民の野(フォルクヴァング)は フレイヤの統べる処 死者の座す高み 日毎討たれし者の半分を彼女が召し もう半分をオーディンが得る ――『ギルヴィの誑かし』 24章
深夜。バグセク王は、突然掛けられた声に眠りを妨げられ、次の瞬間には眠気の一切が吹き飛んでいた。 寝室に入り込んでいたのは一人の女。数ヶ月前、オーフスの寺院の傍で行き倒れていたのを拾った若い妊婦であった。 眉目の整った美しい女だ。夕日の様に紅く長い髪に、白夜の様に蒼い目のコントラストが鮮やかで、しかし視線も言動も焦点の合わない所があった。 ともかく、どうやら身寄りもないので、産後には愛妾として迎えようかと考えてロングハウスに迎えたのだ。 それが、この真冬の深夜に、毛皮の一枚だけを肩に羽織り……
……胸に一泣きもせずに眠る赤子を抱いて、ヴォルヴァ(巫女)の占いめいた何事かを呟きながら、そこにいる。歩いて来る。近付いて来る。
バグセクは寝床の傍らにあるサクスを握り、振った。何かが恐ろしく、この女の何かをこれ以上させまいとして。 だが、
腕が止まった。女殺しを恥とするノルド男の本能がそうさせたのではない。それを優に上回る未知の不安に衝き動かされ、首を刎ねるつもりで振った腕とサクスが、女の顎に届いた所で、謎めいた働きによって止められたのだ。 「誰か!」と呼ぶバグセクの声がロングハウスに響く、しかし、ハードマン(近衛)達も、妻も、息子も、駆けつける気配がない。 女の、澄み切って背景まで透けてしまいそうな、蒼白い眼の焦点が、バグセクを通してどこか遠くに合わさっている。フレイヤは、何か見え得ないものを視ていた。
「貴方では、その冬を越えられない。だから、『私』がする。『私』が約束してくれた……この子を産むこの夜の間だけ、力を貸してくれるって。だから……ただ……」
顎から血を流しながら、フレイヤの呟きはますます異様の度を増して、ガルドル(呪歌)の様な響きを帯び、バグセクを縛った。 女の腕の中で、滴る血を受けながら、産まれたばかりの筈の子が安らかに眠っている。すやすやと、母の唱える呪歌を子守唄の様にして。
ただの一つも正気で受け容れられるもののない状況だった。漸く、部屋の外で人の群がる気配がする。しかし、バグセクはそれが自分を助ける為に集まったのではないであろう事を直感していた。 いよいよ集まった近衛を初めとした家臣達、妻、息子、そして奴隷達までもが、バグセクの寝室に入り、硬直したバグセクと、フレイヤと、その子を取り囲んだ。誰もの眼が虚ろだった。フレイヤと同じ眼をしていた。
「ただ……祝福して。新しい歴史の始まりには、それが必要だから。貴方達は……」
バグセクの体が硬直さえやめて、脱力した。サクスを取り落とし、跪く様な姿勢で、フレイヤを仰ぎ見ていた。 フレイヤの顔は笑っていた。ニヤニヤと、三日月の様な笑みを浮かべていた。
「貴方達は、『私』に与えられた、『半分の死者達』なのだから」
そう言うと、女は心底楽しそうに、ケラケラと声を上げて笑い出した。 この夜の出来事は如何なる歴史書にも書かれる事はなく、 ――ただの一晩でユランの王権がフレイヤという女に移ったという事のみが後世に知られている――。
フローニの起源は女系であり、家祖・フレイヤが "骨なし"イヴァルの末子・グドフリドを王配に迎えた所から系譜が始まる。 フレイヤの出自を辿る資料は殆ど現存しておらず、南北ユラン・シェラン・スコーネを統一した「デンマークの母」というイメージからは余りにも乖離した、怪奇な伝説の数々から、実在を疑う者も少なくない。 或いはラグナル・ロズブロークの様に、複数の人間の伝承が混合されて生まれた人物像である、とする説もある。
それは如何なる人物像か。一般的に彼女についてはこの様に知られている。
