Nakonid家は南より押し寄せるキリスト教徒に抵抗したWend族の一門であったが、 先代の当主Guthskalcoがキリスト教に改宗したため、他のWend族と対立し反乱が勃発。 Guthskalcoは殺され、息子Budiovoj、HenrikはDenmark王の支援のもとLubeckに落ち延びた。
現在の当主Budiovojは父を殺したMecklenburg酋長Krutojに対する称号請求権を有している。 まずはMecklenburg公の称号を奪還したい。
史実ではBudiovojがSaxon人の助けを借りてKrutojに挑み、返り討ちにあって死に、 弟Henrikが宴会に呼び出したKrutojをぶっ殺してMecklenburg酋長の座を奪い、 Denmarkに征服される12世紀前半までNakonid家は繁栄を続けたらしい。
これはゲームですのでそんなことはありません。正規の戦争で領地を奪還してください
史実では周辺勢力から色々支援を受けたNakonid家だが、 このゲームの援軍は、基本的に婚姻同盟と傭兵のみと厳しく限定されている。 傭兵を雇う金は、領邦一つでは一生貯まらないはずなので、婚姻同盟を目指す。
子沢山で知られるDenmark王なんかが最有力候補だが... 領邦一つの伯爵では格が違いすぎて相手にされない。 CK界のアイドルToscana女伯Matildaちゃんも「アンタみたいな奴、お呼びじゃないのよ」と無視された。
嫁候補を見渡してみると、Hungary王女やNavarra王女と結婚可能だが、 あまりに遠すぎて、援軍が来る前に唯一の領地Lubeckが落城する可能性が高く、没となった。
次に公爵子女を狙うと、丁度すぐ近くに領地を持つ神聖ローマ帝国臣下のSaxony公女が売りに出されていた。 これは買いだ。Saxony公を同盟参戦できるように神聖ローマ帝国に臣従した。
Mecklenburg奪還に向けて雌伏の時を耐え忍ぶBudiovoj、 だが好機は意外なほど早く訪れた。
Mecklenburgは神聖ローマ皇帝にDe Jure Claim CBで宣戦布告され、 野戦軍を殲滅され一領邦を失陥、さらに隣りのPomerania酋長がMecklenburgにDe Jure Claim CBで宣戦布告。
バニラだとHoly War CBでMecklenburgは神聖ローマ帝国にあっと言う間に滅ぼされ、 支配者がドイツ人の入植者に取って代わられ奪取がほぼ不可能となるが、 このMod(のこのversion)ではHoly War CBの可能条件が信仰心100以上(遠隔地は250)と制限されるため、Mecklenburg滅亡が遅れる。 そのかわりDe Jure Claim CBで領地が一つずつ削られていくため、弱った所を狙いやすい。
もう滅茶苦茶だな。じゃあMecklenburg公爵称号を返してもらおうか
助勢を渋るSaxony公を金一封(約、年収二年分)で懐柔し、占領を開始。 Pomerania酋長軍も攻城戦に参加してきた。どうも運が向いてきたようだ。
Mecklenburg公爵称号を憎きKrutojから剥奪に成功! 領邦が三つ増えた。
しかし問題はここからだ。今回の戦争で奪ったのはあくまでMecklenburg公爵称号のみ。 称号を剥奪された元Mecklenburg酋長は臣下として領邦二つを有し、他に異教の臣下が1人いる。 反乱を起こされたら即滅亡なのは疑いようが無い。 家臣団に採用し、名誉職を与えても懐柔は不可能。Opinionは貫禄の-100、これは殺すしかない。
金が貯まり次第、暗殺だ!と、ここで教皇の使者が来着。
教皇様は公が異教徒を家臣団に登用していることを大変遺憾に思われています。どうするおつもりですか?
運良くopinionペナルティ無し、100%で投獄可能となるイベントが発生。ありがとうパパ! さてと...
よし、まだ子供が1人もおらんな。じゃ、お前が死ねば俺に領地が転がり込むじゃん
首チョンパ!
かくしてBudiovojは簒奪者Krutojに正義の鉄槌を下し、Mecklenburgの秩序を回復した。 子供のないKurtojの領地はその主君であるBudiovojが相続した。 Kurtojが処刑されたとき、妻の腹には既に新しい命が宿っており、 まさにタッチの差であった。
また初めに神聖ローマ皇帝が獲得し、皇帝直轄領とされたMecklenburg公領内の一領邦は、 後日その正当なる支配者に返還された。
Mecklenburg公なのにMecklenburg「伯爵」領を持っていない、というのはおかしな話ではありませんか!?
