コナート小王ルアリィ。画像は死の数年前のもの。
1095年の12月16日、アイルランド北西部コナートの小王を称するルアリィは死期が近いことを悟り、次男のドナールを枕元に呼んだ。 王として、家長としての振る舞いや、諸侯との外交方針についての話は病に伏す前から既に何度も交わしていた。 「エールでお前を阻むものはない。我らの他は食べやすく千切ったパンのようなもの。全て残らず食べてしまえ」 ルアリィはドナールにそれだけ伝えると、侍従に他の家族を呼ぶように言った。
心残りが無いわけではない。ただ、自分よりもずっと優秀な息子が後を継ぐことには満足していた。 ベッドで家族に囲まれながら、小王は息を引き取った。
ドナールの祖父のエイドの代からコンホバル家はアイルランド北部の平定事業を本格的に進行させている。 祖父エイドと父ルアリィはアイルランド北部3州を奪い取り、コナートと合わせてドナールに4州を継がせることに成功する。 ドナールはその執政の最初からアイルランドの中で頭一つ抜けた存在として歴史に歩を進めることとなる。
ルアリィの次男ドナール。外交能力と特質から他者からのopinionボーナスが大きい。
ルアリィの子としては、長男のタグと次男のドナールという2人の息子が成人していた。 ただ、臣下達を剣ではなく言葉で喜ばせ、付き従わせる才はドナールの方が恵まれていた。 智謀にも長けていたため、為政者としてはドナールの方がふさわしいと考えたルアリィは次男を後継者として指名していた。
ルアリィの長男タグ。「決闘者」があるため個人戦闘スキルは6に達する。 しかし「嫉妬」「傲慢」「狂気」などの悪目立ちする特質が…
タグも決して凡庸な人物ではなかった。 王としての能力に大きく欠けている点はなかったし、軍を率いて戦場を駆ける将としてはドナールよりも優れていた。 特に剣の腕は「エールに並ぶものはいない」と言われ、数々の強者と戦って不敗を誇ったという。 だが、タグはしばしば周囲の者から奇怪に映る振る舞いをしたり、臣下に対して傲慢な態度を取ることもあった。 生前のルアリィはタグをたびたび諌めていたが、タグの心根が変わることはついぞなかった。 このことも後継者の指名に影響したのかもしれない。
ノーサンブリア女公爵エルジフと領地を持たないタグを婚約させる。
ルアリィは自らの死後に兄弟間で争うことがないよう、タグをイングランドのノーサンブリア女公爵エルジフと婚約させていた。 2人の間に子が生まれれば、ノーサンブリア公爵位はコンホバル家の名で継がれることとなる。 だが、領地を持たない長男がイングランドの宮廷に送り出されるのはコナートの継承を巡っての実質的な追放であると誰もが思っていた。
兄からのopinionがマイナスに…タグがコナートを離れるまで何か良くないイベントが起きそうで怖かった。
家督を継げなかったうえ、20も年下の娘の元へと送り出される… プライドを傷つけられたタグはルアリィの死後、弟への嫉妬心を増すばかりであった。 タグがコナートを離れグレートブリテン島へと渡る日、タグは城内の調度品を剣で叩き割って出ていったという。 その後、兄弟は死別するまで対面することはなかった。 以降、ドナールの家系が嫡流としてコナートを治め続ける。 タグの家系はアイルランドを離れ、ノーサンブリア公爵領内で細々と生き続ける。
ルアリィの代で継承法を選挙制に変更しています。 この先、領地が大きくなり王国(小王国ではない)を持つと法律画面の仕組みが変わり、継承法によって一定以上の王権が必要となりますが、公爵級までの状態ならば比較的自由に継承法を変更できます。 選挙制はメインの称号の1ランク下の臣下が投票に参加します(メイン称号が皇帝の場合は公爵も参加)。 この時点の称号は小王(公爵級)なので、配下の伯爵がいれば投票に参加してきます。 ただ、伯爵領全てがプレイヤーが管理できる直轄地の中に収まっているため、配下の伯爵が存在しません。 そのため、この時は実質的に後継者を自由に指名できる状態でした。
ドナールには友と呼べる相手が2人いた。
主君と同名で紛らわしいが、出自不明の家令ドナール
1人は家令を務めるドナール。
マイケル家ライアンの子ゴーマキャン。父から「天才」を受け継ぐ。
もう1人はルアリィの代から宰相を務めるゴーマキャン。 ゴーマキャンの父ライアンは若くして亡くなったものの、エイドの治世では家令として大いに貢献した。 このマイケル家は後にドナールからミーズ公爵に封じられ、以降長きに渡りコンホバル家に従うこととなる。
彼らもまた優秀な能力を持ち、かつ常に信頼しあえた仲だったので、ドナールは大いに助けられたという。
剣の腕に不安を覚えるドナール。ゴーマキャンに指南を受け上達していく。
