45年、皇帝の代替わり・長期化した聖戦といった不安定要素が積み重なり、 ついに始まった帝国を二分する大戦。 皇帝軍はアナトリアから取って返し、傭兵も資金限界まで積み上げて約40000。対する反乱軍は諸侯合計35000。 反乱軍の要求は、評議会の権限をより拡大すること・・・その程度のために大反乱して割に合うのか? と疑問を抱く。
ここは悩みどころだった。モーリタニア王軍は総勢20000以上。また、皇帝軍のうち10000以上がモーリタニア王国領からの徴収軍だ。我々が独立宣言すればこれは消滅する。 今独立戦争すれば間違いなく勝てる。それは確かだ。 さらに都合の良いことに、東方の大敵アイユーブは、現在同盟相手のアッバース家のカリフと共に、ペルシアと交戦している。 こちらに横やりを入れてくる可能性はまず無い。
ユヌス55歳。ストレスに冒されているがこのあと快癒。55歳を過ぎて尚意気軒高に、各地の戦争に介入している。 彼が在位中、戦争してなかった時期は無いのではないか、と思うくらい常時どこかと戦争している。
だが、ここで独立したとして、その後、反乱を鎮圧した後のHREの攻勢を受け止めきれるだけの力があるか・・・? また、せっかく上ブルグンド公国の継承乗っ取りが確定しているのに、ここで独立してこの機会を逃していいのか・・・?
色々考えたが、これほど絶好の機会はもう滅多に無いであろうことも確か。 まあなんとかなるだろ。と、
モーリタニアは帝国からの分離独立を宣言。絶賛大反乱中の帝国に対し宣戦を布告した。
ちなみにこの単独宣戦前、independence派閥を立ち上げてしばらく様子を見てみたが、誰も乗ってこなかった。 ボヘミア王あたりが乗ってきてくれたら楽しかったんだが。
なおこれと同時期。
ブリテン島のど真ん中に翩翻と翻るフランス王旗。 イングランドがこの先どうなるものか、もはや全く想像できない。
46年6月、モーリタニア王の分離独立と、帝国軍主力の壊滅を見て、次はボヘミア王が動いた。
野心多きボヘミア王ミクロス。帝国に反乱、ボヘミア王単独でハンガリー、さらにポーランドへ宣戦、と多くの戦争を起こし、 その全てで敗戦した、野心と能力が釣り合っていなかった悲しい王。
俺を皇帝にしろと宣言したボヘミア王が、数名の同調者を引き連れ、12000で挙兵。 この頃皇帝軍は、チロルで戦われた反乱軍との決戦に大敗した結果、手持ちの兵力は僅か4600にまで減じており、 12000での挙兵は勝算が無い訳ではなかった。
ラートボト帝35歳。皇帝軍は壊滅、資金も底を付いている。 即位時7ヵ所あった直轄領が5ヵ所に減じており、諸侯の機嫌取りに必死だったのが分かる。
まあここまで乱れてしまっては、モーリタニアの独立を止められるわけがない。 1347年1月、王国は帝国との戦争に勝利し、正式に独立を宣言した。 皇帝が持っている、モーリタニア・ギリシャ王位他多数の強い請求権については見なかったことにしたい。
見なかったことにしたいといっても現実は変えられない。 ボヘミア王が皇帝に即位してくれれば良いが、情勢を見るにどうも望み薄*1なので、 ならば、再統合された帝国をもってしても、この国には簡単には攻め込めないぞ、というくらいまで更に国力を嵩上げするのみである。
というわけで、独立1年後、48年8月、ホーリーウォー・アレクサンドリア。 アイユーブのカリフ支援戦争は見事なまでに長期化しており、 さらに、長らく結ばれてきたルームセルジュークとの婚姻同盟が、この7月にルーム側の代替わりによって消滅していた。 絶好機を逃す手は無いと、独立戦争のクールダウンもそこそこに、チュートン騎士団と傭兵隊一つ雇って30000を超える兵をエジプトへ向ける。
アレクサンドリアまでくれば、紅海まであと少し。シルクロードボーナスで潤う、アイユーブの支柱に手がかかる・・・
と、ここで我が四女が、ビザンツ帝国に去っていったとの知らせが届く。
四女といえば、ビザンツ女帝の三男と女系結婚させて、宮廷で子作り待ちしていた娘である。 いったい何があったのかと思って見れば。
ウチの娘がビザンツ皇后になってる!?
