前ページ AAR/歴史資料集 図説 ローマ帝国の再興と拡大/12世紀前半
12世紀後半は1150年に即位したヒッポリトス帝が通じて統治しました。 そんな時代のはじまりはしばらくして、またも帝国にとり不都合な報がとびこんできます。
スウェーデン王が十字軍に敗北して改宗したのです。
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北の地を異端に染めないため、一層の拡大が必要となってしまいました。 海賊からの国土防衛のためにはじまった北伐でしたが、 今や宗教的縄張り争いの側面もあり、この時期帝国は東よりも圧倒的に北へ注力しています。
そのような中、ひとつの教会のミスによって帝国を騒動が駆け抜けます。
1164年の「帝国再復宣言」がそれです。
ガリア地方が大きく回復されたとの報を受けた地方の教会が、
帝国が旧領土を回復した時に鳴らすべく定められていた旋律を誤って鳴らしてしまい、 それが帝国中に一斉に伝わってしまったため、帝国全土が大騒ぎとなってしまいました。 実際は未だライン西岸を全て回復したわけではなかったのですが、 この熱狂に対して今更ありませんでしたと言うことはできず、ヒッポリトス帝は公式に宣言します。
帝国国境の修復:
ローマ帝国の栄光溢れる復活は今後あらゆる時代において語り継がれていくことだろう。 ローマを蛮族が思いのままに陵辱し、砂漠から来たアラブの侵略者が我々を押し流した不幸な出来事は、 復活の日が来る希望を失わせ、暗黒の日々を送らせるのに充分であった。 しかし全ての旧き属州は再生され、現在、帝国は今までの1000年よりさらに拡がっているのだ。
ヨーロッパ中の教会の鐘はこの晴れの日を祝うために高らかに鳴らされ、 ローマでも、コンスタンティノープルでも、男も女もこの喜びに涙した。 だが全ての後を継ぐべき者達のため、世界が再び無明時代に陥らぬため、 蛮族がローマの導きの光を奪わぬために、 帝国は再びこの領土を維持できるよう挑み続けねばならない。
とはいえその30年後にライン西岸はほぼ回復されたので、帝としては発言が嘘にならずに済んだのでした。
また、この期間はカレドニア戦線もアントニヌス長城を越えブリタニア島最北端まで到達、 さらにはアイスランドまでを制圧してブリタニア全島制覇まであと一歩とします。 ルーシ方面ではヴェンド帝国の領土を完全に奪い、ポーランド地方に押し込めることに成功。 一方、対イスラムではアラビア半島制覇、紅海の制海権を確実として、 インド交易がより円滑になるようにしています。
この時代 イタリア・ハンガリー・ポルトガル・モーリタニア・ウェールズ・バイエルン・アキテーヌ・アンダルシア が帝国の慣習領土に復帰しました。