AAR/ラテン帝国を取り戻せ!

モーリタニア王グリエルモ2世の治世

1302年 若き王の即位

モーリタニア王グリエルモ2世は、反乱の只中14歳という若さで即位した。 彼は既にモデナ公位にあり、これで、イタリアに1領・1伯を領するモデナ公が、モーリタニア王に統合されたことになる。

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即位時の若き王の姿。全体にもう一声感はあるが、バランスの取れた能力値。
成人時に良特性が付いてくれれば良いのだが。

嫁はどこぞの公爵家の無能な令嬢だったため、即婚約破棄。 また、いきなりユダヤ人から300金借りている状態だったため、王室財産から即時返済した。まったく。

また後継者には、前々回皇帝の公位下賜によって分離させられたアルジェ公の現当主、ルイージを選んでおく。 まあ、14歳の当主に何かある可能性は低いが、念のためというやつだ。

結果的にはこれが大正解だった。

1303年 エピルス公国の断末魔

成人を待つ間、とりあえず淡々と北イタリアに残る反乱軍の拠点の制圧に取り組んでいる頃、 ギリシャではエピルス公国がキクラデス諸島に放逐されていた。

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エピルス公国といえば前々回に、

「フランス発祥のポワトゥー家が支配するエピルス公国、公爵の跡取りが、モロッコで伯爵をしている我が家臣の1人になっていたのだ。」

こう書いた家だが、実はこの後、エピルス公58歳にして跡継ぎの男子に恵まれていた。 やむなく男子を暗殺しようとするも、plot powerが全く足りず、我が家臣による継承は見事御破算となっていたのだ。

そこへ、それじゃあ俺らが継承するわと言わんばかりに、テッサロニキ公国・ヴェネチア共和国が別個に攻め込み、ズタズタにしたという次第である。 テッサロニキ公もヴェネチアも、強大になり過ぎるのはよろしくない・・・そろそろ手を打っておいた方が良いな・・・

また同時期、その「モロッコで伯爵をしている我が家臣の1人」の家にも、異変が起きていた。

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禁欲主義にも関わらず、男児が一人増えていた。 明らかに妻の不貞であるが、嫡出子として認められて伯の後継者になっている。こんなん笑うしかないわ。 (´Д`)まったくもう。

1304年 成人、微妙

そんなこんなありつつ1304年、グリエルモ2世は無事成人した。

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うーん・・・贅沢を言ってはキリがないとはいえ、もう一声感は強い・・・ せめて、教育特性がランク3のだったら納得できたかもしれないが・・・

なお、嫁には管理を含めた全体的なステータスの高さを見て、三つ編みがクッソ可愛いミハイロヴィッチ家のロシア人公女を貰って来た。 ・・・のだがよく見るとこの娘ロシア人のクセに、フランスはオルレアン公の弱い請求権を持っておられる。 欧州貴族の血縁は複雑怪奇。

1305年 黒い死

翌05年10月、反乱決起から5年と数ヶ月を経て、反乱側が白紙和平を申し出てきた。 アフリカでの帝国VSイスラムの大戦は、いつ果てるともなく続いており、アフリカ制圧に乗り込む機会を逸していた我が家としては、 向こうからの白紙和平提案なら勿怪の幸いと、これを快諾。内戦は無事終わった。

その直後。エルサレム巡礼の計画を立て始めた05年12月。

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グリエルモ2世、17歳にして病死。

呆然とした。何が起きたのか分からなかった。テキストを良く読んで状況を理解した。 そう、来ていたのだ、あれが。

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14世紀初のペスト大流行。レヴァント沿岸から地中海北岸を経て、イタリア・南ドイツ・フランスへ侵入、莫大な数の死者を出した。

内戦の様子と帝国VSイスラムの大戦の行方ばかりを注視していたせいで全く気付いていなかったのだが、 この頃、ペストが地中海沿岸全域で大流行していたのである。 ペストが猛威を振るう地域で作戦していた帝国軍・イスラム軍共に、猛烈な勢いで消耗、 帝国の仕掛けた聖戦は、何の成果もあげられないままペストによって白紙和平となった。 また、前回始まっていたギリシャへの十字軍も、同時期に失敗している。理由は同じかもしれない・・・