本来、継承に関係なかったはずの三男坊。 しかし、長男・次男が何があったものか、皇位継承前に次々死亡したため、皇位継承順の一位に躍り出てしまった・・・ようだ。 髑髏マークが白いから、病死もしくは露見しなかった暗殺・・・? 私は何も手を下していないのにこんな奇跡が・・・
そして何度も言うが、この結婚は女系結婚である。よって、次のビザンツ皇帝は、二人の間に子が産まれさえすれば、
我がアレラミチ家の一員となる。
空いた口が塞がらないとはまさにこのことであった。
ビザンツで起きた奇跡に目を白黒させつつ、エジプトに兵を展開させる。 敵野戦軍は出払っているため、スエズ地峡を抑えつつ各地で攻城戦を開始。
消耗を抑えたいことと、敵野戦軍との決戦に備え、城の強襲は避けてじっくりと落としていく。 7000ほどの敵勢を、チュートン騎士団と常備パイク兵団6000を組み合わせた部隊でもって2度蹴散らしたところで勝利確定。 アレクサンドリアの4州を獲得し、孫の1人をアレクサンドリア公に任じた。
記述が少ないのは、本当に余裕の勝利だったから。アイユーブの主力は結局戻ってこなかった。
さて・・・この戦争の裏で、ひとつとんでもないことが起こっていた。
ルイージ大王の後継者、トレムセン公にしてフェズ伯たる長男ルジェーロ、戦死。 一族の1人との戦闘中に起きた事変であった。
・・・いったい何が起きたのか。長い話になるが、プレイヤーの反省も込めて記す。
元々トレムセン公領は、4つの州を4人の伯が分割し、その上にフェズ伯領のみを直轄領として持つ長男がいる、という形だった。動員力は2000余り。 ところが、配下の伯の1人が、突如として伯領3つを他所から継承、4領を有する大伯爵となりおおせ、 挙句、トレムセン公の地位を簒奪せんと、ルジェーロに宣戦を布告していたのである。
「突然他所から継承した伯領3つ」とはどこなのか? というと、だいぶ前、 モーリタニア王グリエルモ1世 の項で、テッサロニキ公を獲得した際、 「何故かこのカルキディケ伯家は「年長者相続」になっていた。これが、彼の死後大きな事件の発端となるのだが・・・」と書いたが、 これである。
カルキディケ伯家が、テッサロニキ公傘下として持っていた伯領3つが、「年長者相続」によって一族最年長の伯に引き継がれた。 その引き継いだ伯はたまたまトレムセン公の傘下にあり、しかも「野心家」持ちであった。 結果、4伯領から上がる6000の兵をもって、トレムセン公の地位を狙って宣戦した、というわけだった。
さて、話がさらにややこしくなるのはここからだ。
アレクサンドリア攻略直後、国内の様子を見回り、この事態に気づいたプレイヤーはどうしたか?