赤い髪と青い眼、その名の如く、女神フレイヤもかくやという美貌に、顎に走る一筋の傷痕。 性格は気紛れ且つ残酷、そして偏執的で、それが夫であっても決して心から信頼する事はなかったという(子供にも教育係を付けず、常に傍にいたという)。 先述の通りに出自は不明だが、一説によればあるヤルル(貴族階級)の私生児であるとも言われており、 実父の愛人として育てられ、その実父を自ら手に掛けたという話もある。 彼女の四人の子供のうち、長女・リンダのみ父親が不明であり、父娘相姦による子であるとする者もいた様だ。 しかしこれらは彼女の事を良く思わない家臣達が、彼女の評判を落とす為に立てた空説であると見るのが妥当だろう。 魔術を使う狂人であったと伝えられる事も多いが、(魔術はともかくとして)彼女の狂気のどこまでが空説で、どこまでが事実であるのかは良く解っていない。 事実、「ズボン禁止令」などの思い付きで令したとしか思えない、狂気じみた勅書が残っている。
869年5月21日に布かれた「ズボン禁止令」の勅書。 「ズボンは下半身と生殖器だけでなく、人間の魂をも締め付ける。加えて、あらゆる生物にとってズボンは侮辱である事が知られており、人間だけがそれを理解していない。故に、ユランの女王フレイヤは、国内に於けるズボンの着用を禁じ、違反を死罪とする。これに類する衣類は全て焼き尽くし、その灰は父祖の墓に等分にして撒く事とする」 他にも、愛馬(馬である)を外交官に任命したり、召使いの服を着た人間大の地鼠を見たと大騒ぎしたりといった奇行の記録がある。
ともかく、彼女が歴史の表舞台に現れるのは西暦867年1月1日の事である。 年明けの祝祭と共に、それまでユラン一帯を支配していたバグセク王から王権を譲り受け、女王となる。
バグセク王。 この人物について解っている事も少ない。ユランを支配するデンマーク王で、イヴァルとハルフダンのブリテン島遠征に介入する機会を窺っていたと言われている。
この唐突な禅譲(とは言え、この頃のデンマークに所謂「王統」は存在しないが)は神命によるものであるとされ、 自らは来たる「大いなる冬(フィンブルヴェト)」の戦いで、ノルド達を生き残らせる為に遣わされた「女神フレイヤ」の娘(資料によっては妹)であると宣言した。 古ノルド人らしからぬ、平和裡に行われたこの王位交代劇だが、彼女は歓声と共に女王となったわけではなく、 家臣も臣民も、そして当のバグセク前王も、どこか釈然としないまま、頭上に疑問符を浮かべながら彼女の登場を受け容れた様子で、 フレイヤはそれをニヤニヤと笑いながら楽しんでいたという。 そして最初の王命として、ユラン半島の南東部・リュビケを支配するオボトリト族の征服を命じた事が解っている。
その直後に、ブリテン島へ遠征した "骨なし"イヴァルの第五子、当時14歳のグドフリド王子との婚約が発表されており、 この王位交代の背景にはイヴァルが関与しているのではないかと考える者もいるが、それを示す資料は見付かっていない。
"骨なし"イヴァル。 伝説的なヴァイキング、ラグナル・ロズブロークの長男。弟のハルフダンと共にブリテン島征服を目指し、「大異教軍」による侵略戦争に赴いている。 その二つ名は骨の異常によって歩けなかった事に由来するという説がある。
リュビケ征戦は両軍とも1000人程度の戦いであったが、王から元帥になったとはいえ、ユラン軍を率いるのは武勇で鳴らしたバグセクである。 ユラン軍はオボトリト軍を終始圧倒し、868年6月12日、特に大きな損害もなくリュビケを制圧。 また、バグセクはこの戦いの最中に魔物に憑依されたかの様になり、当に「狂戦士(ベルセルク)」の如く活躍したという。
869年1月9日、グドフリド王子が成人した事により、正式にフレイヤ女王の王配として迎えられる。 つまり、フレイヤとイヴァルの間に正式な同盟関係が成立したのである。 これは征服行に加勢を得る目的があったのは勿論であろうが、フレイヤの目的が初めからデンマーク統一にあったのだとしたら、 シェラン~スコーネを支配するイヴァルの兄弟、"蛇目の"シグルドとの決戦に、イヴァルが介入しない様に牽制する意味もあったのかも知れない。 ともかく、それに前後してフレイヤは残るオボトリト族の版図であるメクレンブルクとラストクの征服を命じている。 