だいたい末子相続制ってなんだよ!こんなのおかしいだろ!ついこの前まで分割相続制だったじゃないか!
何で長子よりも末子が全て相続する方がハードルが低いんだよ!弟に頭を下げて仕えなければならない兄の気持ちがお前にはわからないのか!?
くそっ!おい、Naveed、黙ってないでお前も何か恨み言の1つでも言ってやれよ!
(長子相続と末子相続のどちらにしても次男の僕は後継げないから正直どうでもいい…)
誰も文句が言えな…納得する形で解決しなければならないのは本当に骨が折れますよ
何なんですか早く言ってください。暇な兄さんとは違ってこっちは政務が山積みなんですから。
テングリ教というと主に草原の遊牧民が信仰している宗教ですよね。宗教改革とはどういうことですか?
少しは驚けよ…。何でも宗教としての体系的な組織化が行われたらしい。これによって遊牧民どもが信仰の名のもとに団結して襲い掛かってくる危険性が出てきた!!
OGシナリオだとテングリが宗教改革する確率が高いような気がする
まあ驚いては見ましたけど我々の領地とテングリ勢力は直接接しているわけではないので現段階ではあまり脅威にはならないでしょう
本当におっしゃる通りです。なので兄さん、密偵として遊牧民の動向を探ってきてください。詳細な情報が手に入るまで帰ってこなくていいです。
もう胸が痛くて。為政者というのがこんなにつらいものだとは思いませんでした
祭祀長のMehrabがいるでしょ?あいつが突然領内にいる異宗教の信者は火あぶりにしてしまえとか言い出したんですよ
でしょ?最初は一笑に付していたのですがその場にいた祭祀たちが全員奴の提案に賛同し出して提案を実行しなければならなくなってしまったんですよ
祭祀長の主導のもと異教徒の信者が連れ出され、その場で火刑に処せられました。その火刑に処せられた人物に問題があったんです。
誰あろう祭祀長の妻ですよ!確かに彼女は仏教の信者で異教徒でしたよ。でもだからといって自分の嫁を殺めるなんて狂ってますよ。
もちろん止めるように命令しました。ですが、いくら領主でも信仰に口を挟むことは許されないの一点張りで聞く耳を持たなかったのです
成程なあ。難しい問題だな。だが今回の件でお前は彼らに侮られたかもしれないぞ
でしょうね、言いなりになってしまいましたし。何とかしますよ。
こんなイベントあったのか…。
そう言えば全く関係ない話だが、Rostam兄さんを最近見かけないな
それからしばらくして、ある奇妙な出来事が起きた。。 西暦926年11月22日、Tabristan地域を大きな地震が襲った。 しかしながらこの地域で地震はそれ程珍しいことではない。日頃から対策が行われていいたことにより被害も最小限に抑えらている。 問題は別にあった。
大地に大きな穴が開いたのだ。近隣の民はこれに恐怖したし、宗教関係者たちは「神がお怒りになられている」といたずらに人々の不安を掻き立てるような発言をした。 しかし、この騒ぎはすぐに収束へと向かうこととなる。
Farzadは自ら現地へと赴き、民衆を慰撫した。また、学者をこの地へと呼びよせ、大地の裂け目は自然現象であり、決して神の怒りなどではないということを示した。 領主自らが足を運び説明するとともに実際何も起きなかったこともあり、民は安心し、騒動は収まったのだ。 宗教関係者たちは反発したものの、Farzadの迅速で果断な決定と行動に何もすることはできなかった。
一連の騒ぎを鎮めたことによりFarzadの評価は飛躍的に上昇することとなる。 前回の件でFarzadのことを見くびっていた祭祀たちも、苦々しくはあれどもFarzadのことを認めざるにはを得なくなった。
民を買収し、地震によって開いた穴を不吉なものだと喧伝させました
おかげで面目丸つぶれの祭司どもは私に頭が上がらなくなりました
彼らの信仰するテングリ教は1人の指導者を得た。指導者は信仰の名のもとにテングリ教を信ずる部族をまとめあげた。
今後も注視しなければなるまい。それよりもお前ら戦支度をしているがこれから何かあるのか?
これから上司・Tabristan公爵にある要求をつきつけます。確実に戦になるので準備をしているのです。
ええ。誇りを捨て早々に権力に取り入り、Tabristan公爵の地位を得た恥知らずの分家に鉄槌を下してやります
西暦928年5月。FarzadはGurgan州の正当な統治者はBavandid本家であると主張し、上司であるTabristan公爵Behard(初代当主Rostamの弟Sorkhabの孫)に宣戦布告をした。
Behardと盟約を結ぶ諸侯が敵方として多く参戦し兵数で不利に陥るも、この時のために豊富に蓄えた資金を使い傭兵を雇用。ばらばらになって動く敵軍を各箇撃破することに成功した。
後はGurgan州を占領し、戦勝点がたまるのを待つだけとなった。 しかし…
資金が底を尽きました。それにより傭兵も解散してしまいました。
国庫には1300ダカットもあったはずだがそれが全部無くなったというのか?
傭兵の維持費を舐めていました。少数の敵軍を倒していくことよりもGurgan州の占領を優先して早く戦勝点を100にするべきでした
1300ダカットもの金を失い、結局何も得ることができなかったというわけか
無念…。
かくしてFarzadの起こしたGurgan州争奪戦は大失敗に終わった。 この戦でBavandid家の負った痛手は非常に大きく、しばらくの間雌伏を余儀なくされる。
西暦930年代は後に「大聖戦時代」と呼ばれることとなる、ある意味中世の転換点の1つとも呼べる時代であった。
大聖戦,信仰を同じくする者たちが指導者の号令のもと、協力して異教徒を討伐する戦。その口火を切ったのはキリスト教でもイスラム教でもなかった。
ついこの前テングリ教の起こした大聖戦なるものは成功したみたいですね
俺の言った通り奴らは脅威となりつつあるな。少しは俺のことを見直したか?
ええ、やっぱり兄さんはすごい!なので兄さんはもう一度彼らの動向を探ってきてください!
これに対抗してなのかどうかは定かではないが、しばらくしてスンニ派カリフアッバース家はアナトリア半島に対するジハードを発令し、半島の大部分を掌中に収めることに成功している
ちなみにアッバース家によるアナトリア大聖戦にはSaffarid朝も参加しました。参加表明だけで実際に兵は送らなかったようですが。
今のところ大聖戦を起こした側が勝つという法則が見事に出来上がってるな
デデデン
Gurgan州争奪戦の失敗の後、Farzadには中々好機が訪れることはなかった。
Gurgan州戦から30年、結局私は何もすることができませんでした
ええ、ですがせっかく30年もの時間がありながら何もできなかった、いや、何もさせてもらえなかったことは大きな心残りです
Incapableになってることですか?画像は後年のものなので若干ネタバレになっちゃいますががそこはスルーしてくださいよ
西暦958年11月の末。Farzadは多くのことに後悔しながらこの世を去った。享年65。