AAR/歴史資料集 図説 ローマ帝国の再興と拡大

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15世紀前半

15世紀初頭.jpg (※ヴェンド帝国残存領:1州)

ヨアニコス帝の統治が続く1408年、ヴェンド帝を同じマケドニア家の貴族が継承しました。 これで全土が統一され、ついにローマの平和が完璧な復旧を見たとしたヨアニコス帝は、 ローマ皇帝として1300年ぶりの事業に着手します。

即ちハドリアヌス帝以来の「大巡行」に着手したのです。

大巡行は1410年1月1日に開始されました。順路と日付は以下の通りです。

1410.1.1 コンスタンティノープル出立    6.30 トラペザスーアナトリア    11.1 エデッサーアルメニア 1411.2.7 バグダッドーメソポタミア   .5.26 レイーペルシャ 1412.1.10 ヌクスーヒヴァ    3.29 キジルオルダートルケスタン    9.6  サライークマン    10.13 アラニアーアラニア    11.20 アブハジアーグルジア 1413.2.5 オルシェーブータウリカ   .3.1 ベルゴロドーワラキア   .6.23 エステルゴムーダキア   .8.21 プラハーボヘミア   .10.16 クラクフーポーランド   .12.29 キエフールテニア

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1414.7.1 ブルガルーヴォルガブルガリア   .8.30 ヴォトヤキーペルミ 1415.2.14 ポロツクーリトアニア   .4.11 ノヴゴロドールーシ   .9.1 スオミーフィンランド   .10.4 アップランドースウェーデン   .11.21 アーケシュフースーノルウェー 1416.2.6 シェランーデンマーク   .4.20 ブランデンブルクーポメラニア   .6.27 ケルンードイツ   .7.21 ルーンーロタリンギア

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1416.8.16 ブリュッヘーフリージア 海路アイスランドへ   .10.31 オーストリスランド(アイルランド) 海路ダブリンへ 1417.1.5 ダブリンーアイルランド   .3.3 ゴーリーースコットランド   .5.9 グウィネズーウェールズ   .6.23 ミドルセックスーイングランド 海路ナントへ   .7.23 ナントーブルターニュ

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1417.9.6 パリー西フランク(フランス)   .11.8 ボルドーーアキテーヌ 1418.1.23 プロヴァンスーブルグンド   .5.27 バルセロナーアラゴン   .7.9 ナヴァラーナヴァラ   .8.20 ブルゴスーカスティリャ   .9.7 レオンーレオン   .10.27 サンティアゴーガリシア   .12.3 リスボンーポルトガル 1419.2.5 グラナダーアンダルシア   .5.15 マラケシューモーリタニア 1420.2.2 チュニスーアフリカ

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1420.10.31 フスタートーエジプト 1421.6.12 アクスムーアビシニア 1422.4.7 メッカーアラビア   .11.5 エルサレムーエルサレム 1423.1.6 ダマスカスーシリア   .3.4 アンティオキア(正教聖地)

   .4.16  パレルモーシチリア

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1423.7.28 ローマーイタリア   .10.24 ヴェネツィアーヴェネツィア 1424.1.25 ウインドボナーバイエルン   .4.2 ディアドラークロアチア   .5.7 ラウギアーセルビア   .8.19 メッセンブリアーブルガリア   .11.11 アテナイ(正教聖地) 海路エフェソスへ   .11.26 エフェソス(聖地) 1425.3.11 コンスタンティノポリスーギリシア

巡幸6.jpg

再び皇帝が帝都に帰還したのは 1425年3月11日。 実に足掛け15年以上に及ぶ壮大な巡行となりました。

巡行終了後、1431年再びヴェンド国は他氏族の手に渡っていたためこれを攻め、 ついにゲルマニアを含め全欧州はローマの統治に浴することになります。

ゲルマニア制圧.jpg

この時代スウェーデン、ノルウェー、ペルミ、ペルシアが帝国の慣習領土になりました。

15前半慣習.jpg

巡幸路(全体)

ローマ巡幸全体図.jpg


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