モーリタニア王ルイージ1世は、若干12歳で即位した。 12歳時点で「5」を超えているステータスが無く、はっきり言って将来を危ぶんでいたが・・・
1309年ルイージ1世成人時。これまでいなかった「ゴツイ」顔だちの君主。なお父親そっくり。 (グリエルモ3世の治世、1289年のSS参照のこと。)
成人時、「不世出の戦略家」が付いてくれたおかげでまだ見るに耐える数字になったが、 それでも外交「3」管理「5」で、良特性がロクになく、「臆病」持ちというのは・・・中々辛い。 なんか君主が代を経るにつれて小粒になっているなぁ。
そんなルイージであるが、彼は初めてアフリカに領土を獲得したアンコーナ公、「太っちょ」ボニファーチョ1世のひ孫にあたる。
ボニファーチョ1世の長女・ルチアは管理20を誇る才女であり、一時は女公候補ともなった人物だった。 彼女の夫が「天才」持ちのトマソ。トマソはアルジェ3州を治める伯として宗家に仕えた。 二人の次男ルジェーロもまた父の「天才」を受け継いでいたが、あるとき皇帝からアルジェ公の地位を下賜され、本家から離脱していた。 皇帝の陰謀によって離脱させられたアルジェ公家が、このたびの相続で、無事宗家に統合されたという次第である。
そしてまた、ルイージの母はアンコーナ公グリエルモ2世の次女であり、 彼はこれまで宗家の当主を勤めてきた2系統の家系の合流点に当たるのだ。 その意味では、アレラミチの当主たるにふさわしい血統の持ち主ではある。
もっとも、祖父・父と受け継がれてきた「天才」は、ルイージではなく彼の姉、カテリナが引き継いでいる。
カテリナ・アレラミチ。「天才」持ちで陰謀23を誇る、凄腕のスパイマスター足り得る人材。 だが、AIの有り得ない結婚によって、他家の無名のcountの嫁になっている。信じがたい。
万が一ルイージが即死した場合に備え、彼女を後継者に選択した。もし何かあれば当家初の女公の誕生となる。
なお、ルイージの祖母ルチアは76歳にしてまだ壮健であった。管理20を活かしてしばらくの間家令をしていただいた。 享年はなんと83歳。生きた伝説、生き字引として、一族の重鎮的扱いだっただろうことは想像に難くない。
家庭と血統の話がずいぶん長くなってしまった。いい加減プレイに入ろう。 まずは相続した称号の始末だ。現在、「モデナ」「トレムセン」「アルジェ」の三公位を保持しており、 直轄領も5つまでしか管理できないのに9つ所有と、色々溢れかえっている。
そこでまず、アルジェ公位をウレドナイル州の司教に与え、アルジェを大司教領として統治してもらう。これで公位1つと、直轄領2つを始末できた。 評議会からは「大司教領とか作るのダメ」と全員から反対されたが、一人一人説得して許可して頂いた。 直轄領をもう一つ適当な人材を伯として分離させ、これで6つ。嫁補正が入れば6つは管理できるだろうと考え、成人まで我慢することにした。 なんせ、直轄で持っているのは、伯に与えるには惜しい5スロット州ばかりなのだ。
1306年、フランスの幼王シモン2世が、突如として対立教皇アレクサンドル2世を擁立した。
何考えてんだコイツ。
無論周辺諸国は激おことなるかと思いきや、フランスの動員兵力30000に恐れをなしたか、諸国どこも喧嘩を売りに行かない。 が、1310年、アフリカで無益に続いていた聖戦の痛手からようやく立ち直った我らが皇帝が、フランスに宣戦すると、 たちまちイングランド・アキテーヌ・カスティリアが個別に対仏宣戦、さらに教皇領が皇帝側に立ち参戦とかいう、 美しいまでのフルボッコ劇場が開催され、対立教皇はあえなく10年余りで廃立・破門となった。 フランス君の体を張ったギャグに笑いを禁じ得ない。
同時期、東方でも激震が走っている。
5歳で即位したロシア人の女帝、エルサレム・キプロス・キエフを継いだマルフリーデ。 その長い生涯を帝国の維持と異教徒(正教徒も含む)との戦いに捧げた大君主。
ビザンツ帝国が、仇敵・ルームセルジュークへの聖戦を宣言。 アナトリアの帝国領、エルサレム・キプロス・キエフの継承領、さらにエルサレム王国以来の盟友たる、 ホスピタル及びテンプル騎士団のカトリック宗教騎士団に至るまで、帝国全土を総動員し、23000の兵を起こしたのである。 まさにビザンツ帝国最後の賭けにふさわしい壮図であった・・・
が、2年後。
駄目みたいですね。
軍隊壊滅、資金マイナス502とかもう涙も枯れる有様ですわ。この国はもうダメかもしれんね。
この頃、ルイージ1世は嫁を迎えている。
ノルウェーの伯爵家出身。6人兄弟の末妹*1。「明敏」持ちに加えて全体的な能力の高さから選んだ。 「貞節」持ちだったので子供はほどほどで・・・と思っていたのだが・・・
同時期、エルサレムに巡礼もしている。「慈善」と「シニカル」を得て帰還。外交が「6」まで伸びた。
・・・ンム?