諸侯に対し常に国力で勝るドナールはアイルランド北部平定を進める。 1109年、即位から14年で2州を攻めアルスター公爵領を全て飲み込む。 さらにその4年後の1113年、アイルランド中部のキルデアを併合。 アイルランドの過半を制圧したドナールはアイルランド王を自称することとなる。
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この頃からドナールはその振る舞いから「高貴王」と呼ばれるようになっていた。 名実ともにアイルランドの君主の座についたドナールは、アイルランドの独立諸侯に臣従を要求する。 残りのアイルランド6州のうち4州がドナールの前にひざまずき、従うことを拒んだ2州は王の武力でもって領地を没収された。 アイルランド王即位から6年目、ルアリィから小王を継承して24年目の1119年、アイルランドはコンホバル王朝のもと統一される。
「えっ、これクリックするだけで戦争しなくても臣従させられるの…」ってショックを受けた瞬間
王女アイネ
ドナールの治世の間、外敵に脅威は存在しなかったので、王が悩んだのはもっぱら自らの後継者についてだった。 ドナールにはポルトガルから招かれた妻がいたが、2人の間に子はアイネという女児が1人生まれたのみであった。
後妻アーガンテイラ。 アーガンテイラがルアリィと年の離れた女性だったせいで、ゲームエンド後にSS確認する時まで父の后と結婚してたのに気づいていなかった…。 (ドナールは1066年スタート時に生成済みのキャラクターだが、母親は設定されていない)
その後ドナールは父の后のアーガンテイラを後妻として迎える。 後に子をなすが、彼女から生まれた子もアイビリンという女児のみであった。 幸い、王の実子に男児がいない際は女児も継承者候補となるよう定められていた。 女王に難色を示す諸侯もいるだろうが、重要なのは王の実子に王位を継がせられることだった。
ルアリィの代から次代の後継者は票を投じて選ぶこととなっていたので、アイルランド王位も同様に王と諸侯の投票によって決められることとなっていた。 ドナールが継いだ時とは異なり、今回は配下の爵も参加する投票である。 アイルランド王位を創設した当初はアイネが後継者であると満場一致を得ていたため、ドナールも安心していたのだが…。
投票にはアイネの夫の公爵も参加しているのだが、彼まで宰相の支持に回ってしまう。
数年後、王以外の全員が宰相ゴーマキャンを次期王として定めてしまう。 ミーズ公として封じた後もドナールとゴーマキャンの親交は続いていたが、ゴーマキャンが担がれるようになった経緯は皆目検討がつかなかった。 誰かが彼をそそのかしたのだとも言われるが、はっきりしたことはわかっていない。
ドナールは悩んだ末、継承法を末子相続へと切り替える。 最終的にアイネが次期女王として定められるが、この時の王の心労はどの戦の時よりも大きかったという。
ドナールはアイルランドを席巻する過程で多くの地に兵を送ったが、アイルランドを統一して以降はグレートブリテン島へと食指を伸ばさなかったので、軍を大きく動かすことはなかった。 自身の死後、アイネが即位した直後の政権が不安定な時期に内乱・外敵を呼び込むリスクを恐れたと言われる。 そのため、公庫の財源はコナートの軍備を増強するために注がれ続けた。 これもアイネへの強力な遺産となった。
1130年、即位から35年、ドナールは67歳でこの世を去る。 アイルランドに覇を唱えた老王の晩年は穏やかなものであったと伝えられている。
アイルランド諸侯に対しては常に数倍の兵力で平押しできたので、あっさりすぎるほど簡単にアイルランド王になってしまいました。 アイルランド統一でチュートリアルのプレイは終わりかな?と思ってたのですが、そのままブリテン島統一までプレイを継続させることにしました。
王位を獲得すると長子相続は王権を「高」まで上げないと選べなくなります。 そのため苦し紛れの末子相続となりました。 アイネ以降の代で長子の方が優秀な場面になった時に長子相続に切り替えるつもりだったのですが、今回のプレイでは末子が常に王として優秀だったり、男児が1人しか生まれなかったり、かつアクシデント的に子が増えたり減ったりすることもなかったので、結果的にゲームエンドまで末子相続のまま終了しました。 能力にさえ問題がなければ基本的に長寿政権となる継承法なので、幸運に恵まれていたと思います。 (Reaper's Due を入れていると多分簡単に後継者がポンポン死んでいくんだろうな…) なお、ドナールの末子はアイネではなく後妻との間に生まれたアイビリンなのですが、アイネに男児が生まれたためにアイネが後継順1位となっています。 これは準親族相続制では既に男児がいる女児が後継者として優先されるためです。 選挙制の危うさといい、継承法まわりでいろいろと勉強となった騒動でした。