AAR/逆襲のコムネノス朝
即位したときはわずかに一歳。父帝の暗殺の再現を恐れてかどうかわかりませんが、密偵長が摂政に就任しました。
ここで反乱公爵の一員であるアンドロニコス公爵が死去。これでアンドロニコス公爵家が反乱から脱落しました。こいつが色々と仲間を募っていたようでもろもろの公爵も反乱取りやめとなり息がつけるようになりました。
その後反乱を起していた残り2公爵を叩いていると、アナトリア側の公爵が反乱をおこしたりとありましたが最終的には1147年にすべての反乱を鎮圧し、反乱警報のポップアップも消えました。