介し、女系結婚を持ち掛けた。アストリドとシグビョルンの間に子が生まれればその子はリューリク家を継承し、アストリドはフローニとリューリクの両方の子を持つ、という事になったのである。
インガとアストリド、二人の絆は生涯堅く、アストリドはインガの期待に応えようと聖戦を行使して拡張に務めたが、二人の願いであったアストリドによるルーシ建国は結局ならずに終わる。しかし、このロシア再編が、後のロシアに繋がる元型となるのである。
千年紀の終わりは静かなものだった。キリスト教徒が言い伝える様に天使が喇叭を吹いて世界を終わらせる様な事はなく、「神罰」と恐れられたノルドは例の如く東フランクで略奪に勤しんでいた。インガは相続法の改変の為に族長達に根回しを続けていたがそれはまだ実を結ぶには到っておらず、変わった事と言ったら……
オークノーで起こった小規模な反乱を鎮圧に向かう常備軍の図。
アルバ=ブリソニア*2王・カイ1世が崩御し、その孫・カイ2世が第一称号をブリソニアとした事(尤も、カイ2世は22歳の若さで昏死し、直ぐにアルバはブリソニアから分離する事となるが)と……
西フランクが内乱期に突入していた事くらいである。
西フランク王・ギーグ2世。社交的だが、臆病で好色、且つ嫉妬深い性質で、家臣達には煙たがられていた様である。 吃音症を患っていたとも伝えられているが、この頃のカロリング家には東西問わず吃音症の者が多い。
993年に"聖王"カルロマン3世が崩御した事で、ギーグ2世は9歳の若さで戴冠した。カルロマン3世は敬虔と忍耐の人で知られた名君だったが、息子の教育には失敗した様で、家臣達の誰もがギーグ2世の治世には不安を隠せない状況であった。994年、ギーグ2世の側近達は長らく東フランク領であったブルゴーニュが選挙相続によって分離していた事から、王の威信を高める為に請求権を行使してこれを併合するなどの努力をした。しかし、999年にアキテーヌに仕掛けられたデジュリ戦争の防衛で消耗を強いられていた。 これを好機と見たのはフランク世界でも指折りの名門であるカペー家の長。ベリー公爵ことロベール・カペーだったのである。
ベリー公爵、ロベール・カペー。勇敢で傲慢な大人物然とした人物であったというが、本質的には猜疑的な陰謀家であったという。
ロベールは入念な根回しで国内諸侯の半分を巻き込んだ大派閥を形成し、王権の縮小を求めて挙兵、オルレアン~シャンパーニュ一帯を占領した。これによって弱体化した王軍に隙を見出した者達まで立ち上がったのである。
未成年の王妹・アデーレを擁立して王権の更なる弱化を目指すオルレアン公、ギョーム・デ・ボーヌ。
ブルゴーニュの東フランク復帰を要求する上ブルゴーニュ女公、グドルン・ヴェルフ。
この内乱「ロベールの乱」は叛乱軍の力が王軍と拮抗していた事もあり、非常に長期化し、インガ存命の内には収束する事は無かった。
加えれば、"赤毛の"エイリクの息子、"幸運なる"レイフが、グリーンランドの更に西に未開地を見出し、ヴィンランドと名付けたのもこの時期である。 帰還したレイフは葡萄や木材を持ち帰り、それに感動した彼の弟・トールヴァルドはヴィンランドの入植を目指して出航。しかし、現地人・スクレリング*3と争いになって失敗したという。 しかし、この豊かな新天地を我が物とする計画はノルド達によって進められ、命知らずの冒険者達による「新大陸」への挑戦が始まったのである。
1003年1月11日、スカンジナヴィア民会は皇帝の中央集権強化を賛成多数で可決。インガは更なる直轄地の確保を宣言する。当然、国内族長の所領を取り上げるのではない。
「
「我らを北の果てに閉め出し、古き信仰を忘れ果て、『
「曽祖父・アンラウフは嘗てその門に挑戦し、その敗北から『盟約』の必要を学んだ」
「これはその証明だ。これは盟約の正しさを示す戦いだ。この戦いは
「新たな千年紀を悲鳴で彩れ。今、
ホルステンを求める聖戦の宣言である。
