・ver1.04 ・Normal ・1178.1.1 ・Kingdom of Jerusalem
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イェルサレム王国。
ウィキペディアより、1160年のイェルサレム王国
1096年、教皇のよびかけに応じてフランスの騎士たちは聖地へ向かった。 そしてエデッサ、アンティオキア、トリポリといった十字軍国家とともに、1099年、イェルサレム王国が建国される。
しかしイェルサレム王国は貴族たちの内紛やムスリムの反撃にあって、厳しい立場にたたされていた。 苦境の王国を救おうという第二次十字軍もうまくゆかず、聖地の存立は風前のともしびである。
ボードワン4世。
ボードワン4世の肖像画(右図の子供)
史実では、ハンセン氏病をわずらいながら王国をよくまとめ、ムスリムの攻囲をよく凌いだ名君として知られる。
今回はこのボードワン4世が成人した1178年からはじめた。 イェルサレム王国はまだエルサレム、トリポリ、ガリラヤを制圧しており、大国エジプトの海のなかに浮かぶ孤島とはいえ、戦力としてはまずくはない。 ただし、領有するプロヴィンスはいずれもイスラム教を信仰しており、異宗教ペナルティのために収入や動員兵力にはかぎりがある。
動員兵力には限りがあると書いたが、イェルサレム王国には心強い味方がいる。 そう、ホーリーオーダー(宗教騎士団)である。
テンプル騎士団
ロードス騎士団
騎士団の兵力は7350に及び、一国の軍事力に匹敵する。 それがゲーム開始時点で二つもあるのだ。この軍事力をつかわない手はない。
ボードワン4世はエジプトに対抗できる軍事力を確保しようと、テンプル騎士団を雇用して北のアッコン公爵および暗殺教団に宣戦布告した。 続いて信仰の回復を待ってロードス騎士団を雇用、これも異教徒討伐に派遣する。 アッコンも暗殺教団もこの軍事力の前に敗れ、三年後には彼らはイェルサレム王国に領土を割譲して降伏する。
しかし残念なこともあった。
支配している異教徒たちの反乱は苛烈で、これとの戦争は依然として続いた。 イェルサレム王ボードワン4世は自ら剣をとって異教徒の反乱の鎮圧に赴いたが、彼は流れ矢にあたって陣没してしまう。
イェルサレム王国の王冠はボードワン4世の娘が継いだ。 しかしこの娘はわずか0歳のため、王国内に反乱の機運が充溢した。 最初に反乱の火の手をあげたのは、ボードワン4世の従姉妹であったシビル女公だった。 シビル女公は継承順位二位のため、イェルサレム王のクレームをもっていたのである。
内乱がはじまった。
シビル女公の軍勢はイェルサレム南部で兵をあげ、またたくまにイェルサレム城下を包囲した。 ボードワン4世亡きあとの貴族たちは宗教騎士団をシビルの軍勢にあてようと騎士団団長たちと交渉したが、 宗教を同じくする者との交戦を団長たちは認めようとはしなかった。
在地兵力はムスリムとの戦いですでに消耗していた。 劣勢の中、貴族たちは決戦兵力をかきあつめようとしたが、シビル女公は迅速に次の手をうってきた。 つまり、ガリラヤ公爵がシビル女公に味方して反乱を起こしたのである。 兵力の格差は決定的となった。
ボードワン4世の遺児をかかえた貴族たちは、敗北をさとった。 シビル女公のエルサレム王のクレームを受け入れ、ここにシビルがイェルサレム女王となった。
だがシビルが即位したからといって、イェルサレム王国の状況がかわったわけではない。
エルサレム王国は領内の異教徒の反乱と、エジプト王国をはじめとするムスリムの攻撃にさらされた。 シビル女王はテンプル騎士団、ロードス騎士団、そしてチュートン騎士団たちと契約し、これの攻撃をしのごうとした。
内乱の鎮圧とムスリムの侵攻に対処する宗教騎士団たち
三つの宗教騎士団を駆使してムスリムたちとたたかうイェルサレム王国の明日がどうなるかは、まだ分からない。
(おわり)