当たり前ではないか。余は王だぞ?お前たちとは格が違うのだぞ?
そうですな。数代前まではまさかこのような状況になるとは思えませんでしたもん
プレイヤーは、このままSaffarid朝の封臣として終わってしまうのではないかと考えていたようだ
うむ。このままの勢いで行きたいと思う。これからもよろしく頼みますよ。
西暦1042年。Bavandid家が王位を宣言したことにより、ペルシア内でのパワーバランスは大きく変動することとなった。 皇帝はSaffarid家の者以外の王への即位に難色を示したが、アルメニア全土を支配するGosthtasbのアルメニア王への即位には高い正当性があったため、何も口を挟むことはできなかった。 この時より、皇帝とBavandid家の間には冷戦とも言える対立構造が出来上がっていった。 その対立を象徴する出来事が、Gosthtasbがアルメニア王に即位してからしばらくして起きた。
よし!勢力を広げるぞ!!まずはShirvan家にとどめをさすのだ!
アゼルバイジャンはアルメニア王国の正当なる領土である(ような気がする)
この時Shirvan家の力が及ぶのは1伯領のみであり、Bavandid家との力の差は歴然としていた。それでもShirvan家の公爵は最後まで勇敢に戦った。
傭兵抜きで1万近い兵を動員できるようになったよ~。
しかし奮戦むなしく、Bavandid家の圧倒的な兵力の前に遂には膝を屈することとなった。
本当ですな。どうやら我々がShirvan家に宣戦したのに便乗して、Shirvan家に戦を仕掛けた輩がおるみたいです。
我々が勝利して領土を得たことで、今度はその輩相手の領土の防衛戦を引き継いだというわけか…。その不届きな奴は誰だ!
俺はあんたの主君の息子だよ?え、俺に逆らおうってんの?おとなしく領土を寄越せよ。
これは私戦ですよ?皇帝と言えども口のはさむことのできない戦だ。おら、お前こそごたごた言ってないで早くかかってこいよ。
Gosthtasbの目論見通り、皇帝は今回の一件に沈黙を貫いた。私戦だったため口を挟むのは憚られたためであろう。 しかし、今回の件でBavandid家は皇帝一族に対し忠誠心を全く持ち合わせていないということが明らかとなった。 この出来事以降、皇帝は帝国内でBavandid家を孤立させようと様々なことを画策するようになる。 そして、Saffarid家とBavandid家の関係は一層悪化していくのであった。
いやさあ、この前、1伯領のキリスト教単性論の領主たちに立て続けに戦をしたじゃん?
はい。どれも我々の敵ではなく、全て勝って領土を奪うことができましたな。
楽勝だったけど一応同盟組んでたほかの諸侯に援軍を要請してみたんだけどさあ…
上で皇帝が我々を孤立させようと画策していると述べられていましたからねえ。
それだけ我々の力が大きくなったということです。諸侯も我々のさらなる伸長を警戒しているのでしょう。
でもさあ、同盟を何だと思ってるのよ?そんな簡単に盟約違反できるほど軽いものなの?
おそらく、裏で皇帝が援軍を出さなくてよいというお墨付きを与えているのではないでしょうか?
はあ~?そんな事実が明るみに出たら諸侯は皇帝を信用しなくなると思うんだけど。何で皇帝はそんなリスクの高い行動に出たの?
