AAR/ラテン帝国を取り戻せ!

グリエルモ6世の治世

開始

まずは当主のステータスから紹介していく。開始直後のSSをうっかり撮り忘れており、少し時間が経ち、嫁を迎えた後の状況となる。ご容赦いただきたい。

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グリエルモは臆病でギャンブル好きといういかんともし難い性格だ。これだけで封臣の評価にマイナス10が付く。辛い。 ステータスもお察しとしか言えない。正直凡の下と言う他ないレベルだ。 また、テッサロニキ公への強い請求権を持っている。

兄弟の欄にいる、公爵のマークを付けた幼児は、異母弟の、ラテン帝国テッサロニキ公爵デメトリオ(1歳)。 父ボニファーチョが、ハンガリー王ベラ3世の息女にしてビザンツ皇帝イサキオス2世の未亡人・マルギットと再婚し、ギリシャで設けた次男である。

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テッサロニキ公デメトリオ。ラテン帝国内に5領を持つ帝国最大の領主。でも1歳。

史実では、テッサロニキ王国がエピルス専制候に滅ぼされて後、兄弟で共闘して反攻。 しかし失敗しグリエルモはギリシャで戦死、デメトリオは敗退後25歳の若さで病死、と、 中世貴族らしいといえばらしいが、幸せとは到底言えない生涯を送っている。

なんとかこの不遇な一家に栄光の道を歩んでもらおう、というのが本AARの基本コンセプトである。

まずは結婚せよ

まずは嫁選びだ。幸い初期状態で4歳の跡取り息子がおり、娘も年子で3人と、政略結婚のタネには全く困らないため、 グリエルモの配偶者は、若さと能力重視で選ぶことができる。

どうせなら「強健」か「天才」持ちの嫁を迎えたかったが、さすがに初期配置でそんな都合のいい存在はいないらしく、リストに見当たらない。 そこで、ご近所のチロル伯国の息女、19歳で「色欲」「ミデアの手」かつ管理17の嫁を貰ってくることにする。

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子供をたくさん産んでほしいものだ。

次いで子供たちだ。4歳の息子の嫁はひとまず置くとして、 3歳の長女はお隣プロヴァンス公の長男(9歳)と。 2歳の次女はバイエルン公の長男(2歳)と。 1歳の三女は上ロレーヌ公の三男(7歳)と。 それぞれ婚約させておく。

シナリオ開始時点で、HRE皇帝は直臣・直轄地共に多すぎで溢れかえっている状態であ り、1年もしないうちに国内の公爵の勢力図はある程度入れ替わる。

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ホーエンシュタウフェン家4代皇帝、フィリップ。
赤髭王フリードリヒ1世バルバロッサの末子。存在感溢れる先代・次代に挟まれる地味ーな立ち位置。

が、婚姻を結んだ上の3家は、もとより3・4領保有の有力貴族で安定している。 当主の年齢も揃って30前半~半ばと若く、婚姻同盟の存続期間は、次世代も込みで5・60年程度を見込める。 よって、即座に婚約を結んでおいて全く損はない。公爵家みっつとの婚姻同盟があれば、大抵の相手に問題なく勝てる。

さらに、開始時点で未婚の、一族の成年男性が4名いるので、子作りボーナスが付く特性を持っている嫁を各地から見繕って、一族の頭数を増やしてもらう。

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割と優秀な一族の皆さん。特に外交15のグリエルモは宰相として大活躍する。
で、「愚鈍」で「のろま」という凄まじい特性を兼ね備えた女の子。ひどい。

そして少々日時を進め、各地から新妻たちが続々とやって来るのを横目に、グリエルモはエルサレム巡礼に出ることを決断。 新妻ほったらかして旅行に出立、「狂信的」を手に入れて帰って来た、というのが、上の当主のSSである。

うん……「親切」とか「勇敢」とか欲しかったなァ……

1207年、十字軍諸国の概況

なお、1207年の時点で、エルサレムはアイユーブ朝の支配下にあり、エルサレム王国・トリポリ伯国などの十字軍諸国は、 海岸部に張り付くような形で辛うじて生き残っている有様である。

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アレラミチ家のイスラエル女王マリア。
なおこの後通常結婚で、リュジニャン家のキプロス公の旦那を取ってしまったため、アレラミチ家は断絶。畜生。

クルセイドforアンダルシア!