しかし、フレイヤはオボトリト族の大族長・ムシウォイとダイミンの族長・ウィツロウの間にある同盟関係を確認しておらず、 予想外の増援によって、野戦には勝利はしたものの、1200あった軍団の数を700まで減らしてしまい、 ヴェリグラドの包囲が不完全なまま戦況は1年ほど停滞した(彼女の「無策女王」という二つ名は、恐らくこれに由来する)。 先立って同盟を結んだイヴァルに加勢を求めようか思案するも、イヴァル軍はスコットランドの攻略中。 フレイヤはその攻略戦に、オボトリト征服後に兵を出す約束で名前だけの参戦の表明をしており、そこで助力を求めてはユラン軍の面子は丸潰れである。 資金が集まるのを待ち、傭兵を雇うべきかと議論される中、ある報告が届く。
"蛇目の" シグルドがスヴィドヨッド大族長にして兄である "鉄人"ビョルンのスウェーデン平定に派兵し、 同時にクールラント征服を目論んで大きく消耗している、という事だった。
資料の時期は前後するが、バルト海西部の位置関係。赤線で囲んであるのがオボトリト族の版図、黄線で囲んであるのがシグルドの版図、青線で囲んであるのがクールラントである。
今でこそ混血も進み、同じノルドとして友好関係にあるが、ユラン人は元来ユラン半島土着の民族であり、 スカンジナヴィア半島に由来を持つ純ノルド人とユランの覇権を掛けて争った時代がある。 加えて、ラグナルの息子達は(ブリテン島遠征に向ったイヴァルやハルフダンを初めとして)いずれも野心旺盛で、 シグルドがいつ服属を求めて侵攻して来てもおかしくない、という危機感が常にユラン人にあった。 ヴェンド人の領土を征服するのも、ユランの国力を高め、彼らや、カール大帝以来力を増し続けているキリスト教徒へ抗する力を得る為のものと考えられていた。 叩くべきは今。イヴァルやハルフダンはひと段落が着くまでブリテン島から大きな兵力を動かせないであろうし、 ビョルンもスウェーデン平定にシグルドの手を借りている状況。当のシグルドはクールラントで兵を失い、ユラン外のデンマークは蛻の空。 ユランを敵とみなしていなかったのか、メクレンブルク攻略に手間取っているのを見て油断したのか、背後ががら空きである。 もしもシグルドの服属に成功すれば、デンマークは統一されて国力は大きく増し、スカンジナヴィア半島にスコーネという版図が得られる。 キリスト教国に国土全てが晒されている、という状況を脱却できるのだ。
フレイヤは国庫の大半を費やしてラップ人の傭兵1400人を雇った。回復した兵力も合わせて約2500である。 彼らが到着した翌日、オボトリト族は白紙和平を要求。恐らくはユラン側の思惑を読み取り、降伏せずとも休戦期間が得られると踏んだのだろう。 シグルドの兄弟達がそれぞれの戦争を終わらせる前に事を済ませたいフレイヤはこの要求を呑む。 そして、傭兵達と残る兵力を全てフュン島に集結させたのである。
情報通り、フュン島には最低限の守備隊以上の兵力はなく、容易に包囲が完成した。 しかし、何もかもが簡単に進んだわけでもない。スコットランドはイヴァル軍に降伏、ストラザーンを割譲して、両軍は休戦期間に入り、 イヴァルは二人の弟を天秤に掛け、シグルドの側につく事を選んだのである(グドフリドはフレイヤの王配となっている為、当然ともいえる)。 フュン島奪還の為に送られて来たイヴァル軍は約2000人。数では劣るが、率いるのはいずれも精強な猛将達である。 スレースヴィでの会戦は激戦を極め、ユラン軍は辛くも勝利をもぎ取るが、追撃を重ねてイヴァル軍を壊滅させた頃にはユラン側の兵力も1000を割っていたと言われている。 しかし、その後はシグルド側に殆ど増援らしい増援もなく、876年3月17日に、フュン・シェラン・スコーネの、ユランへの服属が完了する。
かくて、デンマークはフレイヤ女王の下に統一された。
デンマーク統一時のスカンジナヴィア南部及びユラン半島の勢力図(朱色がユラン=デンマーク)。 ノルド・ヴァイキングの祖地として知られるスヴィドヨッド(濃青)と隣接している。
因みにこの時、どうやらシグルドはクールラントの征服そのものは成功していたらしく、これもユランの版図となっている。
(後編へ続く……予定です;)