領内をうろつくモラヴィア兵を叩いて戦勝ポイントを稼ぎ、 賠償金を得て和平するまでに約1年かかった。 即位まもないドロゴヴィト2世に一定の威信と信仰値が振り込まれる。 これはありがたい。
戦争終結と同時に、統治限界突破によるオピニオンペナルティを軽減すべく ポーランド平定戦争で獲得した新規領地を家臣に分配する。
それでも即位したてであり、かつ継承候補者が妹ということもあり、 家臣団のオピニオンはマイナスばかりである。
905年には先のヴィエルコポルスカ大部族長だった下シレジア首長シェモヴィトが 独立反乱を起こす。この反乱に他の諸侯も呼応されると困ったことになると思ったのだが、 幸いにして他の諸侯は反乱に参加しなかったため、簡単に鎮圧できた。
その後シェモヴィトが生きて牢獄を出ることはなかった・・・
反乱鎮圧によるオピニオン補正で家臣団の不満も多少改善。
その後、摂政政治のもと、本拠地であるプロツクの設備投資を進め、 ドロゴヴィト(2世)もすくすくと成長。 911年、ドロゴヴィトは16歳になり、顔グラ解禁とともに "心得違いの戦士"へと成長を遂げた。
パッとしない(直球) 管理値低すぎて早く結婚しないと3州しか直轄領にできないじゃん・・・。 顔グラも親父がスキンヘッドで威厳があったのに比べると目つきの悪いダサ坊ですわ。 まあ早めに結婚させてもそんなに子供は出来ないんじゃね?っていう。血統的に。
というわけでクラクフ首長の妹グシミスワヴァちゃん(14歳)と婚約しておきました。 成人前で結構能力値高いし、それなりになるだろう。
婚約者の成人まで2年ほどあるので、その間に姉貴のクレームを使って勢力を拡大する。 ブレナブルグへの強いクレームがあるので、ソルブ大部族長へ戦争を挑み、割譲させる。 こうして姉貴をブレナブルグ首長へ返り咲かせ、自分の封臣として擁立。
再びブレナブルグ首長となったヤドヴィガ・マゾヴィエツキー姉貴
ちょうどこのくらいで婚約者が成人したので、正式に結婚。
結婚前:統治限界3
↓ ↓ ↓ 結婚後:統治限界3
統治限界増えてないじゃないですかー!! 仕方がないのでお金を貯めてポーランド王位を創設する方向で事を進めることにする。 う~貯金、貯金
デデン
えっ・・・
聖戦再び。 今回は2方面作戦でもないので、普通に兵を召集し、傭兵も雇って防衛する。 またも周辺のスラヴ小部族が参戦してくるが、大して期待はしない。
兵力差で楽に勝てる戦いなので、ドロゴヴィト2世自ら指揮をとるようにし、軍事値の向上を狙う。 で、狙い通り軍事トレートの向上イベントが起きた。
おめでとう!ドロゴヴィトは脳筋戦士にしんかした!
モラヴィア軍を追撃しまくった結果、味方部族がいつの間にか王を捕らえていたので、 賠償金を得て和平。威信と信仰値もたくさん振り込まれ、いい感じ。 ポーランド王位に必要な諸ポイントがこれでだいぶ稼げた。
その後大モラヴィア王国は聖戦での敗北が原因なのか、 突然国王が空位となり崩壊、諸侯領に分裂してしまった。 今後マゾヴィエツキー家を脅かすことは無いだろう。
916年、必要ポイントが貯まったためポーランド王位を創設。 ドロゴヴィト2世はポーランド国王ドロゴヴィト1世として即位した。 これで統治限界は3→6に。
君主としてのランクが上がったので、上シレジア首長に忠誠を要求し、封臣に。 上シレジア首長は伯爵クラスで、ポーランドの法的領域内にあり、同じポーランド文化のため、要求に応じた模様。 旧モラヴィア王国の諸侯であるシレジア公は忠誠要求に応じなかった。
今のところ大部族長クラスの称号を4つも持っているため、臣下へのオピニオンにマイナス補正がついてしまっている。 とりあえずそのうちのひとつであるマウォポルスカ大部族長の称号をクラクフ首長に与え、マイナス補正の軽減を図る。
同じ年には男の子が生まれ、ドロゴヴィトと名づけられた。 ドロゴヴィト多すぎじゃないですかね。 とりあえずドロゴヴィト(2世)が不能でないことが証明された。 このあとあんまり男子を産まれるとそれはそれで分割相続的に困るのであまり頑張らないで欲しいなあ。