モーリタニア王位を継いだのは、若干12歳のアルジェ公ルイージ。 グリエルモ2世の余りにも短い治世は、ペストの猛威を知らしめるというただ一点でのみ記憶される。

1302年 14世紀初の世界

さて。 このままでは余りにも短い章になってしまうので、ちょうど世紀も変わったことだし、 14世紀初、グリエルモ2世即位頃の世界情勢や興味深い事象を少し紹介することにする。

まずは地図。

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ピサが持っている拠点はキレナイカのあそこだけ。この後しばらくしてアイユーブに攻め落とされ、ピサは一旦消滅する。 シチリア・カルパチアは安定。ブルガリアはこれが最大版図で、ここからジリジリと削られていく。

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イングランドの分裂は相変わらず。小伯家は消滅し、ワーウィック公領とアキテーヌ王国が手を組んでイングランドに対抗している形。 ただ、そのアキテーヌもフランスにジワジワde jure宣戦でで削られているので、意外と先は長くないかもしれない。

文化地図。

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北アフリカの征服地には徹底的にイタリア人領主を封じているのだが、ベルベル文化がしぶとく、全く転向しない。 そのくせ、皇帝直轄地の一部が、あっさりドイツ文化になってたりする。

ちょっとひどいことになりつつあるのがアイルランドだ。

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イングランド系、フィッツジェラルド家による、アイルランド・コンクエストと王座設立から三代が経過。 アイルランド文化が徐々に消滅しつつあった。 最初アイルランド王が出来ていたとき、アイルランド人頑張ってるなァ、と思ったのだが、 実は最初の最初からイングランド系による征服王朝であった。南無。

王朝地図が少し面白かったのでこれも貼っておく。

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ポーランドのピャスト家が、いつのまにかスウェーデンを乗っ取っていた。もっとも、王家自体はスウェーデン化しているが。 また、リューリクがビザンツを乗っ取ったことは先にも書いたが、実はブルガリアまで乗っ取られていた。 リューリク家は、正教を奉ずる唯一の王家となりつつあり、正教系の王公家に浸透している。さすがというかなんというか。

次は、HRE内の王家・公家の勢力図。

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ボヘミア王家が凄いことになっている。 ボヘミア王位に加え、モラヴィア公を直轄、上ロレーヌ公・オーストリア公を臣下とし、 イタリアの教会領やトレヴィーゾ自由市なども抑えている。文句なしに、モーリタニア王に次ぐ帝国第二の領主となっていた。

イタリアあたりを拡大してみると、ボヘミア王の他に、何故かフェラーラあたりにホラント公の領地がある。両方とも教会領だ。

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また、内陸部に濃い緑色の、アルジェ公領があるのも分かる。皇帝から譲渡された封臣の伯家だろう。

またこの頃皇帝が代替わりし、ツェーリンゲン家は皇帝位を喪失、ルクセンブルク公に戻っている。当主は御年8歳の幼君。

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直轄領を3までしかもてないのに皇帝時代の7つ持っている上、 幼君ウォルフガングは、なんとベルベル文化に染まっている。前途多難が目に見えている。

で、現在の皇帝がこちら。

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Etichonen*1家のヤーコブ帝。武勇27を誇る大怪獣である。 皇帝即位前は、公位こそ持つものの、直轄1領・封臣の伯1名という弱小家であり、 何というか、皇帝位を力のある家門に渡したくない諸侯の思惑が生んだ皇帝か・・・と思わざるを得ない。

この新皇帝はその武勇と英明さ、そして何より長寿によって、Etichonen家を一気に躍進させることになる。

またこの時期は、帝国内の公爵家に大きな再編の可能性が見えた時期でもあった。

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帝国中西部の名家バーデン家の長女にして後継者が、バイエルン女公ハイケであり、 さらにそのハイケは、帝国北部の大領ブランズウィック公と婚姻している。 つまり次の世代では、バーデン・バイエルン・ブランズウィックの三家が統合され、巨大な一家を形成する・・・と思われたのだ。

が、ペスト大流行によって、この三家を繋ぐ架け橋であったハイケ女公があっけなく死去し、この三家合同は見事御破算となった。 また、他の各家にも当主・後継者級にパラパラと死者が相次ぎ、それに伴って各地で婚姻同盟が同時多発的に崩壊、 流行が去った後、しばらくの間、帝国全域で私戦の嵐が巻き起こることになる。

というあたりで、次回に続く。次の王はルイージ1世。「太っちょ」ボニファーチョ1世の孫に当たる若き王の治世である。



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*1 読み方不明。エチコーネン?

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