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―636年、ヤルムーク川の戦いにてイスラムに敗北した帝国は防戦一方になりますが、 863年にに小アジア東部にて帝国はイスラム勢力に対しての防戦に成功してより、 次第に攻勢を強めるようになります。
そのような中で867年、バシレイオス1世がミカエル3世を暗殺して帝位に就きました。
このバシレイオス1世が現代にまで続く「マケドニア朝」の祖となります。 暗殺して即位した、その悪評を振り払うためにもバシレイオス1世は精力的に外征を繰り返しました。 南イタリアを回復し、ダキアに侵入したマジャール人に圧力を受けるブルガリアを攻撃し、 イリリア地方で独立していた諸侯を再度帝国に取り込み、 非カロリングの王が立ち内乱が絶えなくなった北イタリアにも積極的に攻勢をかけ、教皇庁に圧力をかけます。 東方においてもアルメニアを大きく回復し、 アンティオキア司教座の回復にも成功しました。 そうしてちょうど10世紀の幕開けとなる901年にバシレイオス1世皇帝は病没しますが、 この時には帝国はここまで回復していたのです。
他にバシレイオス1世の時代にはヴァリャーギ親衛隊という、 スカンジナヴィア半島の戦士を兵力として取り込むことも行われました。
彼らは時に軋轢を起こしながらも帝国の常備軍として東奔西走し、幾多の戦いにおいて大きな戦果をあげます。 これが現在でも皇宮警備隊として名が残る部隊のはじまりです。