AAR/ターヒル家は傷つかない

※今回は番外編、第3代ペルシャ王アボルハサンが即位した時期のイスラム情勢です

961年時点でのイスラム国家*1

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・キルギス(Kirghiz) キルギスとはトルコと関係の深いテングリ教の遊牧民である。9世紀までにはウイグルの勢力をほぼ駆逐。 モンゴル高原を従え西進しクマン族を滅ぼしたが、その後イスラムの強国サーマーン朝と対峙するようになり、これに屈した彼らはイスラム教へと改宗した。 改宗した後もサーマーン朝とは険悪な関係であり、度々国境付近で戦闘が起こっている。

・サーマーン朝(Samanid) サーマーン朝は元ヒヴァを治めるターヒル朝の家臣であったが、9世紀ターヒル朝の弱体化によって平和裏に独立。 元々乾燥した内陸国で豊かでなかったためイスラム中央の主導権争いに加わる力を持たず、後のターヒル朝とサッファール朝との争いの際には天秤外交を行うことによって自らの利益を引き出した。 南方を同盟によって固めると北伐聖戦を繰り返し広大な領地と莫大な富を得たが、キルギスのイスラム化と一族の分裂によって拡大路線に支障が出始めている。

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・サッファール朝(Saffarid) 一代の英雄ヤアクーブ1世が立てた王朝。スィースターン地方の一軍司令官にすぎなかった彼は、872年までにターヒル朝を滅ぼしてペルシャの大部分を手中に収め、アッバース朝領を伺うまでとなる。 しかし873年彼が病死し、サッファール朝はファールス地方を治めるターヒル家分家であったスレイマンの中央ペルシャにおける蠢動を止められなくなる。 そして904年スレイマンの子アブダッラーによって中央ペルシャは再びターヒル家の元に独立してしまう。 その後は歴代シールジャーン公の反乱に見まわれ、混乱しながらも10世紀中頃までにはひとまず南ペルシャにおける安定した政権となり、第4代ヤアクーブ2世(大王)の元で最盛期を迎えている。

・ターヒル朝(Tahirid) ターヒル家はは元アッバース朝のホラーサーン地方の総督の家柄で、アッバース朝が衰えてから平和裏に独立していた。 872年にターヒル朝第五代ムハンマドがサッファール朝に降伏し一旦独立を失うも、分家であったスレイマン・アブダッラー父子の奮戦によって904年再独立。 以降はペルシャ王を名乗りサッファール朝と戦いながら北ペルシャの中小勢力を切り従えていった。 歴代王はアッバース領メソポタミアに強烈な関心を示しており、アッバース朝カリフとの対決は避けられないものとなっている。

・アッバース朝(Abbasid) 言わずと知れたイスラム国家の総宗主国。 9世紀頃に勢力が衰え、アラビア半島を除く多くの地域で地方政権の独立化が進展(ペルシャのターヒル朝、エジプトのトゥールーン朝、メッカメディナを治めるハーシム家)。 しかし歴代カリフは国力増強に努め、961年までには失地を多く回復、また北部の中小勢力に支持されるようになってきている。 勢力を強めてからはアッバース朝の宗主権を盛んに周辺国に主張し始めており、それらの国々からは非常な脅威ととられている。

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・ハーシム朝(Hashimid) ムハンマドの娘ファーティマを祖とすると主張するアッバース朝の地方政権*2。 メッカメディナを支配する。アッバース家とは同族であり、半ば独立してはいるもののその関係は非常に良好である。

・トゥールーン朝(Tulunid) アッバース朝のエジプト総督が、9世紀におけるアッバース朝の衰退を機に平和裏に独立して打ち立てた王朝。 周辺に強国がなく、エジプトは世界屈指の豊かさで一時期は最も強盛なイスラム教国だった。 しかし歴代王は無能であり、聖戦に連敗し続け、現在はヌビアで独立反乱が起こるなど末期的症状を示しており、アッバース朝の魔の手から逃れる程の力を持っていない。

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・後ウマイヤ朝(Umayyad) アラブ帝国を創りだしたウマイヤ朝の後継政権。 歴代王は優秀な武人であり、アストゥリアスやナバラといったキリスト教国を次々と滅ぼして、961年時点で完全にイスパニアに根を張っている。 最近では西アフリカで勃興していたイドリース朝をほぼ壊滅させ西アフリカにも影響を及ぼしている。

第四回 アボルハサンの治世


*1 一応各国説明文の一行目が史実、二行目以降がゲーム内での歩みです
*2 だと思いますよくわからないです。知っている人いたら教えて下さい

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