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元服したのだから幼名は捨て、これからは諏訪四郎勝頼と名乗っておくれ
勘助ではないか、久しいのう今までどこにおったのじゃ土産話はあるのか?
もちろんでございます、勝頼様の最高の奥方を見つけ婚約の儀を行ってまいりました
こちらのお方にございます。
この者は貴族ではありませんが国内随一の宝石商人の娘でございます
既に婚約の儀は終わっておりまする、これは外交問題になりますぞ
ではそなたらが、わらわの宝石代1000Dを払ってくれるのか?
諏訪御料人が使い果たした国庫を賄うため掠奪に励んでいた ある日のこと
山本殿は婚約破棄の侘びのため北西の方にいかれ、彼の地に近い弟君を補佐しておられるとの噂にござる
791年11月の勢力図
弟の独立
そうです実にめでたい初代晴信様の9人の子の内わらわが生んだのは6人
わらわは怖かったのじゃ、戦場では何がおこるか分からん、ゆえに勘助に頼み穏便に独立させたのじゃ
起きてしまったことは仕方ござらん、間もなく掠奪が完了します、その後上洛(エルサレム)への戦略を!
まずは仮想敵国の説明をしまする 今川義元 公(YABUGAID公爵2年ほど信玄が仕えた元主君) 上杉謙信 公(KAZARIA王→西のクマン王国の半分とその周辺を領有する大国) 徳川家康 公(ビザンツ帝国皇帝 織田の脇を死守) 織田信長 公(エルサレム(京)を守る第六天魔王ことアラビア帝国) その他脇役 毛利元就 公 カーリング家 島津義久 公 ウマイヤ家 伊達政宗 公 インドのほうに居るとか正体不明
父は織田の追撃を逃れインドを制圧後とって返し上洛する作戦であったというがいかに?
何ゆえじゃこの勝頼の一声で父を越える武田勢5000が動くだぞ
792年06月の勢力図
インド
既に織田の魔の手が延びインド侵攻は困難 されど西に光あり これをご覧に
792年06月の勢力図
ビザンツ付近
決めたぞテングリの特性を生かし今川→上杉→徳川→織田と一気になぎ倒す
天下への道が見えましたね 弟も同盟軍として駆けつけましょうぞ
此度は武田の軍勢如何なるものか天下に示す!! 御旗・楯無御照覧あれ!!
ははは今川義元未だに生きておるとは笑えるな、かつて父が利用した主君本人とか
さようでございますな 5000対500 東海道一の弓とりも落ちぶれたもの
御屋形様ここまで来れば安心でござる、真田殿にも援軍を送りました
御屋形様?あああ
793年04月の勢力図
桶狭間
躑躅カ崎城に帰還後
真田殿は御屋形様を逃がすため今川軍を防ぎ名誉の討ち死に!
その後、真田殿の息子の真田昌幸殿が軍を率いてが今川家を服属させました
794年03月の勢力図
躑躅カ崎城にて