AAR/フレイヤの末裔 AAR/フレイヤの末裔/アンラウフ王(中編)
残忍なりしグドルンよ 度し難く罪深きは汝である 我が蜂蜜酒の杯に 我が子の血を混ぜしは汝である 汝は親しき者を殺めし者 我の知る最も悪しき者 汝が現世を去ったとして 我は然して病むまいぞ
――『詩のエッダ』英雄詩のうち『グリーンランドのアトリの詩』
それは、まるであの夜の繰り返しの様に、風の強い夜だった。 僕は酔っていた。当たり前だ。こんな事をしようだなんて、素面で考えられる訳がない。 この世のどんな事も、素面でなんてやってられない。どうして皆素面でいられるのか、僕には解らない。
枕元に僕がいる事にも気付かず、寝息を立てるトティルに腹が立って、思わず起こしてしまう。起こすべきじゃないのに。 でも、あの夜、僕にはこの風の音が「あの声」の様に聞こえて、恐ろしくて恐ろしくて震えていたんだ。 トティル、なぜお前は眠っていられるんだ? なぜお前はそんなに安らいでいられるんだ? お前にはこの恐ろしい「声」が聞こえないのか? ここはシェランじゃないのに。今は平和でもないのに。誰も彼もが僕のいう事を聞かないし、僕を追い詰めるというのに。
リンダ姉様は僕が王に相応しくなければ殺すと言う。 その通りだ、僕は臆病者だ。他のノルドみたいに、戦ったり殺したり奪ったりなんて大嫌いだ。ノルドは皆狂ってる。 だけど、僕はノルドの大好きな戦争を沢山与えてやった筈だ。
脚が悪いのを憐れに思って娶ってやったマエルは、僕を同性愛者だと言い触らす。 その通りだ、女なんて母様もリンダもお前も、どいつもこいつもまともじゃない。女は皆狂ってる。 だけど、僕は王だから、世継ぎを作るのは義務だから、僕は何度も何度も、吐き気を堪えながらお前を抱いたんだ。
なのになんでお前達は逆らう? どうして僕を裏切る?
トティルが起き上がって、僕に何か言っている。何を言っているのか聞き取れない。けれど、どうせ碌でもない事に決まってる。 そうだ、どうせそうだ、誰だってそうだ、誰も僕を愛さないし、誰も僕を理解しないし、誰も僕を助けないし、誰も僕を――
何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ!!!!
「何故だッ!! 何故お前は美しくない!!? 何故母様や姉様の様に美しく生まれなかった!!!!」
「カルルが生まれて来るまで、余は来る日も来る日も、お前を見ては……余の血は汚れたのだと、余が汚したのだとばかり!!」
「醜く肥え太り、『あの声』に怯えて震え、母様とは、姉様とは、似ても似つかぬ余の血がお前の様な醜い子を……!」
「だが、もうさせんぞ! カルルは美しい!! 父様の様なその姿で余を嘲る事は、最早許さん……!!」
なんで僕は自分の子供にまで馬鹿にされなくちゃいけないんだ。なんでお前はこんなに弱いんだ。なんで僕なんかの腕一つ撥ね退けられないんだ。 なんで美しくないんだ。カルルはあんなに美しいのに、なんでお前はダメなんだ。なんでお前の首はこんなに細いんだ。なんで雷が鳴らないんだ。 なんで神様はあの時みたいに助けないんだ。なんで神様はこの子を守らないんだ。なんで僕はこの子を――なんでこの子は僕に――なんで、神様は――
吹雪の音が止まない。「あの声」が更に大きくなる。何もかもが僕を追い詰める。
「良く、御決断されました。全なる父もアンラウフ様の苦悩を御理解下さるでしょう」
「ノルウェーの叛乱は収まったとはいえ、国内の安定にはまだ時間が必要です」
「この上、継承問題を抱えるのは得策ではありません……早期に御決断された王は正しい」
「王子の亡骸は私が丁重に弔わせていただきます。王はどうか御休み下さい」
「ッ……酒を!! 持って、来いと、余が!! 命じて、いるのだ!!!!」
誰も彼も僕のいう事を聞かない。僕は王様なのに。王様として、王様に相応しい様に、当然の事をしているだけなのに。 なんで…… なんで僕は……
ノルドになんて…… 王になんて………… フローニになんて………………
なんで、神様は…… この世は、こんなに……
こんなにも、残酷なんだ…………
…………………………。
