1181: サラディンは直ちに三軍をもって侵攻を開始した。 南東から少数の軍隊がきたかと思うと、彼らはシナイで合流して大軍となり、すぐさまレイモンドのケラク砦が包囲された。 別の軍はダマスカスからやってきて、北東から侵入し、サフェが包囲される。
ボードワン1世はこの脅威に対抗して全軍を徴兵したが、彼の軍勢はまだ非常に劣勢にように見えた。 その主要な理由はまもなく明らかになった。ティベリアス伯レイモンドが書状を寄越して、王の招集を拒否する旨伝えてきた。 レイモンドの軍はマスシャフ*1の攻撃に巻き込まれており、あの忌まわしいハッシンの砦の近郊にいたため、どのような軍隊もおくることができなかったのだ。