1099年
後継者の息子は赤文字のHeir。
かなりまずいです。
法王に離婚を調停してもらいたくてもOKしてもらえません。
旦那の暗殺も成功率20%、露見率44%ではさすがにポチれません。
血族を探すと9才年上の叔父さんが。
初代Mun~o最晩年の子です。 (Mun~oの密かなファインプレーでした) 継承法を選抜制(Elective)に変更し、叔父さんを後継者にノミネートします。 血族でノミネートできたのは叔父さんだけだったのでヤバイ所でした。 どうにかお家断絶の危機はまぬがれた、、
しかし、その叔父さんの妻は30才で子供なし。 領主と違い廷臣の出生率が低いとはいえ、お家のために冷酷にならねば、 成功率51%、露見率32%なのでポチることとします。
初回で成功。
叔父さんには15才の天才Trait持ちと婚約させました。
1100年
長引いた聖戦も終了。 カトリック側が勝利し、イスラムの侵入を防いだのでした。
1101年 Chancellorがナバラのクレームを取ってきました。 ナバラ王はまたもや交代していたので停戦期間がキャンセルされています。 ためらい無く攻め込みます。
その直後、 南の巨人、モーリタニアが動きました。 Aragon公に対してMurciaのDe Jureをかけて聖戦を吹きかけたのでした。 (Aragon公はアラゴン王に対して独立戦争中です)
また、コルドバもアラゴン王に独立戦争中のRosello伯に対して聖戦をしかけました。
1103年 聖戦を尻目に、ナバラ戦線では ナバラ王が降伏し、ここにナバラ(ヒメノ家の本家)は滅びました。 CristinaはNavarra州を手に入れたのでした。
程なくして聖戦も終了しモーリタニアの勝利に終わります。
カトリック側はモーリタニアにAlmanasa州を切り取られました。
Chancellor絶好調です。
Alto Aragon伯のクレームを取ってきました。
領主はヒメノ家のアラゴン王の一族ですが、
アラゴン王位はバルセロナ家に剥奪(Usurp)されていまや唯の独立伯です。
傭兵を雇って力攻めで攻め込みます。
1105年 Alto Aragon伯降伏。
ヒメノ家系のアラゴンは滅んだのでした。
1106年 聖戦が始まりました。 コルドバがBarcelonaのDe Jureを モーリタニアがMurciaのDe Jureをかけてアラゴン王に戦を仕掛けたのです。
カスティーリャ王はアラゴンのモーリタニア戦に加勢します。 以下の構図です。 ・Mauritania vs Aragon(Castille) ・Cordoba vs Aragon
Cristinaも支援のため、船に兵員をのせモーリタニアに向かわせます。
1107年
モーリタニアから11200のイスラム兵がジブラルタルを抜けて北上してきました。 (ジブラルタルは船を使わなくても渡れるんですね、、)
お手上げです。
敵の狙いがカスティーリャでなく、アラゴン領のMurciaであるのが救いです。
1109年
Murciaが陥落しモーリタニアとの聖戦が終了しました。 モーリタニアの強力さに無力感を味わった戦争でした。
聖戦のさなかに PortucaleのDe JureであるCastelo Branco州をSancho3世から拝領し、 主君に対するOpinionが-85から-20に緩和されました。 そのSancho3世はいつのまにかKinslayer(親族殺し)となっているし、、 (反乱した弟のSoria伯Domingoを殺したらしい)
新領地のCastelo Branco州は後継者の叔父さんに与えました。
領主となり沢山の子供を生んでくれることを期待してます。
1110年
モーリタニアとの聖戦は終了しましたが
Cordoba vs Aragon の聖戦は終わっていません。
カスティーリャ王国はこれに加勢することとなりました。
1111年
コルドバとの聖戦はカトリックの勝利に終わりましが カスティーリャ国内にてLeon公が王の退位をもとめて反乱を起こしました。 (Leon公はMun~oの血族である元Calatayud伯です)