直轄領が四つとなった。
時は1069年、Nakonid家はMecklenburgを奪還し、いよいよ...
そうではなくてですね...昨今の皇帝の専横は目に余りある...そうは思いませんか?
ああ、最近教皇に破門されて...各地で反乱が起こっていますが、皇帝は全く気にしていないようで...
この状況を誰かが正さねばなりません。それはあなたをおいて他にはいません!
あなたが神聖ローマ皇帝になるのです、Mecklenburg公!
というようなイベントがあって神聖ローマ皇帝へのClaim(息子世代まで主張可能)を得てしまった... 自分の意に従わぬ皇帝を引き摺り下ろそうという教皇の陰謀の片棒を担がされたようだ。
もっとも今反乱を起こしても勝ち目が無いし、勝ったとしても権力基盤が脆弱で、 選挙制で息子を次期皇帝に据える事も無理そうなので、また今度...ということで...
皇帝が破門されたことでItaly半島では恒例の独立戦争祭りに。 独立戦争の戦勝点アイコンの数が多すぎて画面下の宮廷司祭の任務変更ができない...早く反乱を鎮圧してよ、カイザー!!
Italy半島では中立を決め込むと周囲の反乱勢力に領土を荒らされるし、 一緒に反乱を起こすと後で強力な皇帝軍にお仕置きされるし、Italy諸侯は本当に地獄だぜ! 帝国内の動乱は5年続き、Budiovoj自身も故郷に帰ることが出来なかった。
さらに皇帝破門の影響は国内のみに留まらなかった。 Franceが「クソ皇帝は退位しろよ!」と襲い掛かってきて、西部国境地帯は焦土と化した。 何れにせよ、自分の本拠地とは遠く離れた場所の出来事だったので実害は無かった。
1073年、皇帝の反乱討伐に参加するBudiovoj 妻がChaste(貞節)なせいで、結婚7年経っても子供が生まれていない。 そろそろ妻を殺したくなってきたが、ぐっと堪えているとようやく待望の男子が生まれた。
皇帝破門の内乱が収束した1079年より、Budiovojは勢力拡大に勤しんだ。 溜め込んだ金でPomerania酋長よりPomerania公爵の称号を強奪して領土を奪取。 既にPolandとの戦争で弱体化していたPomeraniaは、名前の由来であるPomerania公領を全て失い、 後にPolandに完全併合された。
継承法がGavelkind(均等相続)のままだと公爵称号が分割相続されるので、
機を見てElective(選挙制)に移行します
継承法変更条件に「全ての臣下のopinion値が0以上」、「臣下同士が私戦をしていない」というものがあるが、 臣下の数が増えるほどこの二つの条件達成が厳しくなるので、早いうち変えといた方がいいと思う。
一方、我が盟友Saxony公は深刻な問題を抱えていた。 初めに生まれた三人の子供が全て女児、四人目も女児、五人目も女児、六人目も女児、 こうなると呪われているとしか言いようが無い。 既に現当主以外の一族の男子は死別しており、Saxony公は断絶の危機に見舞われた。
①ゲーム開始時のSaxony公、1066年12月に病死 ②ゲーム開始から二代目のSaxony公、1068年に23歳で子供を残さず、他の帝国臣下との私戦中に戦死 ③ゲーム開始から三代目、現時点のSaxony公 ④My Wife
公は五人目の女児で遂に匙を投げ、継承に関する性別法を男系のみのAgnaticから 女系相続も認めるAgnatic-Cognaticに変更した。
だが問題は次期Saxony公となる長女の夫には一体どんな人物が相応しいか、ということになる。 それは勿論、盟友であるMecklenburg公はNakonid家をおいて他ならない。 盟友の危機には進んで身を挺するのが、貴族の義務だ。
というわけでお宅の長女を息子の許婚にしてください。当然母系ではなく、通常の父系優位の結婚で
お宅の長女の方が五歳年上?まぁ、そんな事どうでもいいじゃありませんか
Saxony公はNakonid家との更なる友好関係の発展に同意。お互いの次期当主の許婚関係を承諾した。
Pomeraniaを制圧したBudiovojは、免罪符で買った信仰心で、遠路FinlandまでHoly Warで侵攻した。 この辺はLithuaniaなどの他の蛮族領と比べても土地が貧しく、弱体なMecklenburgでも攻略は容易。 近い将来Finlandの蛮族を悉く併呑し、一族の威信を高めるための王称号を創設するという野望がかなう事だろう。 (このModではFinland王称号創設に文化制限なし)
以後Budiovojは、時間をかけながら少しずつFinlandの蛮族勢力を切り崩していった。
Pomerania公領の異教伯爵約二名は日に日に増長の一途を辿り、1091年遂に徒党を組んで反乱を起こした。 しかし力をつけたMecklenburg公は、彼らの不逞な反乱を容易に鎮圧することが出来た。 これで異教伯爵どもを追放する口実ができたわいと喜んでいると...
