ムハンマドが新たに何をもたらしたのかを教えてほしい。自らの説く信仰を剣で布教しろという命令など、邪悪で残酷なものしかない。
東ローマ皇帝、マヌエル二世 ペルシア人との二十六の対話より
中世ヨーロッパの歴史は、すなわちキリスト教の歴史であり、 イスラームとの戦いの歴史である。
636年 ヤルムークの戦い ビザンツ帝国、シリアを失陥
711年 グアダレーテの戦い ウマイヤ朝の大勝、西ゴート王国滅亡
718年 コバドンガの戦い アストゥリアス王ペラーヨが勝利、レコンキスタの開始
1071年 マンジケルトの戦い ビザンツ帝国、セルジューク・トルコに大敗 アナトリアを失陥
だが、こうして各所で激戦を繰り広げた イスラームよりも、尚敵視された存在がある。
異端
自身をキリスト教徒としつつも、 所謂正統派――カトリックにせよ正教会にせよ――とは 道を異にする者たち。
それは異教と混合した堕落した姿とも、真理をねじ曲げる悪魔の手先とも呼ばれ、 あるいは腐敗した教会を改革せんとする先覚者であったともされる。
彼らの殆どは、正統派によりごく小規模な内に 滅ぼされる運命を辿ることとなる。
しかし、中世ヨーロッパにおいて、異端を受け入れ、 正統派をも凌駕する繁栄を謳歌した地域がただ一つのみあった。
フランス王国の中にありながら、王権の及ばぬ地。 北とは気候も言語も民心も、何もかもが異なる地。
その名を、オクシタニアと言う。
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