トレムセン公位を長男が失い、他の一族に流出することは、モーリタニア王選挙に不確定要素を加えるため、容認できない。 しかし、私戦にはたとえ仕掛けられている対象が息子であっても介入できない。 ならば搦め手で、私戦を仕掛けている馬鹿者を始末すればいいのだ、と考えた。
暗殺自体は簡単に成功した。元々悪い特性にばかり恵まれていた彼は、Plot power300%越えであっけなく死去。 しかし、暗殺の共謀者がよりによって長男ルジェーロ本人であり、 しかも、その実行犯が露見したことで、ルイージ・ルジェーロ親子そろって「親類殺し」の汚名を被る羽目になってしまった。
挙句、予想に反し、トレムセン公位簒奪の私戦は終わらず、暗殺された伯の長男が領土も私戦も全て引き継いで、 父を暗殺した我ら親子に対して殺気を漲らせている始末である。
さあどうするか? ここでプレイヤーは考えた。 ルジェーロに6000の敵を撃退できるほどの直轄領を与える? いやいや、そんなに土地に余裕は無い。
これ以上介入せずトレムセン公位を諦めるか? いやいや、直轄の伯領を4つも持っている、王をライバル認定している公爵なんて、国内の安定のためには存在してはならない。
・・・そもそも「親類殺し」が付いてしまった長男を後継にする必要があるか? ・・・一代飛ばしてしまっても良いのではないか? ルイージは60歳も見えている高齢、そう長くはない。臣下のオピニオンに響こうと、多少の無茶は許容される・・・
結論。
暗殺の罪によって長男ルジェーロを投獄。 この行為に臣下からのオピニオンペナルティは発生しない。
ルジェーロは投獄を回避し、トレムセン公として反乱を起こした。 もし投獄できていれば「処刑」するつもりだったが、反乱したのならそれも良し。 これで、「トレムセン公臣の起こした簒奪戦争」は無効化された。
後は反乱を鎮圧し、トレムセン公を逮捕、称号剥奪の後、孫にトレムセン公位を渡して新たな後継者とする・・・ と草案を作っていたところ、反乱鎮圧中の野戦でルジェーロが戦死した。というのが一部始終である。
結果。 スーザとサルデーニャの公にしてコルシカとアルボレアとサルッツォの伯である直系の孫・セヴェリオが、 父の持っていたトレムセン公とフェズ伯を継承。公爵位3つと伯爵位4つを持つ大公爵となった。
次期当主セヴェリオ。ステータスは全般にパッとしないが、「正直」「勇敢」「社交的」「公正」と良特性に恵まれている。 吃音が無ければより良かったのだが・・・なお祖父・父とやっぱりそっくり。ちなみに弟も瓜二つ。
ルイージの死後はセヴェリオがモーリタニアとギリシャの王他の称号を継承する。 即位後、持ちすぎている称号を整理するのが面倒だが、まあ結果としては上出来だろう・・・と胸をなでおろしたところで、
conclaveの追加システムの1つ、私戦の強制停止を宣言すれば良かったのだ、と、完全に事が終わってから思い出したのであった。 後の祭りとはまさにこのことであった。
過ぎたことを悔やんでも仕方がない。後継騒動も片付いたところで、領土拡大を続けよう。
ゲーム開始から150年。この頃になると、我がアレラミチ家は、プレイヤーのあずかり知らぬところでも分家を増やしていっており、
ちょっとどういう経路によるものか、家系図を紐解くのが面倒なので省略するが、 カルパチア帝国領ダルマチア公への強い請求権を持つ一族の老女を、男爵家の家臣の中に発見。 カルパチア帝国はちょうど、皇帝の代替わりに伴う内乱が起きており、これ幸いと、ダルマチア公を請求して宣戦を布告する。
なお、その代替わりした皇帝というのが・・・
ラテン帝国の皇后でもあった。
これも、婚姻当時はそんなつもりはなかったのが、あれよあれよとカルパチア皇帝位が回ってきてしまった、というパターンらしい。 で、この女帝に反発して、帝国内の有力諸侯、クロアチア王・エステルゴム公・ニトラ公の三者を中心とし、 アルパード帝家の1人でもある現クロアチア王を帝位につけよ、と請求する反乱が起きた、ということのようだった。
もしラテン皇帝とカルパチア皇帝の合同が成立していれば、死に体のラテン帝国にあってはまさに起死回生の一手となったのだが、 この女帝と反乱軍の戦いは今後10年続いた末、女帝が敗北、退位となり、二帝国の合同はあえなく夢と消えることになる。
一方そのころ北欧では、豪快に地図が塗り替わり、爆笑を禁じ得なかった。
ポーランド・ノルウェー連合王国。 アイスランドまでポーランド色に染まる正体不明の光景が広がっていた。 ポーランド王とノルウェー女王の婚姻により成立したこの同君連合であるが、王・女王が揃って30代の若さで世を去り、 後継者はわずか8歳の、ポーランド人の幼王。
当然ノルウェーが治まるはずもなく、この夢のような光景は、実際に一時の夢に終わる。 この後ノルウェーは四分五裂の大乱となり、ポーランド王は早々にノルウェー王位を放り出し、手に負えない混乱の中に叩き込まれることになるのだ。