特筆すべきはポロヴィツ族(クマン族)の弱体化である。 族長の早逝により、ポロヴィツ族内で”サチたんは俺の嫁戦争”が勃発。 内紛に乗じてガリーチ公国、ルーシ王国は協力してポロヴィツ族を駆逐し その功績によりガリーチ公国はルティテア王国に変態。 ポロヴィツ族は以後衰退していく。
一方のルーシ王ことウラジミル2世は同教徒での戦争の練習と称して ルティテア王国を攻撃しはじめる。
De Jure戦争はこうだろ~
男爵じゃ独立しちゃうのか~ふんふん
1142年、18歳にしてブルガリア公国を継いだキリル野心公は 隣国チェレミサ公女マリフリダと結婚すると、 マリフリダをそそのかし、弟と父、チェレミサ公位継承者とチェレミサ公を暗殺した。
そして、マリフリダにチェレミサ公位を継がせ、 ヴォルガ=ブルガリア統一、果てにはヴォルガ=ブルガリア王位簒奪を目論んだ。
ルーシ王ウラジミル2世はチェレミサ公の不審な死をきっかけに この若夫婦の陰謀に気づき、キリル野心公を捕縛し、ブルガリア公位を剥奪した。
幸いなことにキリル野心公とマリフリダの間にはまだ子供ができていなかったため、 両家の所領が統合されることはなかった。
しかし、この事件は長きに渡る動乱の始まりに過ぎなかった。