ハンマブルクという防波堤を無くせばノルドの軍勢はいよいよ大陸に流れ込んで来るだろう。スウェーデンによる波状的な宣戦布告があれば今度こそブリュンシュヴィックまで喪失する事もありえる。ノルド人に対するカソリック世界の防壁であった東フランクは、迫る危機が亡国のそれを超えるものであると理解しつつあった。
東フランク女王・マリア。類稀な政務能力で諸侯を統率し、東フランクの近代化を進めて"大女王"と仇名された。 同時期を生きた才女としてインガと比較される事も多いが、インガが信仰に熱心であったのに対し、彼女は徹底した現実主義者であったという。
宣戦を受けた東フランク女王・マリアは直ぐ様西フランク王・ギーグ2世に援軍を打診したが、西フランクは前述の通りに内乱でそんな余力はない上に、スカンジナヴィアの遠交近攻策によって完全に懐柔されていた。また、直前まで同盟国であったイタリア王国(ズビネック悪王の時代に革命によってラヴェンナ朝が開かれている)では、マリアの義兄・オトン1世が崩御し、同盟が切れてしまっており、新王・オトン2世は信仰に対して冷笑的*4で、寧ろ東フランクの弱体化はイタリアに好都合だとすら考えていた様である。インガの宣戦は当然、このタイミングを見越してのものだっただろう。 バイエルンでモイミル朝に王権縮小を求める叛乱軍の頭目であるバイエルン公・フィリップと、小さいながら独立勢力を保つクロアチアの残酷公・アルヌルフ2世(両名ともカロリング家である)が要請に応じたが、どちらもスカンジナヴィア軍15000名+スウェーデン軍10000名に対しての戦力としては全く期待できるものではなく、マリアは東フランク軍7000名でこれと戦わねばならなくなった。
「盟約」の下に巨大な一軍を為すノルド世界と、互いの足を引っ張り合うカソリック世界。構図が、これまでとは逆転していたのである。 マリアは繰り返された略奪に日々悩まされていたが、この事が決定的となって鬱病を患ったと言われている。
そして……
アルトナ会戦、ラッセボルグ会戦で主力をほぼ喪失した後、ハンブルク一帯は完全に占領され、遂にスカンジナヴィアは欠けていたホルステン領、ブレーメンとハンブルクを割譲させた。1004年、10月の事だった。
インガの宣言通り、カール大帝がノルドとの間に築いた結界であったハンマブルク城砦は抉じ開けられたのである。
そしてこれは同時に、スカンジナヴィア帝国の全
終戦の半年程前、1004年の4月。インガとハルステンにはなんと第二子が生まれ、アルフリドと名付けられた。
このアルフリドは生まれて1年もせずにルーン文字を読む様になったと言われており、容姿は父親似だった様で平凡だが、間違いなく母の天才を遺伝していた。 しかし一方で、この時五歳になっていたギュリドはというと……
母に似て美しく育ってはいたが、未だ喃語以上の言葉を発する事はなく、父同様に愚鈍を疑われていたという。尤も、ハルステンは愚鈍と言われながらも家臣達からは愛されていたし、この時点での盟主座継承候補者はハルステンかヘルギであったので、誰も問題にはしていなかった。
それにしても、何とも対照的な二人である。
1004年。この頃、中フランクでは小規模な反乱が起こっていた。
反乱の首謀者・ホロズルフは、一説にはオランダ伯領の創始者とも言われる「オランダのゲロルフ」の末裔・ゲロルフ家である。 ゲロルフはオランダ人であるが、この時期のオランダにはノルド人が多く、その息子・ダークはキリスト教化したノルド人から教育を受けていたと言われている。 この事から、ゲロルフ家はカソリックでありながら伝統的にノルド文化を継承している。
野心的なカソリック・ノルドであるオランダ大族長*5・ホロズルフは、中フランクがイタリアと戦争になったのをきっかけに、同じくカソリック・ノルドであるユトレヒト大司教・インギャルドを抱き込み、独立の反乱を起こしたのである。 この反乱の始まりにはスカンジナヴィアが間接的に、しかし非常に深く関わっており、しかも非常に興味深い背景を持っている。
