突然ですが、リチャード王よりこのような書状が届きました。
ああ、本当に恐ろしいことです。オッソリー公は何か罪を犯したわけではありません。 兄王は国内の不穏分子の粛清を決意したのでしょうか? 反抗する者は取り除くのではなく懐柔してこそ真の王朝の安定につながるのではないでしょうか? ジョンは不安を感じずにはいられません。
あれ、オッソリー公って我がコンウォール公領のデボン伯領を支配してるよな?よし、plotに加わろう!
オッソリー公は王の横暴なる命を当然拒否、反旗を翻すこととなりました。
王軍に立ち向かうために出陣するオッソリー公軍。哀しい。
強大な王軍にかなうはずもなく、オッソリー公は敗れて公位を剥奪、デボン伯に降格となります。 そんなデボン伯を哀れみ後見人を買って出たのが我らがジョンでした。デボン伯はいたく感激したそうです。 以後デボン伯はジョンのもっとも忠実な封臣として大いに活躍するのです。
諸侯の不満をそらすためかリチャード王は頻繁に軍事行動を行います。
1208年。神聖ローマ帝国のジェノヴァ共和国討伐の援軍。
1212年。カスティリヤ王主導のバレンシア十字軍への参加。
1213年。アイルランド遠征。
1217年。南仏Limousun伯国の討伐。
これらの活動はすべて成功を収めました。しかしながら諸侯の不満は和らぐどころか軍事費の逼迫により高まっていきました。
そんな中、ジョンは領地の内政によく励みました。 また、教会への礼拝も欠かさず行い、積極的に寄進もしました。 その結果、粛清と相次ぐ軍事行動により怨嗟の的だった兄王とは対照的に、
「敬虔」公と称讃されるようになったのです。 諸侯の間では日増しにジョン待望論が高まってきた(ような気がするけどそんなことは無かった)のです。
遥か東の方でも大きな動きがありました。
モンゴル帝国の襲来です。 勇猛な遊牧民を率いるのはもちろんこの人・・
チンギス・・・じゃない!?だ、大ハーンバーブルです(汗)!! こいついったい誰だよ・・。ちなみにチンギス・ハンことテムジンとその家族は何故かハンガリーの伯爵のところにいました。 これはHIPModの仕様なのでしょうか?何かご存知の方がいれば教えてほしいです・・。
まあ、チンギス・ハンじゃなくても数年でここまで拡張してしまう糞帝国なのですけどね・・。
ジョンは勢力拡大に動きます。 兄に対抗できる力を持つためには自らの勢力を強めないといけません。そのためには今までみたいな平和主義ではだめなのです。
実はジョンは密かに宰相にウェールズ南部の諸伯領の請求権を捏造させていました。 この度ついに捏造が完了し、請求権を行使するときがきたのです。
1215年初めのことでした。ジョンはウェールズ南部を治めていたDeheubarth公に宣戦布告します。 「第1次ウェールズ解放戦争」(ジョン曰く)の始まりでした。
ウェールズ諸侯「ただの侵略者である」
ジョン率いるコンウォール軍は妻イザベラのグロスター軍、息子ヘンリーのランカスター軍と連携して有利に戦を進めます。
Aber Tawyの戦い
敵方の城を落とし、そこを治める伯爵の捕縛に成功
戦争はジョンの勝利に終わりました。Deheubarth公は泣く泣く3州の割譲に応じました。 功労者に報いよう。家臣を厚く遇する名君として評判の高いジョンは今回の最大の功労者、宰相ヘンリーをGower伯に封じ功に報います。
新Gower伯ヘンリー。宰相にしてジョン第一の重臣。
感激して涙を流すヘンリーにジョンは言います。 「まだお前には働いてもらうぞ。」
1年後。宰相ヘンリーの鬼気迫る活躍により、ウェールズ南端のDyfedの請求権の獲得に成功しました。
さっそく行使。
たかが1領程度の伯爵などジョンの敵ではありません。 特に苦戦することもなく、順当に勝利しました。
これによってウェールズ南部の大部分を掌中に収めたジョンは自らが真のDeheubarth公であることを宣言します。
これに1領土にまで落ちぶれたDeheubarth公に抗する力はありません。 かくしてジョンは2つの公爵位を兼ねる「大公」として大きな力を持つようになっていったのです。 時に1218年。ジョンは51歳になっていました。
現在のジョン。割と有能になってきてるよね・・?