カリフFarhan(エジプト領主)
元帥・Bekele II世
神聖ローマ皇帝Leopold
テンプル騎士団長Maurice
ホルピタル騎士団長Albano
あれから10年もの歳月が流れたというのか。
はい。時の流れははやいものです。
だが、この怒り!屈辱!まったく色褪せぬわ。
ええ。わたくしめも、忘れようはずがございません。
カトリックの虫けらども。今に目にものを見せてくれよう。
Farhan様、ついにその時が訪れたのですね!
そうだ。長きに渡る雌伏の時代も、もはや終焉を迎えるのだ。
ジハードの時だ。
分かりました。世界中のムスリムに参戦を要請いたします。
Bekeleよ、苦労を掛けるな。
滅相もございません。私は今、歓喜に震えてございます。
1226年、カリフFarhanはエルサレム奪回を目指すべく、全面戦争の開戦を宣言し、幾万もの軍勢を率い、シナイ半島を北上した。この報せは時を隔てることなく、神聖ローマ帝国の宮廷にもたらされた。
皇帝陛下。我が騎士団からの情報によると、ファーティマ朝の大軍が兵を挙げたようでございます。
そうか。いずれこの時が来るだろうとは覚悟していたが、思ったよりも早かったな。
それで、我々はいかがいたしましょう。
現地の軍勢だけでは歯が立つまい。出陣の準備をせよ。余も戦場に向かう。
おお!それは心強い。すばらしい決断でございます。
受けて立とうではないか。聖なる都を簡単に手放す訳にはいかぬ。
皇帝Leopoldは軍勢を率い、パレスチナに向かうガレー船に乗り込んだ。
ところが、現地に到着した皇帝を待ち構えていたのは、海岸線を覆いつくさんばかりに蠢く大軍であった。
陛下、申し訳ございません。我々守備隊も奮闘したのですが、多勢に無勢。私も命からがら逃げ延びた体でして……。
大儀であった。あれだけの大軍を前に持ちこたえることなど、もともとできまい。
ありがたきお言葉でございます。
だが、戦争はまだ始まったばかりである。余が到着したからには、これ以上の負けは許されぬぞ。
もちろんです。
しかし、陛下。我が軍は守備隊の残党を併せても3万程度に過ぎません。
充分な大軍ではないか。
敵軍はおよそ5万に上るのです。到底勝ち目はございますまい。
勝ち目だと?腑抜けたことを言いおる。全軍に突撃を命じよ。
皇帝!それは無謀です!
これが我らが持ちうるすべての軍勢。その総力を投じてなお勝てぬのであれば、我らに未来は無い。
そんな……。
今、決戦に打って出ずしていつ戦うというのだ?
それは……。
皆の者、ついて来るが良い!
神聖ローマ皇帝Leopoldは自ら先陣に立ち、ムスリムの軍勢への突撃を敢行した。
戦線は乱戦模様となり、敵となく、味方となく、怒号が飛び交った。
双方の流した鮮血が死海を赤く染めたと伝えられる激戦は、幾日にも渡って続けられた。
一時、戦線は膠着したものの、次第に数の利を得たムスリム側が優位に立った。
そして……1228年8月1日。
神聖ローマ皇帝Leopoldは戦場の華と散った。
皇帝には1歳となったばかりの長男Bernhardがあったが、彼の帝位継承は認められなかった。
ノイエンブルク朝はLeopoldの戦死を以って断絶し、帝位はロンバルディア公Lutbertに受け継がれた。
前帝の遺児Bernhardはエルサレム王位を受け継いだが、王国はまもなくパレスチナの支配を喪失した。
その後、Bernhardはフリースラントへ逃れ、亡命政権としてエルサレム王を名乗り続けることとなる。
Leopold the Cruel, Emperor of Holy Roman Empire(Charismatic Negotiator) 外交17 戦術11 管財8 謀略13 学問9 Strong Crusader Patient Cruel Gregarious Deceitful Zealous Just Brave
皇帝Leopoldは名君といえる能力を備えていたが、結局は勇敢さが仇となる形で戦死してしまった。