9世紀のイタリア=中フランク王・ロタール2世は907年にバイエルン王・ルートヴィヒ3世との戦いで戦死したが、息子は何れも早逝しており、その領地は成人した3人の娘によって分けられた。その内、末妹であるステファニーは中フランクの南部・上ロレーヌ公爵領とロレーヌ伯を継承。このステファニーの夫は当時のボローニャ伯の弟、ミケランジェロ・ディ・ラヴェンナであった。この二人の息子、ジェロー・ディ・ラヴェンナは母の称号と請求権を継承し、「ネヘレニア戦争」でズビネック悪王が兵力を失ったのを契機にイタリア諸侯を纏めて反乱を起こし、イタリア王位を簒奪した(ラヴェンナ朝の始まりである)。しかし、中フランクとイタリアは地理的には西フランク・東フランクの国境地帯で分断されており、ロレーヌは王都であるにも関わらず中フランク内の飛び地になっていて、しかも宮廷を置くナンシーのみを支配していたのである(因みにロレーヌ公爵位は反乱後にズビネック悪王に剥奪されている)。なんと981年から20年もの間、イタリアは『イタリア王だけがイタリアにいない』という状態になっていたのである。
999年のロレーヌ。中フランク内の飛び地でありながらイタリア王都である。
そしてこの時代、ジェローの孫であるイタリア王・オトン2世は家臣から剥奪したパヴィアに宮廷を移していたが、未だロレーヌ伯でもあった。そして、「ゼーラントの長い戦い」で中フランクが弱ったのを見ると、ロレーヌ伯爵領内のトゥール大聖堂を請求して宣戦布告したのである。そして、それを好機と見たホロズルフが反乱を起こしたのは先述の通り。事実、この反乱は領地の規模に反して完全にホロズルフの有利に進んでいた。中フランクは国内のノルドにも蹂躙される事となった。 度重なるスカンジナヴィアの攻撃が、ついに中フランクの国体を破壊したのが解った瞬間である。 所で、ホロズルフは「フランク人に最早ユトレヒトを守護する力なし」と言い、「ノルド」である事を理由にスカンジナヴィアの脅威を退けられると考えていた様である。
その12月。つまりホルステン聖戦が終わった2ヵ月後。
スウェーデンは中フランクの反乱勢力にオランダ領を求める聖戦を宣言した(インガは勿論これに援軍を出している)。ハルステンの興味はパデルボルンよりも、フリジアにあったのである。これにはすっかり続けて宣戦されるものと考えていた東フランク女王・マリアも呆気に取られた事だろう*6。しかし、後にはこれが正しい判断であった事が解る。ハルステンには、何かの予感があったのかも知れなかった。 そうというのも、1005年6月中旬……
ハルステン王、急死。27歳という余りに若い死であった。栄養失調が原因であったと記録されているが、詳しい事は不明である。ヘルギ王による暗殺という説もある*7。スウェーデン王冠は若干6歳のギュリドに、直轄地であったゲルレ大族領はアルフリドに継承された(これによってスウェーデンの国号はノルド式の「スヴィドヨッド」に戻っている)。ハルステンが東フランクと開戦していれば、国内諸侯から幼い娘を守るべき王軍を消耗させていたかも知れなかったのである。 これにショックを受けたのはインガである。とりあえずウプサラで継承式を済まさせ、自ら教育する為に改めてユランに呼び戻したは良いが、きっかけ一つでハルステンを第一継承予定者にできそうな所まで進んでいた選挙の根回しが無意味になったのである。しかも、インガを蝕む病は既にかなり進行しており、いつ倒れてもおかしくない状態だった。
インガの決意が固まったのはこの時だっただろう。
1006年9月、オランダ聖戦が終戦。オランダ伯領を除くオランダ公領一帯がスヴィドヨッド(スウェーデン)の版図に加わり、ゼーラントの孤立状況が解消されようとしていた。 そして1006年、10月。
「我が夫、盟主座を継ぐべき勇敢なるスヴィドヨッド王・ハルステンは奇怪な死を迎えた」
「我が
「我ら『
「
「そしてその度に、野心を剥き出しにして、隙を窺う者が現れる。或いは自分が、と、悪心を持つものが現れる」
