ファーティマ! ファーティマ!! -Fatimah-
ファーティマ朝初代スルタン・フサインが崩御。 2代スルタンとなったのは、フサインの縁戚であり十二イマームの血筋であるラマダンであった。 彼の即位をもって、イスマイール派と十二イマーム派は統合されていく事になる。
43歳壮年での即位であり、シャイフ領の経営もこなしてきた事から、即位まもないにも関わらず その支配は磐石であった。
それはそれとして、スルタン即位から数年で身内の不幸が相次いだ。
スルタン・ラマダンの長男であり相続人であったムーサが7月19日、 アル・アルマーニ首長国との戦闘で死亡した。享年27歳。
嫡子の死に嘆きながらもラマダンは戦争を継続し、アル・アルマーニ首長よりマダバを奪った。
同年、ラマダンはハッジ(メッカへの巡礼)を行なった。
ラマダンの母親サジダ(Sajida)が8月17日、自然死した。享年62歳。
アルマフラクのシャイフ・ハサンの妻であり、 寛容な人物でエルサレムのユダヤ・キリスト教徒を迫害から保護したという。
母の死に嘆きながらもラマダンはスレイマン首長国との戦争に向かった。
スレイマン首長国よりトルトサを奪った。
3つの頭を持つヤギがドルーズで生まれた。
ここ数年の征服戦争で、ファーティマ朝の動員兵力を把握したラマダンは、 一挙にヒラル首長国、アル・アルマーニのベイレルベイ、アラビア太守との戦争を始めた。
スルタン・ラマダンの三男であり相続人であったイルビドのシャイフ・アブドゥル=ワハブが12月6日、大病で死亡した。享年30歳。 イルビドのシャイフ領はアブドゥルの長男アザムが相続し、ラマダンは彼を後継者として指名した。 すると、家臣達から猛反発が起こった。 ラマダンがスルタン即位の条件をアザムにつけた事で、一応の収拾となったのだが・・・
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アザム 後の3代目スルタン・学者たるアザムその人。 ラマダンの孫世代で最も有能な人物として高名であり、彼が後継者として 指名されるのは最も話だったが、ある一点、問題を抱えていた。
ラマダンの妻ザイナブが8月20日、自然死した。 戦場で妻の死に嘆きながらもラマダンはアラビア太守からマーンを奪った。
アル・アルマーニからアル・カラクを奪った。
ヒラル首長国からヘブロンを奪った。
ダマスカスで人々が月の上で踊っている奇妙な形を見たとの話を聞いた。
巨人はアルマフラクでいくつかの村を破壊したが、その後跡形もなく消えた。
星は3頭の牛を殺し、ベイルートの空から落ちた。
スルタン・ラマダンはメディナ太守ハーシム家の後継問題に介入し、自らが推す人物をメディナ太守に据え、 その影響力をメッカにまで広めようと考えていた。
※当時の勢力図
ところが自らの主君であるアッバース朝アラビア帝国皇帝アル=ムゥタッズ(Al-Mu'tazz II)が、これに異を唱え 現メディナ太守ジャビールが正統な太守であり、ラマダンに即刻諍いを止めるよう通告してきた。
これに激怒したラマダンはハーシム家のイーサー(Isa)を擁し、軍勢をバクダッドへと向け皇帝と開戦。 後の第一次シリア造反事件である。
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イーサー ハーシム家のイーサー。 現メディナ太守ジャビールの従兄弟にあたり、 父の代からシリア王国領であるガリラヤ太守の地位を授かっていた。 ちなみに名前のイーサーとは、イエス・キリストのアラビア呼名である。
スルタンラマダンの主君であり敵対者アル=ムゥタッズが、4月8日に肺炎で死亡した。 皇帝位はアル=ムゥタッズの長男ムザファッディーンが継いだ。 即位当時19歳の若者であった新皇帝では、老練なラマダンの相手をするには 力不足と思われたが、皇帝は隣国でありスンニ派最大の勢力を誇るサッファール朝の姫を娶り サッファール朝より援軍を得る事に成功する。
これによってファーティマ朝が当初、目論でいた早期終戦の道筋は絶え、 泥沼の長期戦と化していく。戦場には屍の山が築かれ続けた。
サッファール朝開祖ヤアクーブ 史実において、銅細工師(サッファール)という身分から一代で這い上がった英雄。 この世界においては、彼の子孫によって史実以上の版図が築かれており、 その版図はバルチスタン、アフガニスタン、ペルシアの3つの地方に及んだ。
害鳥の群れは何千もの農家の分野に多くの被害を引き起こし、ちょうど収穫前パルミラに侵入しました。
ファーティマ朝シリアは今年、非常に豊作を恵まれた。
地球は200人もの農民や司祭を殺し、アレッポを3日間横に揺れ動かした。
アルマフラクでは、人々はスルタン・ラマダンの慈悲深い規則を迎えた。
星は3頭の牛を殺し、アル・スフナフで空から落ちた。
地球は200人もの農民や司祭を殺し、メディナを3日間横に揺れ動かした。
害鳥の群れは何千もの農家の分野に多くの被害を引き起こし、ちょうど収穫の前にアルマフラクに侵入した。
メディナ太守領の地位を巡るスルタンと皇帝との争いは未だ決着がつかずにいた。 そんな中、8月11日にファーティマ朝スルタン・ラマダンはベッドで昏睡状態に陥り崩御した。
同年、ラマダンの孫であるアザムがスルタンに即位。
アザムは、予ねてよりスルタン即位の条件とされていた内容を 配下の太守、シャイフ達を前に、改めて宣言した。
・アッラーに誓って、シーア派を弾圧しない。 ・アッラーに誓って、宣教は行わない。 ・アッラーに誓って、子弟にはシーア派の教育を施す。 ・アッラーに誓って、後継者にはシーア派を指名する。
この宣言を受け、諸将は渋々とスンニ派の信仰者であったアザムのスルタン即位を承認。
こうして、ファーティマ朝唯一のスンニ派スルタン"学者たるアザム"の時代が始まろうとしていた。