いくら血族とはいえ流石にこれでは加勢できないのでだんまりを決め込む事にします。
しばらくして反乱は抑えられ、Leon公は釈放されました。
1113年
教皇よりHolly Oderの使用許可がおりました。
維持費が高いですが、これでイスラムとも渡り合えるようになるでしょう。
クレイムを取っておいたMolina州に対してコルドバに宣戦します。 聖戦にするとイスラムの加勢がマッドハンド的に現れるので、 それを避けるためクレイム戦としてみました。 さっそくHolly Orderを使ってみます。
戦争中に教皇から戦費として200Gを頂きました。
1114年 アラゴン王がコルドバにValenciaのDe Jureをかけて聖戦をしかけました。 イスラム側はBejatが加勢に付き Aragon vs Cordoba(Beja) です。
1115年
カスティーリャ王Sancho3世がToledoののDe Jureをかけてコルドバに聖戦をしかけました。 コルドバは袋叩きの状況です。
1116年 戦勝点(warscore)62%でコルドバから講和の提案が、
Molina州を手に入れました。 イスラムの領土は宗教ペナルティがひどいので直轄とせず配下に与えます。
1117年 ジェノバがValenciaのDe Jureをかけてコルドバに聖戦をしかけ10000の大群を送り込んできました。 (おそらくHolly Order +アルファ) なぜにジェノバかというとMallorcaがジェノバ領となっているからでしょう。 コルドバはハイエナの群れの餌食となっています。
カトリックとは言えイタリア野郎にイベリアに食い込まれるのは癪なので 停戦中にも関わらず、ValenciaのDe Jureをかけてコルドバに聖戦を仕掛けることにします。 Valenciaはアラゴン、ジェノバ、そして家(Cristina)の切り取り合戦となりました。 アラゴンはボロボロなので実質ジェノバとの争いです。 幸いにも大国モーリタニアは内戦中なので干渉はしてこないだろうと見込んでいます。
一方で、カスティーリャ王Sancho3世は聖戦に勝利しToledoを手に入れました。
1118年
Sancho3世からPortoを拝領しました。
これでPortucaleのDe Jureの4州すべてがCristinaに属することになりました。
1119年
コルドバより講和の申し出が、
講和条件が多すぎでダイアログに表示しきれていませんが、、
Castellon州を勝ち取りました。
ジェノバとのValencia切り取り合戦はジェノバに軍配が上がり
家の1州にたいしてジェノバは2州を切り取ったのでした。
和平の少し前にこんなことがありました。
夫がタイトルを剥ぎ取られCristinaを頼ってきたのです。
なんとまぁ、、
どうせならば子供たちを家の血族にしてくれればいいものを、
1120年
カスティーリャ王Sancho3世がBeja藩国にBadajozのDe Jureをかけて聖戦をしかけました。 幸いにも仮想敵国であるイスラムの大国モーリタニアは未だ内戦中です。 (どうやらPretenderのお家騒動の様子)
Beja藩国も先の聖戦でかなり疲弊しておりビッグチャンスです。
なのでBejaのDe JureをかけてBeja藩国に聖戦をしかけました。 Beja藩国はBadajozとBejaの2つのDe Jureからなっているので この聖戦に勝てばBeja藩国をつぶすことができます。
Holly Orderを呼び寄せ、全封臣の兵力を動員し全力でBeja藩国を叩きます。 対するBeja藩国は南に隣するAlgarveに助けを求めました。 Algarveはたかが2州です。今のCristinaは物ともしないでしょう。
全軍進行、Bejaに侵入せよ。 (画面に収まりきらないほどの兵力を動員することができるようになりました)
・ ・ ・ と、
なんて奴、、、
Revokeの陰謀(plot)を仕掛けていたのは承知していたが
このタイミングで、、
・ ・ いや、このタイミングだからこそ、こちらに勝機があるかも、、 断固拒否。
こうしてカスティーリャ王国は大規模な内戦に突入したのでした。