「おはこんばんにちは。ケント公ジョージ1世賢公だよろしく。」
「おはこんばんにちは。エセックス伯ジョージ通称ジョージ・ジュニアだよろしく。」
「まずは前回紹介し忘れた息子ジョージ・ジュニアの能力紹介だ。」
「お前、片足をなくしたのか?」
「まあね、でも普通に生活(性活)するぶんには大丈夫だよ、親父。」
「はっはっは、それを聞けて安心したぞ。オレも負けてられないな。」
「ねえねえ、親父はなんで賢公なんて呼ばれてるの?」ニヤニヤ
「うるさい、民がそう呼んでいるんだいいことだろ。」 「そんなことより息子よ、密偵頭から報告があってどうやらお前の嫁がオレの暗殺を企てているらしい。」
「まじで?そんなの聞いてないよ。(どうせ親父が先に死ぬんだから余計なことしないでくれ。)」
「む、どうした?本当は知っているんじゃないのか?」
「知らない。しらないよ、オレがそんなことするわけないじゃないか。」
「そうか、今回は信じるとしよう。だから彼女にやめさせるようにいってくれ。」
「わかったよ。」
西暦796年5月20日二女ヴィクトリア誕生
「今回はちゃんとヴィクトリアと名付けたからな。」
つづいて、西暦799年12月20日三女エラ誕生
そして、西暦800年3月23日ジョージ・ジュニアに長女メアリー誕生、 知らない間に二女カスリーンも生まれていた。
また、西暦802年8月20日賢公ジョージに二男アルフレッド誕生
「若い命が増えるのは実にいいことだ。」
西暦802年12月20日、宰相よりサフォーク伯爵号の請求権を捏造したとの知らせが来た
「正直オレももういつ死んでもおかしくない、今すぐ宣戦布告したいところだがお金が貯まるのをまとう。」
ケント公ジョージ1世賢公は、西暦803年1月2日イーストアングリア王エゼルレッド2世に対しサフォーク伯爵号を要求して宣戦布告した。
「息子よお前もこの言葉をいう時がきたな。」
「はい、やっとですねうれしいです。」
貴公の首は柱に吊るされるのがお似合いだ!!!(パパパワードドン)
賢公ジョージ1世はまず近隣で暴れているヴァイキングどもを蹴散らした後、イーストアングリア領サフォークに侵入、西暦803年7月4日サフォークにある一つ目の城を落とした。
その後、西暦803年8月1日エセックスにてイーストアングリア軍主力を打ち破り、翌西暦804年1月30日サフォークにある4つの城すべてを落とし、同日第一次ケント=イーストアングリア戦争は賢公ジョージ1世がサフォーク伯領を手に入れて終結した。
西暦804年1月30日、賢公ジョージ1世は息子エセックス伯ジョージに新しく手に入れたサフォークの地を譲渡した。
そして...
「親父、親父しっかりしてくれ親父!まだ死んじゃだめだ!」
「息子よ、オレはオレの生涯に後悔はしていない。お前も後悔しないように生きるんだぞ。サセックス家の未来とイングランド人命運はお前に託した。」ガタッ
「親父ぃ~~~!」
西暦805年6月12日ケント公爵ジョージ1世賢公崩御。彼は1代で弱小だったサセックス家をケント公爵にまで育て上げた。その最期はとても安らかだったと伝わる。
偉大なるケント公爵ジョージ1世賢公万歳! そして、ケント公爵ジョージ2世に栄光を!
西暦805年6月12日現在の領土 現在のおフランスは、一度独立した西フランク王国を再度東フランク王国が併合、中フランク王国はまだ独立を保っています。そしてブリュターニュ半島の先っぽにイベリア半島をほぼ統一したウマイヤ朝が進出してきています。
現在の血族スコア90
ケント公ジョージ1世賢公の治世・後半終わり
ジョージ1世の治世では計3回リロードしました。 内2回はジョージ・ジュニア成人前に賢公ジョージ1世が亡くなったためです。
後の1回はこちら、
息子が異端に染まりさらにアングロサクソン人になっていたためリロードしました。 これは、アングロサクソン人の宮廷司祭長が異端に染まったため投獄したんですが、税法改正のためすべての家臣のオピニオン0以上を満たす必要があったのです。そのため釈放せざるおえず、その後息子が6歳になって、管理能力が一番高い家臣をテキトーにあてがったらこのアングロサクソン人の異端司祭が一番高く息子が成人したらこうなっていたわけです。
このときはすでにケント公爵を創設し終わっていましたが、異端アングロサクソン人の後継者を認めるわけにもいかずリロードしました。