一族の1人・・・というか先王グリエルモ3世の弟という要人が、完全にベルベルに染まっていたの図。 おまえずっとモデナ公家にいて、その後はモンフェラートで、なんでベルベルに染まる要素があるねん・・・土地なんて絶対やらねー!
一族までがベルベルに染まるなんて、何もかもイスラムが悪い! 駆除せねば! という冗談はさておき。
アイユーブ朝の当代スルタン、ユヌス。12歳で即位した、武勇に長けた若きスルタン。 戦場での勇猛もさることながら、、巧みな外交でスンニ派諸家をまとめ上げた英傑。 東方進出を目指すルイージ1世にとって終生のライバルとなる。
この頃、イスラム最強勢力であるアイユーブ朝は、2ヶ所の反乱と、ペルシャとの戦争に追われ、その兵力を大きく損耗していた。 この時期のモーリタニア王の動員力は約15000。全力のアイユーブなら最悪その3倍は出てくるが、今なら勝ち目がある!
ということで、聖戦、キレナイカ。ルイージ1世初の対外遠征である。
こうして、モーリタニアのルイージ王と、アイユーブのスルタンユヌス。両雄の初対戦が始まった。
14年5月、王国総動員によって徴集された全軍がキレナイカに展開。 補給限界値が10000を切る土地ばかりということもあって二軍に分かれ、海上機動で援護し合える位置取りで、攻城戦を開始した。
この頃の所持金は900以上。必要に応じて傭兵を投下する用意も万全だ。なおチュートン騎士団はカスティリャがレコンキスタに使っていた。
6月6日、Jalu会戦。キレナイカを攻囲したモーリタニア軍に対し、アイユーブ軍が解囲を試みて発生した。
兵力的には劣勢だったが、防御側の有利を利して勝ち切った。
・・・海上偵察してみると、スエズのあたりに10000くらいの敵勢が見える。 傭兵を投入しつつやれば勝てそうだが、もう少し楽に勝てはしないものか・・・
と、この頃産まれていた長男・次男で結べる婚姻同盟相手を探していたが、どうもパッとしない。どうしよう・・・と悩んでいたら、
このタイミングで、母の妹=35歳の叔母が、夫の死に伴って本家に帰ってきた。 まだ35歳、充分政略結婚のタネに使える! 天祐だ! どこかに婚姻できる有力君主は・・・!
ア ビ シ ニ ア 王 と な ?