神聖ローマ帝国の王室の権威が最低レベルなので臣下の称号剥奪が一切不可能です
皇帝Heinrich IVは王室の権威法の改正を臣下に認めさせようと画策していたが、破門により遂にそれは適わなかった。 ああ、ここでも皇帝破門の余波が...
この頃選挙制に移行。 釈放された異教伯爵達が次の公爵は俺だと自薦して喜んでいるが、 全員が自分に一票投票で複数候補の得票数が同じだと、当主の候補が優先される、というルールだから、 君たちが公爵になれることはまず無いと思う。
叙任権闘争で皇帝の引き摺り下ろしに失敗した教皇は、聖地Jeruslemの奪還で威信の回復を図ろうとした。 第一次十字軍である。
しかし教皇の思惑とは裏腹に、十字軍に関心を示す君主は皆無であり、 碌な面子が集まらなかった第一次十字軍は、一プロヴィも占領できず敗退という散々な失敗に終わり、教皇の権威は地に堕ちた。 皇帝も破門解除のために参加すればよかったのだが、相変わらず定期的に反乱が起こり、十字軍どころでは無いらしい。
皇帝Heinrich IVは逆境にもめげず、破門されたまま54歳の生涯を終えた。 かっこいいですね。絶対真似したくないけど。
十字軍の失敗でCatholicの宗教権威が30%を下回り、異端が各地で蔓延するように... 後にEnglandでは国王が異端に染まり、反発する臣下を無理やり全員追放して、異端の臣下で取り替えた。 England王家Normandie家は征服王WiliamがEngland王位を簒奪し、 その子孫が異端でEnglandを染め直し、一族で二度もEnglandを征服するという快挙(?)を成し遂げた。
1104年にBudiovojが倒れ、ただ1人の息子Radomilがその後を継いだ。 貞節意識の高い妻のおかげでBudiovojはたった一人の男子しか残すことができなかった。 だが運が良い事にRadomilは当主継承の段階で、すでにSaxony女公との間に男子三人をもうけていた。 信仰心が貯まりやすいtraitが多く異教徒との戦いを多くこなせることが期待される。
このころFinland分割競争は最終段階に達し、一部をSweden,Novgorodに奪われながらも de jure Finland王国領の大半をNakonid家が占領し、1106年RadomilはFinland王称号を創設した。 Novgorodは他のRurikovich家を圧倒し、Rus王国を建国しかねない勢いだ。
RadomilはFinland王即位と同時に、これまで創設した公爵称号を身内に分配した。 叔父HenrikにはPomerania公爵、娘婿Pohjanmaa伯の遺児OtokarにFinland公爵、長男LechにKarelia公爵、 次男Ludvik、三男Radomilは将来のEstonia公爵、Livonia公爵として該当地の伯爵に任命。
未成年の子供達を辺境の地に送り出すのはとても心苦しいが、 今後の一族の威信向上のためには、手に入れた土地を全て身内で独占し、赤の他人に一切委ねる訳にはいかない。 とりあえず悪い虫が付かないように、事前に良家の子女と許婚関係を結ばせておいた。
Nakonid家がFinlandを平定し、念願の王となった頃、神聖ローマ帝国内部では混乱が収束するどころかさらなる悪化を見せ、 臣下の反乱目的が独立から帝位簒奪へと変わり、いよいよ乱世の様相を呈してきた...