その日イドリース朝の都・マラケシュの宮廷には国内各地より参集した諸侯が緊張の面持ちで王が現れるのを待っていた。 彼らが必要以上に緊張するのも無理はない。そもそも今回の参集命令はあまりにも急なものだった。そのため、都に集める目的は自分たちの中の誰かを誅殺することではないかという噂が流れた。噂を半ば信じ、武装して都入りする者もいた程だ。しかし、どうもそれが事実ではないということがわかると、今度は王が急死したのではないかという怪情報も流れた。都に集められたもののいつまで待っても宮廷への出仕命令が来ないこともあり、この噂は信憑性を帯びてささやかれたのであった。 このように諸侯がデマに踊らされ疑心暗鬼となっているような状況で、ようやく王より宮廷へ出仕するように命がきたのであった。
Yahyaは諸侯の前に姿を現すやいなやこう宣言した。
対面して早々、王より突然発せられた宣言に諸侯たちは皆、最初きょとんとした。しかし、次第に王の言葉が頭に入り、王の宣言することの意味を理解すると、彼らの内から自然と熱気を帯びた歓声が発せられることとなる。
「うぉぉぉぉ!!イマーム,Yaya様万歳っ!!!!」
彼らの心からの叫びに応えるかのように、Yahyaは満面の笑みを浮かべた。
Yahyaの即位宣言の数日前の深夜、宮廷にはイドリース家の一族の面々が顔を揃えていた。
親父、こんな夜中に何だ?
陛下に殿下、お久しぶりでございます。
呼び出されたのはイドリース一族の重鎮である、以下の2名である。
王太子Al-Qaism
王国一勇猛な武人である。しかしその武勇は残虐性をも併せ持っていた。
フェス公Ali
Yahyaのいとこにあたる。生涯王家に忠義を尽くした。
よく来てくれた。こんな時間に呼び出したのには他でもない。余はついに決意をした。なるべく早くお主らに今後の事を話したいと思ってな。
陛下、一体いかなるご決心なのですか?
YahyaはAliの質問をまあ待てと遮り、「入れ」と静かな口調で言う。しばらくして1人の男が部屋に入ってきた。
Taroudantの領主 Ghanim
宮廷の御用学者を務める男である。
失礼いたします。
Ghanimよ、説明してくれ。
はっ。皆様方、陛下はイマームに即位なさろうと考えられております。
お、親父!!
な、何ですと!?
Ghanimの発言に2人は驚きを隠せずにいた。無理もない。 イマームとは、イスラム教シーア派にとっては宗教的最高権威にあたる地位である。この地位は血筋の正統性が重視され、代々アリーと妻.ファーティマの間に生まれた長男の系統が継承してきた。しかし、この時より17年前に12代目にあたる人物が行方不明となったため、現在では実質不在の状況にあった。
成程!我が一族はアリーとファーティマの次子.ハサンの末裔、イマームに就く正統性は十分ありますな!
親父がイマームになるとはこれはめでたい!早速即位しようぜ!!
ところがそう簡単にもいかないのです。
何でだよ!?
そもそも現在イマームが不在なのは12代目を継ぐ方が行方不明となられたからです。シーア派の長老たちの中には今もなお行方不明の12代目がイマームであるという考えの方が多く、陛下の即位には否定的です。
頭の固いじじぃ共だな!ここへ連れて来いよ、俺が分からせてやる!!
息子よ、落ち着け。Ghanim、余はもうすでに決意を固めておる。余は考えの異なる者とは決別し、イマームに即位する!
よろしいのですか?場合によってはシーア派がさらに分裂する可能性もありますが…
構わぬ。長老たちには彼らの信念があるのだろうが余には余の信念がある。シーア派は指導者を得て今こそ団結せねばいつまでもスンニ派に弾圧されるがままだ。正直、余にはその任は重いのかもしれぬが、他に適格な者がいないのだから仕方あるまい。余はイマームに即位する!早急に即位の儀の準備を進めよ!
御意…!
かくして、イスラム歴269(西暦891)年、Yahyaはシーア派イマームに即位することを公に向けて宣言した。 Yahyaは国内ではイマームと称し、対外的にはアッバース家に対抗してカリフを名乗ることとなる。
これにより、イスラム世界にカリフが並立する事態となったのであった。
Yahyaの即位に熱狂するイドリース家。しかし、これは新たなる長き戦いの始まりに過ぎなかったのである。
(続く)