さて。 前回始まったドイツ大乱の中、我がアレラミチ家は動かなかった。いや、動けなかった。というのも、
32年夏。帝国は未だに内乱の季節。他の西欧諸地域に大きな変化は無し。
60歳を迎えた当主グリエルモが、4年前からinfirmとなり、いつ死ぬか分からん状態となっていたためである。
これでは請求権捏造なんて、捏造した途端死亡で無効化されかねないため到底不可能。 独立反乱に合流? 公家の総兵力4000ではとてもとても……8000いればやったかもしれないが。 もちろん、内乱を早期に鎮める気も無いため、兵は全く出していない。帝国が弱るのは良いことだ。 というか、正直56歳でinfirmった時はすぐ死ぬと思った。しかし死なない。こういうのが一番困る……
一方良い知らせもある。
露助の「天才」持ちを婿に迎えたグリエルモの三女が、見事「天才」の孫を産んだのである。 次期当主である長男一家には男子が産まれておらず、この子が現時点で、ただ一人の男子の孫となっている。これは2代先の家長はこの孫に決まりだろうか。
さて。このまま素直にグリエルモの死を待っているつもりだった。 が、そうはいかない、何とか急いで領土を広げねばならない事情が出来てしまったのだ。
教皇領、オルヴィエート伯・オルシーニ家のマテオ。御年59歳。
教皇領の世俗領主、オルヴィエート伯家の次男・ジョバンニは、「明敏」かつ「美貌」と恵まれた特性を持っており、 それを見込んで、グリエルモの四女の婿として女系結婚で貰ってきていた。 32年時点で孫は産まれていないが、まだ夫妻共に20代半ば、まだまだ子宝の可能性はある。 ジョバンニは次男であり、オルヴィエート伯家は長子相続制。よって継承には関係なく、試しに見てみた長男への暗殺plotも32%程度……だったのだが、 あるときふとチェックしてみると、長男が病死していたのだ!*1
当然、継承権は土地無しで我が臣下にいる次男ジョバンニに移行している。 ここで、どこでもいいからジョバンニに封土を与えることが出来れば、継承でオルヴィエート伯領が傘下に入る! 教皇領を戦争で削るのは極めて困難だ、相続で削れる機会を逃す手は無い。
そして同時期、先だってサルデーニャ北部を攻め取ったムワッヒド朝は、イベリアのカトリック諸国と聖戦を展開しており、 1年ほど経過した33年の冬には、その兵力は5000足らずにまで減少していた。
もはややるしかない。Holy war! サルデーニャ!
1234年1月、サルデーニャに我が軍約4000と、オルヴィエート伯の援軍2000が上陸。 敵影は一切見当たらず、淡々と攻城戦に入る。
34年初頭。ちなみにオルヴィエートはローマの真北、ラティウム州にある。 また、プロヴァンスが何がどうしたものか、継承でアラゴン王国領になっている。
イベリアでやり合っている間にとっとと落として、戦勝点稼いで終わらせないと…… と思っていたのも束の間。 攻城戦をのんびり眺めていたところ、ふと気付いたら、イベリアの戦争は(領土変動がなかったため恐らく白紙和平で)終結。 ムワッヒドの兵力が9000まで回復していた。
やめて。
35年夏、ムワッヒド軍の反攻が始まった。着上陸戦なので敵の士気が低く、おかげで二戦はどうにか勝ちを得たものの、こちらの被害も甚大。 こんな、兵士と兵士のすりつぶし合いをして勝てる相手ではない。
助けて同盟者! と、ムワッヒドとやり合えるような強大な家で、 かつ今すぐ婚姻同盟を結べそうな相手をサーチ&サーチ。と。
「強健」持ちのプリンセス・オブ・フランス発見。 女神かと思った。 即座に、先ほど紹介した我が「天才」持ちの孫と婚約させ、フランス王と同盟締結。
勝ったな風呂入ってくる。
迅速な海上輸送で瞬く間にサルデーニャ島に15000のフランス軍が展開、ムワッヒド軍はしめやかに爆発四散した。 持つべきものは頼れる縁戚だなァ・・・と思ったのも束の間。
36年4月、フランス本国で反乱勃発。 フランス軍は速やかに撤収。本国で再編されたムワッヒド軍、6000以上の兵が再びサルデーニャに展開。 グダグダ過ぎる。
戦勝点は70点近くまで来たものの、我がアンコーナ公軍だけでは6000の敵は到底排除できない。 同盟者であるオルヴィエート伯軍は壊滅状態で、フランス軍はしばらく帰ってこない。 どーすんべ・・・と頭を抱えていると、あることに気づいた。
ずっとどこかに雇われて出払っていた宗教騎士団のうち、チュートンナイツが雇用可能な状態になっていたのだ。 Ave Maria! 西部劇の騎兵隊もかくやである。 即座に雇用、戦線投入。ガチムチ重歩兵がイスラム兵を浄化浄化&浄化。Viva! Viva!