それほどあせっておられるのでしょう。それと前回の皇帝の息子との件での遺恨もあるのでしょうな。
皇帝の画策により、ペルシア帝国内でのBavandid家の孤立は強まっていった。 これにより、Bavandid家は他の諸侯とは一線を画した独自の道を歩んでいかざるを得なくなる。 もしもこの時、皇帝がBavandid家との融和の道を選んでいたら後の歴史は全く異なるものとなっていたであろう。 しかし歴史にもしもはない。皇帝とBavandid家の対立は歴史の必然として起きたのである。
西暦1045年。ローマ教皇はもう何度目かはわからない、聖地エルサレム奪還の十字軍を発令した。
今回はイタリア王をはじめそうそうたる面々が参加しているな。これは本気だぞ。
開戦から時わずかで、エルサレムにはおびただしい数の十字軍兵士が殺到した。
これはまずい…。
うちの皇帝も撃退のために参戦表明をしましたけど、これは無理だと判断したのか兵は送らないようです。
かくして十字軍は成功に終わり、エルサレムはキリスト教徒の手に落ちた。 エルサレムの地はイタリア王に授けられ、イタリア王は自らエルサレム王を名乗り聖地の守護者であることを宣言したのであった。
しかしエルサレム失陥でカリフの力が弱まったのに、Saffarid朝は衰える気配すら見せないな
そうですねぇ。ですが、Saffarid家の退廃値だけは何故かすごい勢いで溜まっていってるのですがね。
皇帝の息子に退廃traitが発生したからな。がんがん溜まるぞ。
その息子というのが後継者だからな。どうもAIは退廃traitがついたのが自分の後継者の場合は牢に入れないっぽいな
そうなのですか。でもこのままですと退廃が100になっちゃいますよ。
西暦1061年5月。皇帝一族の腐敗は領内全てに知れ渡るところとなった。 腐敗しきったSaffarid家などもはや敵ではない。 そう考えた辺境地帯の部族たちはSaffarid家打倒の兵を挙げる。
毎回思うが、こんなに大軍を集めることのできる辺境部族って何者?
辺境部族よりも、配下の有力諸侯が兵を挙げる方がしっくりくるんだけどな
それはパラドさんに言ってください。セルジュークみたいな感じで決起した人たちということにしておきましょう。
辺境の部族たちは足場を固めながら、ペルシアの都目がけて進軍を開始した。 その姿は腐敗しきったSaffarid朝が失って久しい、チャレンジ精神あふれる若々しいものであった。
わらわらとわく退廃軍。兵数多すぎるよ…。
その感じだと今回の部族の蜂起に貴様らは関与していないようだな
これはこれは。以前我々に戦を吹っ掛けてぼろ負けして泣く泣く父親の元に逃げた、皇帝の息子のShahruz様。突然のお出まし、いかがしたのですか?
その紹介はいらんから!いや、今回の部族の蜂起はBavandid家が黒幕なのではないかと思って確かめに来たんだけど、どうも違うみたいだな。
我々が関わっているんだったらとっくに一緒になって兵を挙げてますよ(笑)
そういえばどうして皇子殿下は皇帝の恰好をされているのですか?
あ、まだ知らせは届いてない?先日パパが亡くなってね、余が後を継いで即位したんだ。
何が言いたい?まあ正直余はお前たちBavandid家が大嫌いだけど、ここは国のために協力してくれよ。
「名誉職あげるから協力しろよ」
そもそも今回の部族決起の原因である退廃traitを発生させたのは彼なんだけどね…。
部族軍は最初こそ勢いがあったものの、動員を完了させ待ち構えていたペルシア軍によって大敗を喫する。 一度敗れるとしょせんは寄せ集めの部族軍は弱い。 脱走するものが後を絶たず統率を完全に欠いた部族軍は、もはやペルシア軍の敵ではなく、数度の会戦を経て降伏することとなる。
西暦1068年11月。Gosthtasbは死の床にいた。
そういえばShahabさん、あなたはとっくに亡くなっているわけだが何でここいいる?
今更つっこまないでくださいよ。陛下がおひとりだと寂しいと思い、霊となって今までお仕えしてきたのですから。
それにしても後半はあまりBavandid家単体としての動きをあまり述べることができなかったことが心残りだ
まあ色々と伏線めいたことは書けましたし、良かったのではないですか?
西暦1068年11月2日。初代アルメニア王Gosthtasbはこの世を去った。享年63。 その60年にも及ぶ長き治世の中で、彼がBavandid家にもたらしたものはとても多かった。 彼がもたらしたものは次代以降にしっかり受け継がれて、Bavandid家の更なる躍進へとつながっていくのである。