AAR/極楽の地インド

マハーラージャー

苦しい戦いに勝ちORISSA王国を征服したBhikhari一世だが、戦争により国庫は空になってしまった。

BIHAR、BENGAL、KAMARUPA、ORISSAの四個の王位を手にしたことで、Bhikhari一世は王の上の存在である帝位に届くようになった。

征服したばかりのORISSAの情勢は不安定であったが、Bhikhari一世はまず帝冠を優先した。

1131年9月25日。Bhikhari一世は首都LaksnamavatiでBEGAL EMPIREを建国を宣言し、初代皇帝の座に座ることになった。

初代皇帝が最初に手を付けたのは旧ORISSA王国の臣下の処遇である。この異文化、異教徒の臣下は隙あらば反逆しようと企んでいることはBhikhari一世でなくとも分かることであった。

しかし、Bhikhari一世は征服者として彼らを一時的に蹂躙する喜びを捨て、敢えて謙った態度を取って彼らを懐柔した。

なぜこのような事をしたかというと、征服したORISSA王国は元々諸侯の権力が強い王権の低い地域であったからだ。

ORISSA王国はヒンドゥー教徒が多数を占めているだけではなく文化までもが違っているので、このまま統治をするのは困難極まりない。

また、ORISSA王国では分割相続が基本であり、次世代の禍根になりかねなかった。*1

 

ORISSA.jpg

ORISSA王国の領域。

 

Bhikhari一世は次世代のことにも気を配らねばならない立場である。

後を継ぐのは唯一の息子のGanshwarと周知されていたが、新たに息子ができるかもしれないので分割相続のままにはできなかった。

それにGanshwarは父のような天才ではなかったもののそれなりに優秀な男であった。

Ganshwar.jpg

 
 
 

血の嵐

王権を上げることに成功した途端、Bhikhari一世はこれまでの態度を一変させてヒンドゥー教徒の臣下を弾圧し始めた。

領地の没収を告げると当然のごとく反乱が起きる。だが、散発的な反乱ばかりであり容赦なく鎮圧し没収していった。これはBhikhari一世が順番を計画的に決めたからであった。

Bhikhari一世に反対するものたちから狙うことで、今まで従ってきたヒンドゥー教徒の諸侯たちを団結させなかった。

そして、異教徒の臣下から取り上げた領地を土地を持っていない同文化&同宗教の貴族たちに配り忠実な者たちを確実に増やしていき、ORISSA王国を掌握していった。

これと同時期にBhikhari一世は外にも手を出している。Bhikhari一世は帝国を作って安定化させるだけで満足するような男ではなかったからであろう。

ORISSA王国での粛清に反発する動きを隣国のcedi朝によるものだとし、さらにそこは帝国圏内であり服従するべしとの主張から粛清と合わせて外征を繰り返した。*2

既に落日のcedi朝は飛ぶ鳥を落とす勢いのpala朝には敵うはずもなく、どんどん領土を削られていく一方であった。

1139年。旧ORISSA王国臣下の粛清を終えた。

 
 
 

苦悩

Bhikhari一世は元々敬虔深かった。しかし、統治をしていくうちに心が荒んでいった。*3

ある歴史家は帝国建設のために犯した三つの罪が原因だと推察している。

最初はBallalsenの件である。Bhikhari一世は直接ではないにしろ、結果的にBallalsenから玉座を奪ったも同然であると自分を責めていたという噂があった。

Ballalsenに王位を与えれば、臣下の中で突出した力を持つ存在となり国を乱す原因になりかねない。

帝国創設と安寧のためにBallalsenを犠牲にしたのである。

Ballalsen自身はSuvrataに憎しみを向けていて、Bhikhari一世に向けることはなかったと言われているが真相は定かではない。

 
 
 

二つ目は旧ORISSA王国臣下の粛清である。多くの流血はBhikhari一世にとって大きな苦痛を与えた。その苦痛を紛らわせたのは仏教ではなく女であった。

敬虔であったBhikhari一世が変貌していったのは間違いない。家臣の日記には皇帝の色欲は盛んになっていく一方であり、宮廷には日々違う美女がいたと嘆きを含んで書かれていることからも明らかである。

しかし、仏教を軽んじるようになってもBhikhari一世の目は曇ることがなかった。寧ろ年々鋭くなっていき、生気が満ちていたとも言われている。

統治面においてはヒンドゥー教の諸侯を弾圧する方針を取り続けた。

そうすることで隣国のヒンドゥー教国に通じる諸侯をなくし、ORISSA王国の掌握を果たしていた。

また、軍事的な面では相変わらず成功していた。帝国の覇権を確立すべく、cedi朝やrashtrakuta朝など隣接するインドの中央にある王国に対して外征を続け、これに勝利していた。

 
 
 

領土.jpg

77歳で死亡。帝国の建国とその地盤作りに生涯を注いだ偉大な皇帝は首都Laksnamavatiの地で息を引き取った。

外征と粛清を繰り返した皇帝の顔は安らぎで満ちていたと言われている。

偉大な皇帝の後を継ぐのはGanshwarである。

 
 
 

世界の情勢

少し先ではありますが、1164年の世界情勢を軽く伝えます。

西洋.jpg

レコンキスタが終了している…だと…?それどころかアフリカにまで進出している。

ウィリアムがノルマンコンクエストに成功したが、すぐに臣下に王位を奪われてしまった。

それとフランスが分裂し、神聖ローマが拡大している。

 
 
 

中東.jpg

中東はそこまで変化なし。ビザンツがバルカンを征服した。

ファーティマ、セルジュークもそこまで変化なし。


*1 まだ王号を手放すつもりはなく、もう少し拡大してからと考えていた
*2 de jureを使った
*3 Zealousを失ったり、いろいろとtraitsがなくなっていった

トップ   新規 一覧 検索 最終更新   ヘルプ   最終更新のRSS