ノルウェー服属を含め、アンラウフ王が生涯でノルド社会に齎したものは非常に大きい。臆病な彼にも征服者としての野心があったのか、或いは必要に駆られて行われただけの事なのかは判らないが、「ノルド世界の統一」という大事業を、実際に達成可能と思しいレベルまで進めたのが彼である事に疑いの余地は無い。しかし、彼が王として有能な人物であったかどうかには常に議論がある。彼の最大の功績として語られる「ノルウェー服属」だが、その後が良くなかったのである。 というのも、彼にはノルド社会で得られる人望というものが全く備わっておらず、服属した筈のノルウェーも生涯コントロールする事ができなかった。より強い王を歓迎し、従う事を選ぶのが、戦いを尊ぶ古ノルド人の気質であったが、それを差し引いても、彼らは実際には闘争を嫌うアンラウフの気性に理解を示す事はできず、家族殺しや同性愛者だという(当時の価値観に於いて)不名誉な噂で苛んだ。アンラウフはその内向性からか、それを暴食と飲酒でやり過ごす事を選んでしまった様だ(彼がその功績にも関わらず「泥酔王」とあだ名されていた事からも、如何に家臣達が彼のアルコール依存に眉を顰めていたかが窺える)。
自らの支配者を「王に相応しい者ではない」と看做したノルド人の行動はどんな時でも素早く、簡潔で、直接的だ。
ノルウェー征服が為されたのは905年4月の初めであり、この叛乱は何とその3ヵ月後、7月下旬に発生している。 これ程の短期間で服属が覆されたのには少々の背景がある。
最初の問題はインリング家を初めとした、ノルウェーの族長達の処遇である。 フローニ家はまだ二代目であり、その歴史の深さではインリング家には及ぶべくも無い。しかも家祖・フレイヤは「ユランの狂女」として悪名高く、アンラウフ自身は男として生まれながら自ら戦場に出る事をしない臆病者と看做されていた。王家としての格を軽んじられていたのは止むを得ない事だったろう。 アンラウフはインリング家を追放も処刑もせず、ヴェストランデ大族長としての領土を安堵し、彼らを支配する事で「フローニ」の名に箔を付けようとした。それは畏怖を強要するのではなく、寛容を示す事で忠誠を促すつもりでもあっただろうが、これが彼にとっては、甘い決断であったと言わざるを得ない。
次に、アンラウフに付き纏った「同性愛者」の噂と、継嗣問題である。 アンラウフ王がマエル妃との間に第一子・スヴァンヒルドを授かったのは902年頃、ノルウェー服属戦争の真最中の事だった。前稿でも書いた通り、王と妃の結婚はリューリク家との同盟維持の為に行われた政略結婚の相が強く、二人の間には恋愛感情が無かった。しかし、マエルには妃としてアンラウフとの間に継嗣を授かる義務があり、なかなか「営み」に及ぼうとしないアンラウフをせき立てる為に、「同性愛者である」という噂を立てた様である。 これに焦ったアンラウフは彼女を宿老に任命して機嫌を取り、何とかその義務を果たす。マエルの妊娠を家臣達は多いに喜んだが……それで生まれたのがスヴァンヒルドであり、これが更に問題をややこしくした。この時代の王族の常として、女子の継嗣は歓迎されず、もしアンラウフが本当に同性愛者であれば次の子を得るのも難しいかも知れないと族長達は考え、国内外問わず、それによって多くのノルドがデンマーク王室の権威を疑問視する様になっていたのだ。 ノルウェー服属戦争も佳境に入った904年後半、マエル妃は第二子を妊娠し、戦勝直後に念願の長男・トティルを授かっているが、ノルウェーの族長達は服属された時には既に叛乱の準備に取り掛かっており、最早そんな事で止められる状況ではなくなっていた。実際、その頃(何と服属完了の1ヵ月以内)には、スカンジナヴィアから距離のある オークノー島の族長・バヨラスが単身で叛乱を起こしている(これは直ぐに鎮圧された)。
そして決定的だったのが、ムロミア族によるウラジミール服属である。
