1287年6月、グリエルモ3世は、父の思いがけない戦死によって36歳でアンコーナ公を継いだ。
グリエルモ3世36歳。成人時「1」だった外交値は、その後20年かけて「3」にまで成長している。 管理17に「勇敢」「公正」と、まあまあ及第点以上は出せる家長である。でももう少し外交値があれば・・・と思うのは贅沢だろうか?
彼の家庭事情は中々に複雑だ。
まず、彼本人と、すぐ下の妹だけ、母親が違う。6人いる弟妹のうち5人までが腹違いだ。
下4人はグリエルモ2世の妻が事故死した後に迎えた、管理23の女神後妻との間に出来た子供たちで、
しかも遅い時期に産まれたものだから、3世とは、年齢にして2~30歳くらい違う。
なお、母親の天才はだれ一人として受け継がなかった。畜生め。
また、3世の現在の妻はベルベル人の、貴族ですらない町娘である。 しかし、これもまた後妻であり、最初の妻は露骨な政略結婚だった。 モデナ女公ウルフヒルデがその相手で、彼女は男子2人を残し、26歳の若さで病死している。*1 3世が、後妻としてアフリカ出身の街娘を選んだのは、結婚前に私生児作っちゃうようなモデナ女公との結婚生活にウンザリしていたから・・・なのかもしれない。
で、3世の長男は母親の跡を継いでモデナ公となっており、グリエルモ2世の死と相前後で成人している。
モデナ公 クレメンテ・アレラミチ。「野心家」ながらギャンブル好きでシニカルと、実によろしくない。 ステータス自体も正直凡庸。全体にもう一声欲しい感。
当然後継者は彼に確定だ。これでモデナ公を引き継ぎ、無血で直轄1、封臣1ゲットだ。
また継承といえば、3世の弟の1人、2世の次男であるボルソはフェラーラ伯として一家を構え、シチリア王臣タラント・レッジョの女伯と結婚している。 2人の跡継ぎは、フェラーラ・タラント・レッジョの3領を継承することになる・・・シチリア王が国外継承禁止にしない限りは。*2
ブリエンヌ家のマオー女伯。外交18管理11とやたら優秀。「貞節」かつ「同性愛者」なせいで子供ができるか心配だったが、結局合計4人も産んでいた。 フェラーラ伯ボルソは正直無能。彼に跡を継がせるような事態にならなくてよかった。
他の成人している女子たちは、「天才」持ちを婿に貰ってcount内にいるか、どこぞの公家に嫁に行っているかのどちらかとごく普通。
なお、3世の即位時点での西欧世界はこんな感じ。
レオン王国がカスティリャに継承で吸収された。 大分裂したイングランドでは混乱が続いている。一領伯家は次々滅んでいるが、イングランド本体では年中行事のように反乱が起きている。 ルームセルジュークはグルジアも叩き潰し、黒海岸まで勢力を広げた。アイユーブ朝は相変わらず盤石。 なおこの時点でシーア派はほぼ絶滅。東方正教も死に体になっており、世界の宗教はカトリックとスンニの二大巨頭に絞られている。
グリエルモ3世の初仕事は、エピルスからの兵の引き上げだった。 言うまでもないが、捏造した請求権は一代限り。2世の死と同時に請求権は消え去り強制停戦である。金返せクソッ。
勿論その反面、2世の戦争による停戦期限もまた無効化されるため、
モーリタニア王位を維持している、今やカナリア諸島の一領土のみとなったUTMANIDに、宣戦が可能になった。 こいつを殺せばいよいよモーリタニア王である――が。
