7代目当主のFarhadです。父が急死したため後を継ぎました。
宰相を務めるHeart伯のShahabです。前回Bavandid本家公爵位返り咲き時に新たに伯爵に任命されたゾロアスター教のものです。
ねえ、Shahabさん。ここ最近未成年の代替わりが多くない?
あなたの叔父上の代からもう3代も未成年で後を継いでいますな。
そういえばShahabさんはどうして僕へのopinionが低いの?僕のこと嫌いなの?
代替わりしてすぐですし、私はゾロアスター教、殿下はスンニ派と宗教が異なりますからな。
これはゲームの仕様ですので仕方ないでしょ。表面的にはopinionが低いですが、殿下に対する内なる忠誠心では誰にも負けはしませんよ!
西暦990年にSaffaridの王がペルシア帝位を創設していました…
990年ってまだお父さんの代の時だよね?何でこの重大なことに気付かなかったの?直臣なのに帝位創設の通達すら来ないくらい冷遇されてるの?それともShahabさんの目は節穴なの?
通達は来たんですけど、その当時はTabristan公爵位奪還戦が終盤に差し掛かっており忙しく、見落としてたんですよ
……。とにかくペルシア帝国は再興されたわけですな。お祝いでもしますか?
祝うわけないでしょ!あのペルシア帝国はパチもんだよ!Bavandid家によってつくられるペルシア帝国こそが正しくきれいなペルシア帝国だからね!
西暦1001年。Farhadは無事に成人し親政を開始した。
家臣の反乱を鎮圧したり、主家がインドのPratihara朝に攻められたりと色々ありましたな。
Pratihara朝は結局退けられたけどな。本当に不甲斐ない。
シーッ!どこで皇帝の間者が聞き耳をたてているかわかりませんよ。色々ありましたけど一番うれしかったのはこの出来事ですなあ
ゾロアスターの信仰を取り戻す土地がでてきたのは本当に喜ばしい限りです
自慢などしていませんよ。ところで殿下はいつゾロアスター教に改宗されるのですかな?
今改宗しても主君とのopinion悪化でまた爵位を剥奪されるだけだからさあ…。何事もタイミングが大事なんよ。そもそも独立してないから改宗できないし。
そんなこと言って時期の訪れないままゲーム終了を迎えることのないようにしてくださいよ
成人したFarhad。父親譲りで外交能力が高い。
よし!ペルシア帝国再興のためには力をつけなければな!まずは領土を増やして勢力を広げよう!
外に決まってるでしょ。近くに喰い時の弱小国家がたくさんあるじゃないですか!
なるほど。アッバース帝国の崩壊は我々にとって正に天佑でしたな。
西暦1002年2月8日。Bavandid家は対外拡張戦争を開始する。
まずは隣のAl-Sharabi公爵からだ!同盟相手も援軍には来ないみたいだし楽勝だな!
Al-Sharabi戦自体は順調に推移し、3年後にはBavandid家にTabrizの宗主権を明け渡すことで講和が結ばれる。
出だしは幸先良いものとなった。また、戦の終結直後に長男が誕生した。
この長男の誕生にFarhadは大層喜び、自分の父と同じGosthtasbと名付けた。
西暦1007年6月、1人の男が世を去った。
ペルシア帝国武官長セルジューク氏がお亡くなりになられたそうです。
そうか…。余は何度かお会いしたことがあるがとても優れた良いお方であったことを覚えている。
あの武人の若いころですか、興味がありますね。きっとペルシアのために陣頭に立って各地の戦を戦われたのでしょうなあ。是非お聞かせください。
あのペルシアの至宝とまで呼ばれた高潔な名将がそんなわけないでしょう、失礼ながら何かお勘違いをされているのでは?
(もうあの頃のことを知っている者はほとんどいないのね…。私も年を取ったものね。)
40年前ペルシアを侵略しようとした1人の男は、敗れたことで改心し、以後は忠実な将軍としてSaffarid家に仕えた。 ペルシアの将軍として各地を転戦した彼は、「ペルシアの至宝」と称され、近隣諸国に恐れられた。 武人たちの指導も積極的に行い、弟子たちからは父のように慕われた。 その姿は、ペルシアを侵略しようと意気軒昂であった野心あふれる前半生とは全くの別人であったという。 享年65。運命が変わっていれば巨大な帝国を築き上げていたかもしれない1人の武人はひっそりと世を去った。 その死に顔はとても安らかで、満足気であったという。
よくない!こうなったら早急に次の拡張戦争を行い、主人公としての威厳を見せつけなければ…
Tigris公爵ですか!?彼はアッバースの血族ですぞ。落ちぶれたとはいえ、アッバース家が張り巡らしてきた血縁ネットワークは健在です。宣戦布告したら大量のアッバース領主が敵方で参戦して不利なのでは?
それでもやらねばなるまい。勝って、アッバースの時代は完全に終わったのだということを天下に示さねば!!
西暦1007年10月。FarhadはKurudistanの宗主権を主張し、Tigris公爵に宣戦布告した。 多くのアッバース家の領主が敵方で参戦し、激戦が予想された。
で、俺は陰謀のfocusを選択したんだけどさー折角だからこのfocusを楽しみたいじゃん?
西暦1008年7月14日。Tigris公戦の最中、FarhadはYazd伯爵Manushihrの手のものによって暗殺された。 なぜ、Yazd伯爵がこのような凶行に出たのかは定かではない。 一説によるとBavandid家の勢力伸長を警戒した皇帝の差し金だったのではないかと言われているが、それだけが理由ではないだろう。 この事件の背後には我々後世の人間にはうかがい知ることのできない複雑な人間ドラマがあったのではないか。妄想は尽きない。 Tabristan公Farhad,享年23。後は長男Gosthtasbが継いだ。