デンマークがノルウェーに勝利して数週間の後、ウラジミールからの特使が伝えた事実と用件はアンラウフを仰天させた。 ノルウェー服属戦争に過剰ともいえる5000人規模の援軍を寄越したホルムガルドであったが、何と902年頃にはあの大ヴァリヤーグ、"豪胆王"リューリクは没していたのである。*1 アンラウフがそれを知ったのは、つまりその死の実に3年後。特使が言うには、それはリンダの嘆願によって伏せられていたとの事だった。 ウラジミール大族領はリューリクの死によって次男でありリンダの夫・アーケに分割され、独立していた。そして、それを好機と見て版図拡張を狙うムロミア族との間で緊張が高まっており、それを知ればアンラウフはリンダやその子・カルルを守る為に兵を割き、ノルウェー服属を遅らせかねない。リューリク家も王家としての歴史は浅く、婚姻関係を持つフローニ家がスカンジナヴィアでの覇権を握るのは望む所。であれば、余計な気を揉ませるよりは、敢えてリューリクの死を伏せて可及的速やかにノルウェーを征服させるべく、リューリクの名で送った膨大な兵力で圧倒するのが好手、というのがリンダの弁であったという。 デンマークは元よりノルウェーを圧倒していたが、ホルムガルド軍の助勢によってその完遂が早まったのも事実。しかし、これがホルムガルドから分離していたウラジミールにとっては致命的だった。実質の保護国であるホルムガルドの軍がスカンジナヴィアという遠方に送られているのを見抜いたムロミア族に服属戦争を仕掛けられ、それに便乗した周辺部族に次々と宣戦布告されていたのである。 ウラジミール軍は大敗し、国土は次々と敵軍に占領されていったが、リンダはデンマークのノルウェー服属に拘り、夫や家臣達の求める援軍要請を頑なに拒否。ついにウラジミール大族長・アーケは戦死してしまったが、デンマークがノルウェーに勝利した今、漸くリューリクの死を明かし、援軍要請の使いを出す事ができた、との事だった。しかしこの時、状況は既にどうにもならなくなっていた。
ホルムガルド軍の到着も間に合わず、ウラジミールはムロミア族に征服されたのである。
そしてこれが、ノルウェーの族長達に叛乱の大義名分を与える事となる。
「全ての
「臆病者のアンラウフは我らを恐れる余り、ウラジミールで助けを求める家族をモルダヴィアの蛮族どもに差し出した!!」
「あまつさえ、彼らの自衛の為の兵力さえ奪い、我らを蹂躙するべく、我が物の様に使って戦わせたというぞ!!」
「その上でこのノルウェーを『征服せり』と得意顔の恥知らずめ!! 我らは果たして屈服したか!? 否!!!!」
「フロージの血統者は、インリングは、一度としてその様な不道を行ったか!? 否!!!!」
「さあ休憩は終わりだ、武器を取れ!! ノルウェー王はローンヴァルド陛下ただ一人! インリングに王冠を取り戻すのだ!!」
ローンヴァルドにノルウェー王位を求める叛乱は、服属戦争の延長戦の様にして行われた。 首謀者であるトロンデラーグ大族長・ハーコンの檄に、ほぼ全てのノルウェー族長が呼応し、メクレンブルクの東半分をフレイヤに与えられていたバグセクの次男・エイリークも野心に燃えて参戦していた(西半分を支配するバグセクの長男・フリーレクはデンマークの支配に満足しており、弟の参戦には肩を竦めるのみであったという)。 そしてこれが、アンラウフを生涯苦しめるノルウェー叛乱期の、第一戦だった。
アンラウフは距離的にノルウェーにより近いスヴィドヨッドに援軍を要請。ユランでは義勇軍も集まって、3500人以上の軍勢になり、先ずはグストロウでの戦いに快勝。 ノルウェー軍はスカンジナヴィア北部の族長で唯一参戦しなかったアンゲルマンランドを占領しようとしていたが、そちらには艦隊を使って北上。逆にナウマダルを占領しながら態勢を整え、奪還の為にラーデに誘き出されて来たノルウェー軍を圧倒。その後はノルウェー領を順番に占領していき……909年8月頃。
服属戦争の再現の様にベルゲンフス城砦を陥落し、叛乱は一先ず鎮圧された。 が、この叛乱を鎮圧している最中に、今度はスヴィドヨッドの方で再び内乱が発生し、アンラウフはシグルド王に借りを返す形でその鎮圧に手を貸す。
スヴィドヨッドの内乱は911年初め頃には決着したが、アンラウフは戦いに継ぐ戦いで心を病み始めていた様である。 酒量は更に増え、暴食は甚だしくなり、家臣達とも殆ど口を利く事もなくなったという。
だが、アンラウフの心を病ませていたのは恐らく戦いだけではなかった。