こうして、グダグダの有様で4年近く続いたサルデーニャへの聖戦は、どうにか勝利に終わり、 ジョバンニ・オルシーニは見事アルボレア伯として土地持ち貴族となったのである。
両親共に「明敏」も「美貌」も持ってないのに、両方付いてしまった奇跡の人。凄い確率だぞこれ。 そして「明敏」持ちの割に能力が伸び悩んでいる。下三つが5・6・6ってのはなぁ……
これで後はオルヴィエート伯が死んでくれれば、彼の領地がジョバンニの下に統合される・・・ そんで難癖付けて片方取り上げれば完璧だ・・・へへへへ と、皮算用していたところ、嫁が死んだ。
64歳でinfirm持ちのグリエルモより先に、55歳の嫁が死ぬとか。ウッソだろおい。 明らかに老い先ごく僅かなはずだが、嫁無しでは直轄領2つしか維持できないのは辛すぎるので、 すぐに管理の高い嫁を新たに連れてくる。年齢とか考えず、とにかく一番管理が高い娘を選んだら、24歳公爵家の息女だった。これで3人目の嫁である。
と。
結婚半年見事御懐妊。マジかよ65歳だぞ。 これで息子が産まれてきたら次々代の継承のときにヤヤコしくなるかも・・・と危惧したが、産まれてきたのはまたも娘。七女である。
あいにくの「醜悪」持ち。他家に嫁に出す政略結婚要員か。
さて、上述したようにさんざ苦労して手に入れたサルデーニャ。オルヴィエート伯マテオ老早く死ねよと思いながらステータスを見てみる。と。
継承者が次男から長女に変わっている。なんでやねん。 伯家の継承法は間違いなく男子優先・長子相続。産まれが早い男子である次男が継げない道理が無い・・・と、ココで気付いた。
教皇のヤツめ国外への継承禁止にしやがったな! 畜生!
やっぱ教皇ってクソだわ。死ねばいいのに。
ここから少し、AARの都合上未来の話を挟む。
この少し後、アルボレア伯夫妻に待望の長子が生誕した。父の才能「明敏」をしっかり受け継いだ長男である。 すると当然、オルヴィエート伯の継承権は、長女から離れて次男の長男、現在の伯の男系の孫である彼に移行する。 そしてその男子はアルボレア伯の相続者でもある。
このままでは教皇領から領土を奪うどころか、苦労して切り取ったサルデーニャが教皇に持って行かれちまう!!! ファッキン!!!
・・・と思って切歯扼腕したが、実はHRE皇帝も国外への継承禁止法を制定していたため、 後に生まれた夫妻の長女がアルボレア伯を継ぐことになり、ほっと一安心。 ということで、一連の継承劇は、オルヴィエート伯家がアレラミチ家の分家となる、というだけの結果に終わった。
「明敏」持ち1歳児、伯家を継ぐ。自国の臣下にいるなら頼もしいが、他国に行っちまっちゃせっかくの才能が・・・ハァ。
やれやれ。
と、少し未来の話を挟んだが、こうした継承劇の結果を、家長であるグリエルモは知ることはできなかった。
1239年1月14日、アンコーナ公グリエルモ1世はその長い治世を終えた。 継承者は長男であるボニファーチョ1世(36歳) 十字軍の英雄である祖父・父の名を継ぎ、一代でフェラーラ・ジェノバの二伯領を直轄地に加え、 自由都市フェラーラ・サルデーニャの北半分を傘下に加え、フェラーラ公を名乗った。 彼の治世と武勇は長く語り継がれるであろう!
この項の最後として、1239年初の勢力図を張っておく。
帝国の内乱は、結局帝国が全て鎮圧しきって33年に決着している。帝権に変動なし。 その他、西欧カトリック諸国に大きな変化はない。キレナイカがピサとヴェネツィアに分割占領されているくらいか。
イスラム教圏も、西方のムワッヒド、東方のアイユーブ共に盤石を保っている。 特にアイユーブは総兵力30000を数え、本気になれば東方正教を滅ぼすことも可能だろう。怖い。 また、ルームセルジューク朝がトレビゾンド専制候を叩き潰し、黒海岸を領有している。 なお、アレラミチ家のエルサレム王国は、アレラミチ家が断絶するどころの話でなく、キプロス公国に継承で乗っ取られてしまっている。 キプロス公の次男がエルサレム女王の婿になったのだが、長男がどこかで何かして死んで、次男がキプロス公・エルサレム王両方を継承した……ということのようだ。
なお、そのキプロス公の長男は、エピルス専制候国の女公と通常結婚しており、 素直に行けば、次代で、キプロスはエピルスも継承し、東地中海の一大勢力にのし上がることになる。
で、今のビザンツはこんな感じ。
祝 コンスタンチノープル奪還。
ラテン帝国は初期配置イベントスポーン兵が消耗しきり、ビザンツの攻勢に耐えられなかった模様だ。 またブルガリアにも領土を削られており、建国30年既に半死半生の体となっている。
が、そのビザンツも、何がどう間違ったものか、現在の皇帝がカトリックのイタリア人であり、
これに反発したギリシャ人諸侯が、同時多発3ヶ所で反乱中。皇帝の手勢は僅か1000余りと目も当てられない。
東方の2つの帝国が、共に断末魔の叫びを上げているという、39年初の情勢である。
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