07年9月。不発に終わった第五次十字軍の埋め合わせをするためか、教皇はアンダルシアへ第五次十字軍を発令。 第四次十字軍の落とし子であるラテン帝国を筆頭に、ブルターニュ公、ホルシュタイン公らが参戦を表明した。 一方スンニ派カリフは同年12月、シチリア王国へのジハードを宣言してこれに対抗する。

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いきなりおっぱじまった。

アンダルシアを抑えるのはムワッヒド朝。その兵力は約1万5000と強大である。

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しかも最大の当事者である、レオン・アラゴン・カスティリア・ポルトガルのイベリア諸国は、誰一人参戦せず。 お前らふざけんな。

参加者中最大勢力のラテン帝国はといえば、ゲーム開始直後にヴェネツィアに宣戦していて即座には動けず、 実働戦力は教皇領と、それに次ぐのがブルターニュ公というお寒い状況だ。

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ラテン帝国、謎のイベントスポーン兵約30000
この兵力がラテン帝国の寿命蝋である。

列国の不参加に呆れながら、我がモンフェラート伯家は総出を上げての十字軍参戦を表明。伯の総勢800をもってアンダルシアへと向かい、 十字軍戦士の称号を貰うとすぐさま帰宅。以降観戦に徹する。 800名ですぜ? 何ができるというのですか。

そのころ、シチリア王フェデリコ1世

一方、ジハードを真っ向受けて立つことになったシチリアの幼王、ホーエンシュタウフェン家のフェデリコ1世。 ジハードの宣言に対し、参戦したカトリック諸侯は、吹けば飛ぶような独立伯ばかり。実質シチリア王国のみでの防戦を余儀なくされていた。

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HRE皇帝フィリップ、甥を見捨てるの図。

にもかかわらず、シチリア島を舞台にスンニ派諸侯の攻勢に一歩も引かず、寸土も敵に渡さない見事な防戦を展開。 さすがはあのフリードリヒ2世というところか。 だがしかし、

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その婚約者は目を疑うステータスだった。 「愚鈍」とかの先天的マイナス特性無しで、ステータス合計値「4」とか始めて見たわ。

1209年 初めての外征

十字軍の様子を横目で見つつ、ひたすら待ちの日々が続いていた09年の夏。

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イタリア東部、フェラーラの独立伯に対し、領有権捏造が成功。やったぜ。 即座に宣戦。同盟者であるプロヴァンス公・バイエルン公・上ロレーヌ公の援軍を得、圧倒的戦力でヒネリつぶした。 持つべきものは頼れる縁戚である。

1211年2月 ジェノバ攻略

同盟した公国諸兄の偉大な力を借りて、フェラーラ伯国を粉砕、併合した11年の初頭。 その数日後、宰相グリエルモから、今度は独立商業都市・ジェノバの領有権捏造に成功とのお知らせが届く。

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というわけでクレーム・ジェノバ。 この頃、ジェノバ共和国は何故か黒海でトレビゾンド専制候と一戦交えており、イタリアの防備は空っぽ。 バイエルン・上ロレーヌ・プロヴァンスの三公爵の援軍も容赦なく投入し、問答無用で強襲・攻略。 5スロット内4スロットが埋まっている大都市、ジェノバを直轄領に組み入れた。

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ジェノバが何故か男爵領の城を持っていたため、攻略と同時に通常の領地へと変更されていた。ラッキー?