即位の僅か2ヶ月後、評議会の権限拡大を求め、アンコーナ市長ロドヴィーコを旗頭とした反乱が勃発。
1市長3伯、合計兵力7000余による反乱が勃発した。我が国始まって以来初の内戦だ。
もっとも、軽く10000以上を動員できる今のアンコーナ公にとって、7000程度の反乱ならばたいした脅威ではない。 反乱軍を各個に撃破し、軽くブチのめし、2年ほどかけて余裕で鎮圧。1市長3伯を牢に投げ込んだ。
反乱軍の最大戦力、アルボレア・コルシカの女伯アマーリア。武勇20を誇る女傑。 実はこの反乱に参加するまで、公家の元帥の地位を30年ほど勤めていた。若いころは武勇22あったのだ。
反乱軍の中で唯一複数の領土を持っていたアルボレアの女伯。 初犯だし一門だしこれまでの功績もあるし・・・と、コルシカ島の男爵領を没収するに止めた。 ところ、数年後に見たら男爵領を取り戻していた。今後も彼女は、サルデーニャの南半・カリアリを奪おうと野心を燃やし続けることになる・・・こういう女傑はなんか憎めんなぁ。
また、この反乱中に嫁が病死してしまった。享年38。
毒にも薬にもならぬ程度のステータスだったので、正直暗殺する手間が省けたまあ特段痛くはない。
勿論すぐに後妻を取る。いい具合に、外交17で「強健」持ちの、
イングランド・アイルランド両王家の血を引く、すでに5人子供を産んでる気合の入った未亡人がいたため、
既に跡継ぎが確定している身、未成年の兄弟も多いしあまり子供は必要ないこともあって、35歳の後妻をいただいた。
なおこの夫妻、5年ほどして恋愛関係になるものの、さすがに歳が行き過ぎていたのか、子どもは生まれなかった。 継承がややこしくならんで良し。
それはさておきモーリタニア王だ。エルサレム巡礼を終えた3世は、直ちにカナリア諸島遠征を号令。 血縁同盟の諸侯全て巻き込んで出撃を開始した。その陣容は以下の通り。
1・アンコーナ公グリエルモ3世 動員兵力10000 2・ボヘミア王インドリフ 動員兵力7500 次男の嫁取り先 3・モデナ公クレメンテ 動員兵力2000 嫡男が治める 4・トゥールーズ女公アイネ 動員兵力9000 三弟の嫁取り先 5・タラント女伯マオー 動員兵力2300 次弟の嫁が治める 6・アルジェ公ルジェーロ 動員兵力2500 二妹の嫁ぎ先
1王4公1伯。ボヘミア王はアンコーナ公に次ぐ、HRE第二の大領を持つ大貴族であるし、 トゥールーズ公はアキテーヌ王以上の武力を持つフランス最大の公爵家である。 独立君主こそいないものの錚々たる顔ぶれといえよう。
さて。この中に一家問題がある。すなわち、
アルジェ公ルジェーロ。先々代のアンコーナ公ボニファーチョ1世の長女・ルチアと、アルジェ3州の伯・「天才」トマソの長男。 父から見事「天才」を受け継いだものの、学習以外のステータスは見事に伸び悩んだ。
前章、グリエルモ2世の治世の冒頭で、アルジェ3州を与えられていた「天才」トマソの後継者であるこのルジェーロ。 分割相続によって父からアルジェ2州を継承し、アンコーナ公に仕えていたのだが、 突如皇帝からアルジェ公に任ぜられ、皇帝直臣となったのである。
皇 帝 マ ジ ふ ざ け ん な 。
いいよもう・・・どうせそこモーリタニア王のde jure内だし・・・タイミング見て継承で奪い返してやるもん・・・
というかなんでアルジェの一角がバイエルン領になってるんだろう・・・?