な、なるほど。確かにコプト教徒なら間違いなくキリスト教徒、同盟者としての選択肢に入るわな。 動員力14000、国の位置も完璧、何よりフランスなどの欧州諸国との同盟と違い、意味不明な戦争に巻き込まれる可能性も無い・・・
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婚姻。同盟。
パラドゲーをプレイしていて、「エチオピアが頼もしい」と思ったのはこれが初めてだった。
アビシニア軍が紅海沿岸で暴れ始めるのを見つつ、こちらも傭兵隊を一部隊雇用し戦場へ展開。20000の兵を3分割して占領に当たる。 もう一度くらいは野戦があるだろうと、城の強襲は避け、地道に攻囲で戦勝点を稼ぐ。と。 1315年5月、再編を終えたのかアイユーブ軍16000が進撃してくるのを確認。 全軍を集結させると数でこちらが勝り、敵が攻撃してこなくなる可能性があったため、 トブルクにいる傭兵隊を囮に、敵が攻撃→後方から増援→数の差で押しつぶす という展開にしようと決断。
15年5月、トブルクの決戦。 囮とされた傭兵隊は甚大な損害を出したが、後方からの主力到着までは耐え抜き、アイユーブ軍は大損害を出して敗走した。
これで勝負あり。エチオピア軍が稼いでくれた占領点もあり、トブルク攻略で戦勝点は100に。
15年6月22日、キレナイカへの聖戦に勝利。モーリタニア王国はエジプトへの足掛かりを確立した。 キレナイカ各地には例によってイタリア人伯を封じ、すると封臣限界を完全に超過したため、 新たにキレナイカ公爵号を設置、キレナイカ公には、先々代・モーリタニア王グリエルモ1世の次男が就いた。
アイユーブとの戦いを終え、ほっと一息つきながら国内の様子を見てみると、大問題が発生していた。
スーザ・サルデーニャの公、パニコ家のジョバンニ。3つの伯号と1つの男爵号を持つ、王国最大の貴族。 彼は何故か女系結婚しており、その相手は上ブルグンド公家の息女であった。 だが、例のペスト大流行に伴って上ブルグンド公家に死者が続出、死屍累々の末、 まずはジョバンニの妻に、それもすぐ死んで1人娘に、公位が回っていってしまったようなのだ。
これ、女系結婚なので、ジョバンニが死ねば彼の持つ称号は全てあの公女が引き継いでしまう。 このまま放置していては、公爵位2つが他家に流出する事態に・・・なんとかして阻止せねば・・・ だがあの女公、成人前のクセにガード硬くて暗殺plotが成立しない・・・ぐぬぬぬぬぬ
(゚д゚)ヒラメイタ! 逆に考えるんだ。「一旦他家に流出させちゃってもいいや」と考えるんだ。
長男ルジェーロと、女公マルグレーテ3世との婚約成立。歳の差は実に11歳だが政略結婚なんてそんなもんだ(断言) これでマルグレーテは上ブルグンド公・スーザ公・サルデーニャ公を継承するが、その子への継承で、すべてまとめて取り返すことが出来る。 厄介者のスーザ公爵家もこれで解体できると、一石二鳥というもの。良し。
・・・なお、マルグレーテの本来の婚約者、ホーエンツォレルン家のアモーリーは、 成人を迎える数週間前、不意の事故で主の身元に赴かれた。彼の御霊に平安あれ。
長男の婚約を整えたのち、三男(1歳)とホラント女公(5歳)の婚約も成立。次男は2歳で病死した。 ホラント公家はネーデルラント一帯の他、フェラーラ近郊の司教領2ヶ所を持っており、 上手くすれば、次代で一気にモーリタニア王の境域を広げられるかもしれない。 ペストで死人が出まくったおかげだろうか?
また外征でも細かい戦を続けて、アフリカに残っていたムワッヒド領全てを奪取、彼らをイベリアに追い出している。
北アフリカがだいぶ綺麗になった。
また、良い知らせは続く。 先々代グリエルモ1世の孫、現キレナイカ公アレラーモの娘であり、 女系結婚でロシア人の「天才」を婿に取ったことから、王の宮廷に残っていたドーラ姫が、見事「天才」の男子を産んだのだ。
更にこの次の男子も「天才」であった。この「天才」兄弟は成人後、兄は外交23を活かして宰相に、弟は陰謀25を誇るスパイマスターにと、揃って優れた才幹を発揮する。 ちなみに父親は管理22、この先長く家令を勤め、親子3人で評議会の枠を埋めるという、素敵なことになってゆく。
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キタ━━━━━━(@益@ )━━━━━━ !!!!!