次はイタリア中部の独立共和国・アンコーナを狙い、宰相を派遣。捏造できるまでひたすら待ちの時期に入る。

1215年 血統に善き血を

さて、ヒマな時期に突入した。シチリアへのジハードは14年末にシチリア王国の勝利が確定し、アンダルシア十字軍は進展ナシの泥沼の時代。 モンフェラート・フェラーラ・ジェノバのたった3領では、十字軍の趨勢を動かすことなど出来るはずもなく、情勢を眺めるのみである。 となると、ヒマなうちでもできることをするほかない。

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右側、コムネノス家の一員だ……世が世ならビザンツ皇帝になり得たかもしれない。

「天才」「強健」を持って産まれてきた少年少女。親を拉致もといinvite countして宮廷に迎え、 優秀な子供だけを、我がアレラミチ家の人間と結婚させて一族に迎え入れ、その「天才」を子に引き継がせようという策だ。 最初に、分家の独身男衆にも嫁を宛がって一族を増やしていたのは、こういう含みもある。もちろん、家系乗っ取りを見込んだ政略結婚の弾を増やしたいってのもあるが。

また、1219年には嫡男が成人している。

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「勤勉」かつ「野心家」で「影の実力者」。ステータスも管理以外全体に高く、名君の素養たっぷりに育ってくれた。 「大食」があるのだけが欠点か。

conclaveDLCによって一新された教育システムは、以前と比べて教育成果のバラツキが大きくなり、予測が難しくなったように思う。 良特性が教育段階でモリモリ付いていくことがほぼ無くなり、代わりに成人後に増えやすくなった、という印象が強い。総じて良改変であると感じている。

さてそんな彼の初仕事は、外交19を活かしての請求権捏造業務。前任と交代して4ヶ月で、見事にアンコーナの請求権をヒネりだしてきた。

よっしャァ死ねえアンコーナ! と思ったが宣戦できない! なんでやねん、と思って良く見てみれば、

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十字軍に参戦しており、共闘しているから宣戦不可ということだった。ぐぬぬ。

1221年 ひだるま

その頃のアンダルシア。 1217年頃、ようやく対ヴェネチア戦のケリを付けたラテン帝国軍が、勇躍イベリア・モロッコへと出撃し、 ムワッヒド朝の野戦軍を、二万数千の兵力でなぎ倒し、劣勢だったカトリック側を一気に優勢に持ち込んでいた。

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1220年には戦勝点は90%に到達。しかし、既に野戦で稼げる戦勝点は75%の上限に達しているのにも関わらず、 ラテン帝国軍は、逃げ回るムワッヒド軍をひたすら追撃し続けており、土地の占領に全く取り掛からない。 他の諸侯軍は消耗しきるか、本国情勢の変化によって撤収するかしており、占領に当たっている軍がほとんど存在せず、 結果、戦争がいつまで経っても終わらない、という、どうにもならない頭の悪い状況が続いていた。

そこで一肌脱いでやろうと、アンダルシアへ手勢3000を向かわせ、土地を取って十字軍を終わらせようと思ったのが運の尽き。

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カスティリョンの各施設を攻囲していた我が軍3000の前に、突如として、海上輸送されてきたムワッヒド軍10000が出現。 スクショを撮るのも忘れて呆然と画面を見つめる中、我が軍は3倍の敵に木端微塵にされ、 敗走した先でも追いつかれてもう一度叩かれる体たらく。結果、出撃した3000名が250名にまで打ち減らされた。涙も出ない。 そのムワッヒド軍はその後、ラテン帝国軍に一蹴されていたが、十字軍の攻勢はそこまでだった。

1222年春。ビザンツ帝国、ラテン帝国に、コンスタンチノープルの請求権をもって宣戦布告。 ラテン帝国軍は大童で本国へと取って返し、イベリアで戦うカトリックの軍隊はほぼ消失。アンダルシア十字軍の敗北が確定した。

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1224年12月の年の瀬、ムワッヒド側の戦勝点がついに100点となり、07年より17年間もグダグダと続いた十字軍はようやく終わった。 イベリアのカトリック4人組の誰か一人でも参戦していていれば勝てた戦いであったと、教皇は大層お怒りだったという。

1225年 継承法改正

こうして、十字軍参戦以来、17年間続いた戦時が終わった。 気付けばグリエルモも52歳。そろそろ相続を考える歳である。

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グリエルモ52歳。35の時に貰って来た妻は、4年前に32歳で病死しており、管理に長けた後妻を貰っている。
子供は男2名(1名早世)、女6名。子だくさんなのは良いことだ。

