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アスラン王の愛弟子ヒューイがアスランの実子を押しのけて王となり、一族の繁栄のため征服戦争を繰り広げ遂にアイスランド帝国を建国。
864年5代目Drake家当主にGrimrと言う人物が即位した。 彼はDrake家で最も偉大なAsran王の次男の次男ある(孫)。 彼の即位は5代目は神格化されたAsran王の血統から輩出すべきとのヒューイ皇帝の望みを一族が聞き入れたものである。 しかし、Drake家の男子としてのAsran王の血統は以下の理由により滅亡すんぜんであった。
4人の息子は皆若死した事。 Asran王が開始した分家政策(下記参照)。
Asran王の分家政策 (生存者が3000人に近づくとゲームが重くなるのを防ぐため) ①当主の正妻は婿養子婚とする(跡継ぎはDrake家の男子から選ばれる法律が続くまで) ②当主の側室の子は可能なかぎり婿養子婚とする
Grimrがヒューイから引き継いだものにアスラン新鋭隊がある アスラン新鋭隊とはアスラン王が初めて部族兵を招集してから一度も解散される事なく規模の拡大をつづけ ヒューイ帝が皇帝に即位後には兵力5万以上に成長したヨーロッパ最強の略奪部隊のことである
Grimr帝の即位時はフランスで略奪中であった、 このアスラン新鋭隊の略奪によりフランスのほとんどが焦土と化し世界史に残る悲劇と言われた。
866年 分裂したイングランド王位などをめぐり一族との抗争が勃発した
869年 待望の男子を得る 恩ある先帝にちなんでヒューイと名付けた
870年 5万のアスラン新鋭隊はほとんど壊滅し1万となっていた(強襲により) だが帝国の敵をほとんど討ち尽くした結果である 残る敵は一族の独立国であったが、いずれ帝国に帰化するハズなので放置する事となった そしてこの年ついにアスラン兵は解体され封建化されたのである
その後、皇帝は戦争をする事無く人材育成に励み多くの優秀な人材を育てた
882年 国内は安定し末子相続制度が採用された 皇太子になったのは先帝ヒューイの娘が産んだヒューイ2世(予定)であった
890年 突如皇帝は長年の沈黙を破りデンマーク聖戦を開始した 後にこの時に皇帝は不吉なものを感じ取っていたのではないかと言われる
891年 皇帝は崩御し3代皇帝(6代当主)にヒューイ2世が即位した アスラン王と初代皇帝の血統を引く皇帝の誕生に国民は喜びの声を上げた