インノケンティウス3世。1160-1216.
イタリア人の教皇(在位1198-1216)。本名Lotario di segni。
パリで神学、ローマで教会法を学び、1190年枢機卿、37歳にして教皇。 グレゴリウス7世の教皇権絶対主義を継承し、教皇領の失地回復に努める一方、「基督の代理者」を自称して全ヨーロッパの国政に干渉した。
ドイツ帝位をめぐる争いではオットー4世を助け、1209年に戴冠させたがイタリア領を要求したのでこれを破門。1215ねんんフリードリヒ2世を皇帝としシチリア領を与えた。
フランス王フィリップ2世の離婚にも介入。1200年に后インゲボルクを復縁させた。
イギリス王ジョンを初めアラゴン、ブルガリア、ポルトガルの王にそれぞれの領土を教皇からの封土とすることに成功。
また第四回十字軍をおくり、1204年にコンスタンチノーポリを奪回しラテン帝国を樹立した。
1215年、ラテラノ公会議を開催し、ワルド派とアルビを排斥。 かくして彼の時代に教皇政治は絶頂に達した。 同公会議はフランシスコ会、ドミニコ会の創立を公認し、旧修道会を改革し、教理や規律の面でも重要な決定を下したほか、教皇の首長権を確立し、「王なる司祭」の理念を実現した。
(参考:ブリタニカ国際大百科事典)
教会税は年間1200ダカット!
初代ローマ教皇はペテロ。