前ページ AAR/歴史資料集 図説 ローマ帝国の再興と拡大/11世紀後半
12世紀前半はイシドロス2世、コンスタンティノス5世、エヴァンジェロス帝の時代です。
12世紀は帝国にとって好ましからざる報で幕を開けました。
1101年、ローマ教皇庁による対リトアニア十字軍が成功、ポーランドがリトアニアをも領有することとなったのです。
このポーランド=リトアニア王国はルーシ方面にも領土を持っており、 そちら方面における今後の拡大も予想されます。
放っておけば北の世界が一面の異端に染まってしまいかねません。 帝国はより急がなくてはならなくなりました。
1120年、ブリタニアにおいてハドリアヌス城壁を回復、かつノルウェーに地歩を築きます。 スカンディナヴィアをいつでも直撃できるようになりました。
さらに1124年の遠征で、ついに「ブリタニア属州」を回復します。
いよいよ帝国にとって回復すべき領土はガリアのみです。
そのような動きを前にポーランドは1129年、「ヴェンド帝国」を宣言。 退潮著しいフランク帝国に代わって異端信仰を自らが守るとの意思を鮮明にします。
これに対し帝国もフィンランド地区を得たことで、東西から海賊の本拠たるスカンディナヴィアを攻撃する地盤が確立しました。
また1140年にヒベルニア島をも完全征服、いよいよブリタニア全島制覇が視界に入りました。
東方でも帝国は勢力を伸ばし、 1105年にはメソポタミア属州を回復、
1129年にサヌア地区を、1143年に対岸のハラール地区を得たことで バブ・エル・マンデブ海峡の交通を確実とし、 ついに長年の念願であった、インドとの直接交易が再開されました。 これ以降帝国の食生活や物産は急速に豊かになっていきます。
この時代ガリシア・ブルターニュ・カスティリャ・アストゥリアス・アラゴンが慣習領土に復帰、 ワラキアが帝国の慣習領土に加入しました。
そのような時期、またもローマ教皇庁は行動を開始します。 1149年、前回の成功をもう一度、とばかりにスウェーデンへの十字軍を開始したのでした。