Valdemarが王位を継いだ1年後の930年、さっそく王位を狙った反乱が起きた。 2代目Halfdan王の長子、Nororeyja大族長Haraldr 'the Lewd'である。 Haraldr側にはSjǽlland大族長など、多くの族長が付き王国を二分する戦いとなった。
この戦いは地力に勝り、領地が密集していたノルウェー王優位で進んだ。 開戦から3年でノルウェー王の勝利に終わる。
933年に勝利
これまで部族制のまま拡張を続けてきたノルウェーだったが、ここに来て封建制への移行を進めることになる。 部族制のデメリットは以下の通りである。
・臣下からの徴兵に弱い 臣下へ参戦要請しかできず信頼性に欠ける 組織レベルを上げれば徴兵も可能だが、微々たる徴兵しかできない
・分割相続に限定される 分割相続では安定した王国運営ができない
さらに947年、ノルウェー王位及びスオミ王位の相続法を末子相続に変更。
選挙王制を採らなかった理由は、臣下がほぼ他家のものであったため王位の離脱を防ぐためである。 これで宗教改革・封建制への移行・相続制の整備が成り、Yngling家による支配体制は盤石のものとなった。
少し話は前後するがこの世界線において、イスラム教の伸長著しいことは前回述べた通りである。 キリスト教国は黙って侵略されるに任せていたのか?答えは否である。
940年、教皇ClemensⅡによるアキテーヌ十字軍である。
この十字軍は944年、キリスト教国の勝利に終わりWest Francia王国が復活を果たす。
そうなると黙っていないのがシーア派カリフ、Raf 'the Lionheart'である。 アキテーヌが獲られたのであればキリスト教の総本山、イタリアを目指しジハードを宣言する。
しかしValdemarはジハードの結末を見る事なくヴァルハラへ旅立つことになる。
952年、闘病の末の他界であった。
23年の治世は派手さこそなかったものの、封建制への移行・相続制の整備と王国の未来の礎となる治世であった。
跡目は息子のHjalmarが継ぐこととなる。若干7才にして王・そして
ちなみに、当代Valdemarは'the Unready'とあだ名された。 何故か?それは後継ぎHjalmarを見ていただきたい。
画像は成人後のもの
そう、家名がYngling家からUlfing家に変わっているのである。 これには守護神フレイも目が点になったという。