AAR/ユサールの馬蹄記

安寧を求めて

フンの末裔

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  アッティラ大王をイメージして作られたレリーフ。ヨーロッパを恐怖に陥れたが、彼の死語フン族は四散した


遡ること4世紀末、まだヨーロッパが二つのローマによって統治されていた時のこと。 ドナウ川中流部に根拠を築き、ヨーロッパを荒らしまわった「蛮族」がおりました。 フン族と呼ばれた彼らは東のローマを屈服させ、西のローマにトドメの一撃をさした後、 王の死によって四散、歴史から姿を消しました。

マジャール人は、自分たちはフンの末裔だと主張します。 それ故に、フン族が根拠としたパンノニアの地は彼らにとっての「故郷」であり、 彼らが所有すべき財産であると。 こうして、ドニエプル川下流で遊牧生活を営んでいたマジャール人達は大首長Álmosに導かれ、 867年、豊かな父祖の地を目指し侵攻を始めたのでした。

マジャール大首長 Álmos。外交12,軍事19,管理16と優秀な人物
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ブルガール戦争

とはいえ、目指す地も無人というわけではありません。 当時パンノニア、ワラキア、セルビアの一部とブルガリアと、ドナウ中流~下流部はブルガール人の王国でした。

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 パンノニアへの道は開かれた

マジャール軍はワラキア北部、Iasiでの戦いでブルガール王を撃破し、パンノニアを含むカルパチア盆地への移住と 北部ワラキアの通行権を認めさせます。*1

この権利を盾にカルパチア北部で割拠していたクロバチア公爵を屈服させ、版図に加えたalmosは、次に西へと向かいます。 西に控えるのはモラヴィア人の王国。歴史的に大モラヴィア王国と呼ばれる豊かな王国です。しかし、その「大」はマジャール人の土地の一部でもあるのです。

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Pressburgの戦い、そして…

Álmosは軍を率い、侵略を開始します

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Pressburgで、両軍は相見えます。戦闘が始まろうかという矢先、一人のモラヴィア人青年貴族が軍から抜け出てマジャール側に駆け寄ります。 「我が家名を懸けて、大首長Álmosとの一騎打ちを所望する」 誰もが断るだろうと思うこの申し出を、しかしÁlmosはあっさりと受諾します。彼は齢60になりながらも軍事19という自らの腕前を誇り、自慢の種としていました。

完全武装の二騎が両軍の中から飛び出し、槍を交わします。 一合、二合、三合…

さすがにÁlmosは熟練の使い手、五合目にして相手の癖を見抜いて槍を掻い潜ると、渾身の気合をもって突きかかります。 若者も必死にこれを躱しますが、体制を崩し落馬してしまいます。 Álmosは勝利を確信し、馬首をめぐらします。地に落ちた者の首を取ることなど、容易いこと。 その時。 衝撃が、Álmosの体を貫きます。 何だ、と思うまもなく全身を叩きつけられる。どうやら落馬したようです。激痛に抗いながら体を探ると、胸元に深々と矢が刺さっていました。 意識を失う寸前、最後ににÁlmosが見たのは、弓を片手に顔を上気させるモラヴィアの若者の姿でした。

敵の大首長を倒した若者を、モラヴィア軍は歓喜の声で称えました。 しかし、それも数瞬後には絶望の悲鳴へと変わります。 自分たちの首長を殺されたマジャール軍の怒りが、そして父を殺され憎しみに燃えるÁrpádが、モラヴィア兵を片っ端から殺していったのです。 この日の戦いに参加したモラヴィア人は、何とか逃げ延びた王と一部の貴族を除き全滅しました。

日が暮れかけた頃にようやく殺戮を止めたマジャール人達は、悲しみにむせびながらÁlmosの遺体を先祖のやり方で葬りました。そして彼の嫡子である Árpádを、次の大首長へと指名したのでした。

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 大首長Álmos,60にて神のみもとに征く。大モラヴィア王国との戦いのさなかで戦死。  大首長Álpádの御世よ永遠なれ!


*1 Invansion CBでワラキアの一部を手に入れたが、後述のハンガリー成立イベントで手放すため、通行権と表現

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