というわけで、平時になったということで、相続法を分割相続から選挙制に改正。これで一安心だ。

なお、上のSSに小さく映っているが、現在モンフェラート伯家は皇帝の直臣ではなくなっており、 何故かスーザ公の地位を下賜された、サルッツォのアレラミチ家の下に付けられている。

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スーザ公にしてサルッツォの伯、ボニファーチョ・アレラミチ。「親切」「勇敢」「信心」など美点ばかりの善き領主。

選挙制に改正したことで、継承者をこちらに指定することが出来るようになった。ここで2つのアレラミチ家を統合する……というのも考えたのだが。 スーザ公が分割相続になっている、というのが引っかかり、止めにした。 ボニファーチョは既に40歳。仮に今すぐ継承したとしても、相続法を選挙制に変えられる10年間を生きながらえるか、少し自信がなかったのだ。 統合しても増えるのは伯領1つだけだし、まあ、またの機会もあるだろうということで、素直に嫡男に継承させることとした。

1225年 アンコーナ攻略

継承の問題も片付いたので、次は延び延びになっていたアンコーナ攻めである……のだが、 ここでまた上の、グリエルモの持っている請求権の項を確認して頂きたい。

お分かりいただけただろうか? 持っているのが、アンコーナ伯の請求権でなく、アンコーナ「公」の請求権なのだ。 仕事のできる嫡男宰相ボニファーチョ*1。1伯領しかもたないアンコーナ共和国に対しても、わざわざ公号の請求権を捏造してくれたわけだ。 正直ちょっと有難迷惑な点もあるが、まあ、これでスーザ公の臣という立ち位置から独立できるのも確か。 アンコーナからは公号を奪い、伯級の都市共和国として生きていってもらおう。

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というわけで半年ほどの戦いであっさり攻略。今回""も""バイエルン公・上ロレーヌ公にはお世話になった。 プロヴァンス公は婚約相手の男の子がいつの間にか死んでしまっており、代替わりもあって同盟が解消されていたが…… まあともあれ、これで我が家はアンコーナ公にしてボニファーチョ・フェラーラ・ジェノバの伯となり、帝国内の有力貴族の一員となれたわけだ。

1228年 帝国大乱

その3年後、帝国史上でも稀に見る大乱が勃発した。 事の起こりは26年夏に宣言された、ムワッヒド朝による、ジェノバ領サルデーニャ北部への聖戦宣言である。 ジェノバは誰かさんのせいで本国を喪失、抵抗力はほぼ無くなっており、勝ち目は皆無だろうと思われた。 しかしそこに、十字軍には不参加を決め込んだ神聖ローマ帝国が、ジェノバ救援のために参戦することを決定。 大兵力をサルデーニャ・コルシカに展開させ、ムワッヒド軍を迎え撃ったのである。

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2万の帝国軍が渡海している。十字軍を撃退したムワッヒド朝とはいえ、HRE本体に攻め勝てるほどの国力は無い。

 帝国軍は見事にムワッヒド軍を撃退したが、しかしアフリカに攻め入れるほどの戦力差はなく、地中海を挟んで睨みあいの情勢となった。  と、その隙を付き、28年、帝国内の不満分子が一斉に蜂起したのである。

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 蜂起の一番手は、あのホーエンシュタウフェン家の現当主、女公爵べアトリクス。  この頃、皇帝位はケルンテン公爵・シュポンハイム家に移動しており、その譲位を迫っての反乱であった。  その直後、より過激に、帝国からの独立を求めた一派が続けて蜂起した。

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 蜂起の首謀者は帝国内の恒常的不安定要素ことボヘミアの王、23歳の若きヴァーツラフ。  以下、ブラバント公・ゲルデルン公・スーザ公・上ロレーヌ公の5家が、帝国からの独立を宣言したのである。

 帝国軍は全速力でドイツへと帰還、サルデーニャ島の守りはゼロとなり、しばらく後にジェノバ領サルデーニャはイスラム圏に取りこまれた。  そして帝国の大乱は2年経っても収まる気配を見せず、30年には新たに、19歳の若き「狂王」、デンマーク王スーネが、キールへの領有権を主張して、帝国に宣戦布告。   31枚目.jpg

 帝国は大混乱となった。


*1 この名前多いなァ

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