AAR/マゾヴィエツキー家の華麗なる年代記

ドロゴヴィト1世(3)

ポーランド平定戦

ヴィエルコポルスカおよび大モラヴィアとの停戦期間が明けるまで、 しばらく金を貯めて内政を行う。 マゾヴィエツキー家の直轄領であるマゾヴィアとクヤヴィ全域で 城壁と城下町の建設を終え、領内収入が増加した。 いずれは分割相続されてしまうかもしれないが最低限は投資もしておく。

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ヴィエルコポルスカは西のソルブ族との戦いでルブシュを奪い、 拠点を奪われたソルブ大部族長はドロゴヴィトの娘ヤドヴィガの領地である ブレナブルグを召し上げたので、ヤドヴィガは数年で母親から受け継いだ領地を追われることに。 ヤドヴィガはクレームをもって実家へ戻ってきた。何かの役に立つかもしれない。

899年、ドロゴヴィト賢公も50歳になり、 そろそろ先も長くないので、満を持して異教に許される征服CBによる戦争を仕掛ける。 これは異教徒が一生に一回好きなときに隣国に戦争をふっかけられるというCBである。 相手はもちろんヴィエルコポルスカ。なぜなら彼もまた特別な存在だからです。

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クルシュヴィツァの戦い。 兵力はマゾヴィア4000弱に対してヴィエルコポルスカ3000弱。 この戦いでマゾヴィア軍は大勝して戦勝ポイント46.5%を一気に稼いだ。 ポーランド平定も意外と楽だな(鼻くそほじほじ)などと思いつつ戦争を続行していると

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あっ・・・。

はじめての宗教戦争

兵力が減ったところで大モラヴィア王国に聖戦くらいました。 大モラヴィアの軍勢は3000弱に対してマゾヴィアの軍勢はこの頃2000強。 やばい。

近隣のスラヴ神話部族がちょろちょろ参戦してはくれたものの、 正直ゴミみたいな軍勢なので、各個撃破されるだけクソの役にも立たない。 しかしすぐキリスト教に改宗するのもしゃくなので、出来る限り抵抗してから考えることにしよう。

大モラヴィア軍は固まって移動することで少しずつ消耗していたので、 できるだけ国境から遠い地点で戦闘を行うべくグニェズノ州で防衛戦に持ち込む。

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レクノの戦い。 ここでリトアニア傭兵団の突撃が敵中央陣をうまく突破し、快勝。 戦勝ポイント57.6%を叩き出す。

うまいこと危機を脱することができたので、2方面作戦を続行。 ヴィエルコポルスカの残存兵を追い掛け回し、再びグニェズノで捕捉、決戦へ。

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ズニンの戦い。 掃討戦のはずが敵の抵抗が思いのほか激しく、ドロゴヴィトも重症を負ってしまった。 しかし結果としては勝利し、敵の総大将シェモヴィト・ピャストを捕えることに成功。

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戦勝ポイントが100%に達したためヴィエルコポルスカ領の全てを支配下に置く講和を呑ませる。 ヴィエルコポルスカ大部族長は下シレジアの一首長に落ち、 マゾヴィア大部族長の封臣になる。 新たな大部族長位としてヴィエルコポルスカ、クヤヴィ大部族長の称号を獲得。 さらに直轄領としていくつかの州を得るが、これらは統治限界を超過しているため、適当な臣下に分配しなくては。 などといろいろ考えている数ヶ月の後に、

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ドーーーーン

ドロゴヴィト1世死亡(55歳)

先の戦いで負った重傷が原因とのこと。 男子は結局ドロゴヴィト(幼児)のみだったため、こちらがドロゴヴィト2世として跡を継ぐ。 年齢わずか6歳であるため、摂政政治へ。

戦争中に君主死亡、幼児即位! マゾヴィエツキー家の明日はどっちだ。

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