「インガはその連鎖を断ち切ろう。
「盟主座と帝冠は我が氏族の長が常しえに継承する。汝らは常しえにそれを助けよ。フローニはノルドに、常しえの繁栄を与えるのだから!!」
インガは国内の族長達が何れも戦争状態にない事を確認し、
盟主座とスカンジナヴィア帝冠、そしてデンマーク王冠の長子相続法を成立させたのである。
閉会後に意識を失ったインガは寝室に運ばれ、昏睡状態が九日続いた後に目を醒ました。 その九日間は家臣達に大きな無力感を強いた。インガの病班は突如として皮膚を抉る様にして破り始め、美しかった彼女の肉体を滅ぼそうとしていたのだ。 あらゆる治療師が、神官が、呪術師が手を尽くしたが、それは病と呼ぶには余りにも異質で、まるで、不可視の何かが彼女に拷問を強いる様な――
感染を防ぐ為に覆面をしているが、彼女の顔は蒼白に染まっていた。インガの遺言を聞き届ける事になると、理解したのだ。 数名の顧問団のみを立ち合わせて、インガは、淡々と命じる。
「ギュリドとアルフリドを預けます。
「摂政はハルステンの指名のまま、ヘーデ氏族長・トステに任せなさい。彼は信用できます」
「それが……一度見舞われた後には急いでクストーに戻られて、その……」
スクルドの歯切れが悪くなる。インガはそれで弟がどこに向かったのかが解った。
つまり、インガは死ぬものと看做して戴冠式の準備を始めたのだという事だ。継承予定のノルウェーとポメラニアの地盤を一日でも早く固めたいのだろう。
インガは余りにも予想通りの行動に出た弟を苦々しく思う。スカンディアの二強国であるデンマークとスウェーデンはギュリドに継承されるが、未だ選挙相続を維持しているノルウェーとポメラニアは既にフィンランド王であるヘルギに継承されるのだ。長子相続制によって盟主座と帝位から遠ざけられたヘルギにとって、娘は……
「それじゃあ、そろそろ死ぬわ。まだする事があるから、少し体力を残しておかないと」
溜息を一つ残して、インガは眠る様に魂を手放した。その夜。
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!」
火の間で玉座に縋り、咽喉も破れんばかりに慟哭するギュリドは、初めて言葉を発したのである。
『シフの呪い』は癒える事なく、無情にもインガの命を奪った。
しかし、王権の拡大、中央集権、新たな税制、
そして余りにも幼い
インガ崩御時点の欧州地図。スカンジナヴィア帝国が統一され、デジュリの回収が完遂されている。 因みに、クマン草原に広大な版図を有していたアールパード朝のハンガリー王国はカソリック化し、その反動で起こった反乱によって草原の版図を喪失している。
「…………憎イ……! 憎い、憎イ、憎いイイイ!! 貴様ラが! 私ヲ愛さナかったカルルが……! 我が子に何モ与えなカったオ前達が…………!!」
「死シテ尚カルルに愛さレたリンダが……! 寵愛を受け続けタオ前が…………!!」
「今なら貴女の気持ちが解るわ。この野蛮な時代に、選挙相続が齎す悲劇の連鎖を憂いたのも本音だけれど……」
「でも……ハルステンを喪った私が、子供達に何か遺してあげられるものを、って……思ったのも、本音なのよ」
「何かを遺したいっていう母親の気持ちが、私には解る。だから、貴女の無念も理解できるつもりよ」
「私は帝冠を娘に遺せたけれど、その引き換えに彼女にヘルギという試練を遺す事にもなってしまったし」
「感染させるわけにはいかないから、子供達に最期のお別れもできなかったわ。悪い母親になったものよね」
「だから一緒に、地獄に堕ちましょう。私と常しえに、地獄で苦しみなさい」
「馬鹿ね……私は
「ワ、解っタ!! 呪うノはやメル! 大人シク地上を去ル!! ダカラ……!」
そういえば昔、お祖父様が言っていた。曽お祖父様は自分もフローニなのに、フローニを憎んで、
だったらもしかすれば、地獄の方が居心地の良い場所かも知れない、なんて思った。
特に……こいつの悲鳴を聴きながら過ごすなら。