9世紀末頃から宣教活動を活発化させ、バルト海南世界の大部分の改宗に成功していたカソリックの宣教師達が、何度もデンマークにも訪れていたのである。
アンラウフは信仰には余り熱心ではなかったが、よもや「
ともかく、続く戦いが一旦は収まった。アンラウフは叛乱軍に参加していた族長達から所領を1つずつ剥奪し、その領土にはより忠誠心の高い者を封じた。 飽くまで処刑も追放も選ばず、ノルウェー族長達に忠誠が芽生えるのを待つつもりである様だったが、後にこれがノルウェーの叛乱を再発させる事となる。
911年8月、次男・カルルが誕生(リンダの子と同名であり、少々ややこしい)。その数ヵ月後にトティル王子(当時6歳)が不審死している。 具体的な死亡状況などは判っていないが、当時の人々は心を病んだ王が殺したのだ、「ユランの狂女」の生贄に奉げたのだと噂した。アンラウフには過去に弟殺しの(極めて濃厚な)疑惑があり、これには如何にも説得力がある。生贄云々はともかく、男子の継嗣が二名になったという事は、そのまま次世代に移ればデンマークとノルウェーの二王冠はトティルとカルルに分散する事になってしまうし、それを防ぐ為にトティル王子を暗殺したのだと考えることは十分に可能である。 トティル暗殺説に則った時、なぜカルルではなくトティルが殺されたのかという事については幾つか説があり、歴史に物語を重視する者達には、カルル王子は生まれ付いて一目で判る美貌を備えていたが、トティル王子の外見は極めて平凡であったので、フレイヤの血をより濃く受け継いだと思しいカルルが継嗣として選ばれた、という説が人気である。しかし、やはり有力なのはアンラウフ王の若さ、つまり予想される残りの在位期間の長さとの兼ね合いであろう。当時29歳というアンラウフの若さから考えれば、継嗣は若ければ若い程良かった事だろう。
912年2月、アンラウフはユランで催した
「このスカンディアでノルドとノルドが争い合い、殺し合い続ける事に疲れ果てた」
「我らの本当の敵、斧の刃を向けるべき相手は誰だ? ブリタニエでの屈辱を忘れたのか、我が戦士達よ」
「確かにあの時、汝らはイーストアングリア奪還を果たした。だが、あれが本当の勝利だと信じた様な戦知らずはノルドではあるまい」
「……汝らには、雪辱が必要である。そうだな? それも、歴史的な雪辱が必要である……そうだな?」
「ここで誤魔化すのは辞めにしよう……北の果てからそこかしこに船で出向き、武器で小突いて小銭をせしめる様な慰みで、お前達は満足なのか」
「真に武勇の証明を欲しているならば、ヴァルキュリアの抱擁を求めるならば、汝らは最早南方から目を逸らすわけには行くまい」
「幾度となくノルドを退けたあの城壁こそが、我らの世界の果て。大局においてキリスト教徒どもに敗北し続けて来た証明であろうが!!」
「あれを破り、南ユランを完全に我が物としてこそ初めてデンマークは完成する。それが果たされるまで、我々は欠けたままだ」
「汝らの陰口の通り、余は臆病者よ。余に言わせれば、『そんな事』は『どうでも良い事』だ……だがお前達はそうではあるまい」
「お前達は武勇の欠けたままで、ヴァルホールには行かれるまい。余と同様の臆病者のままではフォルクヴァングも門前払いよ」
「……号令は余が発してやろう。集められる限りのノルド兵を集めてやろう。全なる父と、戦女神に見せ付けるが良い!!」
「どんな魔物も恐れ戦くノルドの狂乱を以て、ハンマブルク城砦を打ち破ってみせよ!!」
……南ユランに食い込む東フランク領の獲得、いや、カール大帝がノルド対策に建造したハンマブルク城砦の攻略という「名誉」を餌に、それを認めさせたのだ。 これはつまり、キリスト教国への積極的な敵対を意味する。アンラウフはキリスト教国を明確な敵と看做す事でノルド人の意思統一を図り、国内の安定を目指していた。
これが、アンラウフ王最大の失策として知られる「ハンマブルクの挑戦」である。 デンマークが得た束の間の平和と安定を、「束の間」のものとした戦いであり、ノルウェーの再叛乱を招く直接の原因となった大失策である。
アンラウフ王(完結編)に続く……予定です; あ、はい、完結編でこそ完結予定です……キリ悪くてすみません;; |