まあ、2州程度削られたところで、アルジェ内陸はド貧乏、別に大して痛くはない。 モーリタニア王号を名乗るのに十分な州数も確保しているし、 元から持っているアンコーナ公号に加え、トレムセン公号を創設して条件を達成。
1290年、グリエルモ3世は西アフリカ征服事業の成果を基に、モーリタニア王即位を高らかに宣言した。 以降彼はモーリタニア王グリエルモ1世と呼ばれる。*3
即位して少しした後のステータス。エルサレムに巡礼した際、「慈善」「忍耐」「狂信的」の3特性を得て帰還。一気に外交能力が7まで伸びた。 その後、外交成長イベントが起こって見事8に到達。成人時の8倍である。 が、更にその後「嘘つき」の特性をイベントで頂き、そう思ったとたん「好色」が消え・・・と、怒涛の勢いでステータスが上下し、こうなった。
さて、この即位の数ヶ月後。王座についての初仕事として、ムワッヒドから取りこぼしているアフリカ沿岸の領土を奪いに行っているところ、 ふと気づくと、
前主、グリエルモ2世の晩年の子、三男ウバルド。管理17を誇るが他は貧弱。後に家令に任ぜられる。 妻はフランス王臣トゥールーズ女公の三女。「強健」持ち。
いつの間にか、土地無し部屋住みだったはずの弟が、スーザ公にしてサルッツォ伯の地位につき、 前のスーザ公を牢屋に叩き込んでいた。
SS右側のHistoryはスーザ公の継承経緯なのだが、実はサルッツォのアレラミチ家はしばらく前に男児が産まれず断絶。 スーザ公・サルッツォ伯の地位はブランドラーテ家のものとなっていた。 それを、この91年6月に、アレラミチの者が奪い返した・・・ということになるのだが・・・
いったいこれどうやったんですかね? ウバルドは領地無、私戦で奪えるわけはないし、ブランドラーテ家から嫁や婿取った記憶はないから血縁継承権もないはず。 なんか、称号を戦争無しで請求してもぎ取る方法ってあるんでしょうか・・・?
またこの3年後、先ごろ反乱を起こしたサルデーニャ島の女傑アマーリアが、 de jureの66%を保有していることをもって、サルデーニャ女公に即位している。
・・・やっぱ伯領一つもぎ取っとくべきだったかなぁ・・・
さてこの頃、以前に攻め損ねたエピルス公領で不思議なことが起こっていた。
フランス発祥のポワトゥー家が支配するエピルス公国、公爵の跡取りが、モロッコで伯爵をしている我が家臣の1人になっていたのだ。 実はこの公爵、子どもが長男1人しかおらず、その子が齢23にしてカラトラバ騎士団入りして相続権放棄。
で、以前我が家が、「イタリア人で妻子持ち」を条件に人をかき集めていた中に混ざっていた、ポワトゥー家の一族に、後継が回ってきたというわけだ。 全く意識していなかったが、連れてきたのがこの公爵の弟だったらしい。 で、更に相続周りを見てみると・・・
ビザンツ帝国領内・旧キプロス王国領、アスカロン女公領までが、彼の相続になっていた。 順調に行けばいずれ彼は、モロッコの片田舎の伯から、二公爵号・五伯領を持つ大貴族へと雄飛する・・・相続のマジックとは恐ろしい。
でその、血縁の不思議な集合点と化しているポワトゥー・ド・ブオンコンテであるが、 実は一人娘を設けたところで「禁欲主義」に目覚めてしまい、もう子供は確実に生まれない。 よって、その一人娘と、我が一族の男子を婚約させ、一族のうちに取りこむことにした。歳の釣り合った子がいて良かった。
さて。
上のSSを見ての通り、94年時点でビザンツとキプロスの統合が完了している。というのも、
先代のビザンツのツァーリ・ヴォイスラフ1世は、26歳の若さでイスラム勢力との戦いの中、一人娘を残し戦死。 それに先立つこと5年、妻であるキプロスとエルサレムの女王エグランティーヌは、一人娘を産んだ直後、産褥死していた。
結果、
カトリックの ロシア人の リューリク家の血を引く 5歳の女児が ビザンツ皇帝に即位する
という、「ビザンツ帝国とは一体何なのか」という根源的な疑問すら感じさせる事態が発生したのである。 ロシア人が継ぐというのは1000歩譲るとしても、何故カトリックなのか。 何故父でなく母の信仰を受け継いでしまったのか。ギリシア人はそれで良いのか・・・
む?
・・・・・・キエフ大公国がビザンツに統合されてる(呆然)
いったいこの国は何なのだろうか? ギリシャ人の国なのか、ロシア人の国なのか? 正教なのか、カトリックなのか? いったいこの千年帝国はどこに向かおうというのだろう・・・